団塊世代の歌環境を振り返る:世代論を軸として

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2月20日は歌謡界の御三家の一人であった西郷輝彦さんの命日である。ロシアによるウクライナ侵略が24日に始まったから、1年前のご逝去が強く印象に残っている。

われわれ団塊世代の歌環境は、いわゆる御三家とともに同世代の歌手の方々が提供されたたくさんの名曲に支えられていて、その数多くの作品に救われたという個人的な経験もある。ここでは世代論を軸として、団塊世代の歌環境を振り返ってみたい注1)

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世代間の相違

既成の秩序に参入した新しい世代は、それまでの世代が継承してきた文化・文明全般を受け継ぎながら、自らも個性を発揮しようとする。そのため、文化・文明も担い手が徐々に変わり、社会化の過程においては前世代とは異質な内容が加わり、そこに現世代の独特な発想も生みだされる。

かりに「世代とは一定の時点における人間生活の構造」(オルテガ、1942=1954:5)とすれば、30年幅で「人間生活の構造」には同質性とともに、顕著な変化も生じるようになる。

なぜなら、「人間生活」に普遍的な教育でも遊びでも労働でも結婚でもそして歌でも、「それが二つの異なった世代の上に起ると、まったく異なった生きた事実(つまり歴史的事実)となる」(同上:5)からである。この現象は、日本の高度成長期に顕著となった。

団塊世代とゆとり教育世代

たとえばその時代すなわち団塊世代の青春時代、とりわけその成長期には「ゆとりある教育」がなかったので、1クラス55人が常態であり、1学年で270万人もの日常的競合しかありえなかった。

しかし団塊世代後の団塊ジュニア世代になると、「ゆとりある教育」が20年以上続いた結果、この2つの世代間には思考、価値観、ライフスタイルなどの相違が歴然となり、「人間類型」の点でも異質性が増加した。

高度成長期の主役

細かな異質性はどの時代にも生じるが、団塊世代と団塊ジュニア世代そしてその後の世代を比較すると、量的な違いに基づく質的な差違が目立つ。

高度成長期日本社会では、量がもたらす「競争」を宿命とした団塊世代が青春期を過ごして、やがて社会人としての職業につき、経済社会システム全体に十分な労働力と消費力をもたらすようになった。

ただし、高度成長期の主役は団塊世代というよりも、その親たちであり、文字通り「高度成長に貢献した労働人口の大部分は、戦前教育を受けた人」(森嶋、1999:23)であった。

マンハイムの世代論

ここでマンハイムの世代論を活用して、5点の世代現象の基本的事実を見てみよう(マンハイム、1928=1976:177)。

  1. 新しい文化の担い手が絶えず新たに参加してくること
  2. 文化の古い担い手が絶えず退場すること
  3. 各世代連関の成員は、歴史過程の時間的に限定された断片に参加しうるにすぎないこと
  4. したがって蓄積された文化財を絶えず伝達することが必要であること
  5. 世代から世代への推移は連続した過程であること

世代に関わるこの基本的事実を、日本の高度成長期に青春時代を過ごした団塊世代の歌環境に適用してみよう。

大変幸せな団塊世代

1947、48、49年生まれを「団塊世代」と命名したのは堺屋太一である。この世代は、日本史上でも類い稀なスポーツ・芸能環境に恵まれていたといってよい。

野球なら現役時代の長嶋(1936年生)と王(1940年生)の活躍をほぼ毎日テレビで見ていたし、力道山(1924年生)の空手チョップも知っている。またビートルズは、私の中学2年生から大学3年生まで現役活動し、213曲を発表した。メンバーはリンゴ・スター(1940年生)とジョン・レノン(1940年生)、それにポール・マッカートニー(1942年生)とジョージ・ハリソン(1943年生)であった。

ゴジラと併映された加山雄三(1937年生)若大将シリーズを見て、どうしても大都市の大学での学生生活を楽しみたいと憧れたものである。いずれも団塊世代よりも一回り前に生まれた世代に属するヒーローたちである。

これは「同一の時代にさまざまな世代が生きている」(マンハイム、前掲書:160)の象徴であり、「われわれは与えられたいかなる『時点』のなかにも、絶えずそれぞれ独自の方式でその時点を保持している、さまざまな世代の声を聞き分けねばならない」(同上:161)。そして歌環境に関して団塊世代は、明治大正昭和ひとケタ世代からたくさんの佳曲を提供されている。

三橋美智也の「ふるさと歌謡」

さて、団塊世代の歌環境として、物心が付いたころはラジオから三橋美智也(1930年生)の「ふるさと歌謡」が流れていた。俗にいう「三橋に始まり三橋で終わる」この歌声は、すべての日本人の感性に訴える力をもっていた。

明治生まれの高橋掬太郎(1901年生)が作詞をして、作曲家の林伊佐緒(1912年生)や大正生まれの細川潤一(1913年生)が曲を付け、北海道出身の三橋が歌い上げた東北地方をイメージする「ふるさと歌謡」は、集団就職で首都圏に移住してきた若者を始め全世代に、故郷の父母、夕陽、リンゴ村、小川、水田、丘や畑、星や月、中学校校庭、自然豊かな景色などを思い起こさせた。しかも澄み切った高音は、それぞれの故郷を偲ばせてくれた。

地方出身の若者の日常は大都会の狭い職場空間に限定されていたが、「ふるさと歌謡」を通して想像できる全国の地方空間へその心を飛翔させていた。

四七抜き音階と歩行のリズム

作詞家も作曲家もレコード会社専属のプロだったから、完成度の高い楽曲が本格的歌唱力を持つ歌手に提供されていた。メロディーは「ヨナ抜き音階」(ドレミソラの五音)、歩行のリズム、andanteかmoderatoの楽曲の作品が目立った。

三橋が民謡の名取だったように、独特のコブシをまわす歌い方が普通に見られ、13度の音域をもつことも珍しくなかった。

フランク永井の「都会派歌謡」

これが団塊世代小学生の「歌環境」の一方だとすれば、全く異なった低音で、暖かさを感じさせる「都会派歌謡」が同時代にヒットしていた。それは大正生まれの吉田正(1921年生)一人がほぼ創りあげた世界であった。

大御所古賀政男(1904年生)や服部良一(1907年生)や古関裕而(1909年生)など明治生まれの作曲家とは異なる楽曲を目指した吉田の都会派メロディーの原点は、過酷なシベリア抑留に耐えて帰国した吉田なりの「人生肯定」という生き方にあった(金子、2010)。

世代論的に言えば、吉田が一人で切り開いた都会派歌謡や青春歌謡そしてリズム歌謡でも、「或る新しい世代動向のもっとも本質的な萌芽が、既存の古い世代に所属し、その内部でなお孤立している個々人(すなわち先駆者)によって最初展開され実践に移される」(マンハイム、前掲書:202)事例であり、歌謡曲の世界では高度成長期の吉田作品がその代表例として位置づけられる。

大正世代と昭和世代のコラボ

その「生きる喜び」を明治生まれの作詞家佐伯孝夫がみごとに描写した都会風俗に託して、昭和ひとケタ世代のフランク永井(1932年生)と松尾和子(1935年生)が丁寧に歌いあげた。二人の歌は高度成長期の銀座をモチーフとして、ひたむきに生きる日本人を元気にした。

追随を許さないフランク永井の低音の暖かさ、松尾和子の「声だか息だか分からない」情感の表現は、古賀メロディーや「ふるさと歌謡」に附着していた湿気を取り去り、土のにおいを消すことに成功した。都会の乾いた歩道や街灯それにナイトクラブが男女の愛の舞台であり、どこの都市でも当てはまる空間的無限定さと高度成長期という時代に限定されていた。

福岡県で5万人の地方都市の小学生だった私もまた「都会派歌謡」を口ずさんで、まだ見ぬ「銀座」や「有楽町」を想像していた時代であった。

昭和のライバル

2021年12月に出た『昭和のライバル』(週刊ポスト増刊セピア)では、スポーツ、芸能、格闘技、政財界、文化の5部門から合計27組のライバルの競合模様が具体的に記されている。

ただし、特集から外された「ライバル」に「歌謡曲」部門があったので、ここでは歌環境として「青春歌謡」のライバルをまとめてみよう。

御三家か四天王か

わずか3年間で誕生総数806万人の団塊世代の中・高生時代の歌環境には、日本歌謡曲の初代御三家の競いあいがあった。

初代御三家には、ビクターの橋幸夫(1943年生、1960年7月デビュー、新人賞)、コロンビアの舟木一夫(1944年生、1963年6月デビュー、新人賞)、新興のクラウンの西郷輝彦(1947年生、1964年2月デビュー、新人賞)を挙げるのが通例だが、私の場合、橋は「王者」であり、「御三家」は舟木と西郷に、ビクターの三田明(1947年生、1963年10月デビュー)を加える。

また、四人まとめて「四天王」と呼ばれた時代もあり、私はこちらの表現も好んできた。

「青春歌謡」の競合

この「四天王」は、それまでの三橋美智也の「ふるさと歌謡」やフランク永井の「都会派歌謡」とは異質の「青春歌謡」のレコードを出し続け、団塊世代の歌環境を豊かなものにしてくれた。中学生からすると少しだけ年上の4人は、「青春歌謡」の競合で私ども団塊世代を勇気づけてくれた。

大正世代や昭和ひとケタ世代が創った「青春歌謡」の歌詞とメロディーは、世代差を超えて当時の中・高生の感情、感傷、あこがれを見事に表現していた。

なお、「青春」は生物学的カテゴリーで、「若い世代」とは社会的カテゴリーとするフィッシャーの見解がある(フィッシャー、1963=1966:20)。しかし「青春歌謡」は歌手もファンも「青春世代」ではあったが、テレビや映画を巻き込んだ大きな大衆化現象に育ったので、「社会的カテゴリー」になると判断しておく。

質の高さは専属制から

当時の音楽業界では専属制で、優れた作詞家と作曲家が質の高い楽曲を毎月提供していた。橋には明治生まれの作詞家佐伯孝夫、作曲は大正生まれの吉田正が付き、ジャンルを拡げて名曲を量産していた。舟木にはデビュー当初は大正生まれの作詞家丘灯至夫(1917年生)で、作曲が昭和ひとケタ世代の遠藤実(1932年生)であり、デビュー6曲まではこのコンビであった。

団塊世代の西郷はクラウン所属だったこともあり、専属の作詞家作曲家が少なく、作詞が昭和ひとケタ生まれで読売新聞記者だった水島哲(1929年生)で、昭和ひとケタ組の専属作曲家北原じゅん(1929年生)によるデビュー曲「君だけを」とセカンドシングルの「十七才のこの胸に」により64年の新人賞を獲得した。

同じく団塊世代の三田もまた橋と同じ吉田正の作曲であったが、作詞は佐伯よりも大正生まれの宮川哲夫(1922年生)が多かった(金子、2010年)。

ロ短調の和声短音階(G♯)で哀感

舟木「高校三年生」について、かつて1937年生まれの阿久悠は「夕陽にそまった校舎にしろ、フォークダンスをしている校庭にしろ、妙にさえざえとして、ひんやりと感じる」(阿久、1999:92)と評したことがある。

しかしこれは歌詞のせいではなく、ロ短調の和声短音階(G♯)で作曲されているからである。これを吉田は「都会派歌謡」でも多用したが、遠藤も北原もまた同じ旋律により「青春」を歌い上げた。さらに青春歌謡の特徴としては、女性コ―ラスがメロディーと間奏に頻繁にかぶることが挙げられる。

短調で、女性コーラスが主旋律にかぶり、リズムは意外にも「ふるさと歌謡」と同じ歩行のリズムだが、速度はallegrettoかmoderatoであり、青春にふさわしくやや速かった。

ビートルズからGSへ

この時代、団塊世代直前の橋と舟木、そして団塊世代の西郷と三田への楽曲は、すべてが明治、大正、昭和ひとケタの作詞家作曲家たちが、質の高い作品を提供していた。いわば世代間交流による成果である。

その後団塊世代が高校生になると、歌環境も変化する。まずはシンガーソングライターの先駆け1937年生まれの若大将加山雄三の登場、中学三年生の一月に来日してエレキの魅力を伝えたベンチャーズ、私が高校二年生の六月に来日したビートルズはもとより、その公演を契機とし誕生した「グループサウンズ」(GS)も、好むようになった。

世代間の断絶が淋しい

団塊世代に魅力的な楽曲を届けていた明治大正世代の作詞家作曲家は退場して、その後を引き受けた団塊世代以降の作詞家作曲家に、古賀や吉田や遠藤などのようなビッグヒットが出なくなった。

時代の推移が激しく、世代により歌の嗜好が細分化され、世代間で好みの歌が違う現象が40年以上続いている。人生における世代間交流は不可欠だが、どうやら歌環境では断絶してしまったらしい。

これは大変淋しいことである。なぜなら、マンハイムのいう「文化の創造と蓄積が同じ諸個人によって遂行されず、『新しい年齢集団』が絶えず出現」(マンハイム、前掲書:177)していても、楽曲の質の高さと広がりに関して言えば、団塊世代の作曲家は明治大正昭和ひとケタ世代の作曲家に遠く及ばないからである。

世代交代

今後の30年間で、歌環境にも新たな世代交代が進むだろうか。いずれ団塊世代が歴史舞台から退いた時、その歌環境はどうなっているのか。

もちろんマンハイムのいう「非同時的なるものの同時共存」により、しばらくは昭和歌謡も健在だろうが、ウェーバーが構築した「精神のない専門人、心情のない享楽人」(同上:366)の大量発生となるかならないか。

かつて森嶋はこの事実から「職業倫理の頽廃」を嘆いた(森嶋、1999:41)。

「社会資本主義」での人間類型

私はウェーバーの恐るべき予言である「精神のない専門人、心情のない享楽人」のモデルを、人間類型として分類してきた(金子、2013)。すなわちここでは8通りの組み合わせが可能になる。図1からは、資本主義頂点のウェーバーモデルは「C+H」となるであろう。

図1 資本主義での人間類型
(注)〇は「ある」、Xは「ない」ことを示す

しかし、実のところの組合せは他にもたくさん想定されるから、私がこれまで期待して、「社会資本主義」の人間類型モデルとして位置づけてきたものは、「E+B」であった注2)。具体的には「心情のある専門人」と「精神のある享楽人」のいくつかの組合せを模索してきた。

ただし一般的には、「精神」も「心情」も「あった」方がいいから、A、B、E、Fからの組合せならば、「社会資本主義」を構築するに十分な人間類型として、このコンビを挙げておきたい。

「非同時的なるものの同時的存在」に期待

この人間類型を目指して、「ゆとりある教育」により30年かけて「経済倫理」が変質したように、「個人主義と利己主義の違い」(森嶋、1999:48)、「全員が白痴化する平等主義」(同上:51)の見直し、「価値判断能力」「論理的思考」「意志決定力」(同上:53)などの再建を心がけるしかない。

依然として階層格差が広がるなかで、「非同時的なるものの同時的存在」により、過去から未来にかけては前世代の業績を学びながら、マンハイムの1. 「新しい文化の担い手が絶えず新たに参加してくること」に期待するしかない。

団塊世代の歌環境が多世代によるすぐれた作品に恵まれた事情を解釈すると、新たな世代間連携こそがカギとなることが分かる。世代間連携により、「心情のある専門人」もしくは「精神のある享楽人」が一人でも多く登場して、産業活動だけではなく文化でもスポーツでも、新たな方向性を切り開くことを見守りたい。

注1)本稿の一部は、北海道で主に活動しているイベント工学研究所が編集・発行している『カーピアセロム』(第306号第307号、ともに2022年)に発表済みである。しかしそれ以降、時々問い合わせがあるために、今回新しく増補して、「世代論」関係を拡充し、新たな内容として公表した。

注2)ここでいう「社会資本主義」は、「資本主義の終焉」の後に想定される新しい経済社会システムを指している(金子、2023 近刊予定)。

【参照文献】

  • 阿久悠,1999,『愛すべき名歌たち』岩波書店.
  • Fischer,E.,1963,Probleme der Jungen Generation,Europa-Verlags-AG.(=佐々木基一・好村冨士彦訳『若い世代の問題』合同出版).
  • José Ortega y gasset,1942,Esquema de las crisis otros ensayos.(=1954 前田敬作訳 『危機の本質』創文社) .
  • 金子勇,2010,『吉田正 日本評伝選』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房(近刊予定).
  • Mannheim,K.,1928,“Das Problem der Generationen,”Kölner Vierteljahrshefte für Soziologie,7 Jahrg.Heft2.~3.(=1976 鈴木広訳「世代の問題」樺俊雄監修『マンハイム全集3 社会学の課題』潮出版社:147-232).
  • 森嶋通夫,1999,『なぜ日本は没落するか』岩波書店.
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