衝撃の事実を知った福島県いわき市勿来(行ってよかった地区町村)

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はじめに

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衝撃の事実を知った福島県いわき市勿来
(西村まさゆき)

みなさん、勿来関(なこそのせき)ってご存知でしょうか。

その昔、陸奥(みちのく)と呼ばれた東北地方と、坂東(関東)の間にあった関所のひとつで、俗に白河関、鼠ヶ関と並んで、奥州三古関のひとつと呼ばれています。

白河関は、ご存知の方も多いでしょう。昨年、仙台育英が甲子園で優勝したときに「優勝旗が白河関を越えた!」と話題になりました。

勿来関も、最果ての関所というイメージとともに「来るなかれ」という意味になる地名とも相まって、古くから「歌枕」としてとても有名です。 

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そんな勿来関を見てみたく、昨年、ついに行ってきました。

現在、勿来関とされている場所は小高い山の上にあり、そうそうたる歌人が、勿来関について読んだ和歌が彫られた石碑が立ち並ぶ坂道を登ると「勿来関趾」という石碑がズーンとありました。ただ、この勿来関趾、昭和2年に福島民友新聞社が設置したものです。意外と新しいのです。

さらにその先を進むと、いわき市勿来関文学歴史館という資料館があります。勿来関と和歌に関する資料館ですが、そこで衝撃な事実を知りました。

実は、勿来関はどこにあったのかよくわからないというのです。

資料館で貰った子供向けの資料の「なこその関はどこにあったの?」という質問に「実は、よくわかっていません。というのも、昔のお役所で使われていた書類には『なこそ』という関が見当たらないので、はっきりした場所がわからないのです」と、書いてあります。

歌枕として、和歌によくよまれる「なこそのせき」を分析すると、東北の福島周辺にある、太平洋のそばにある。ということがわかり、いわき市南部のこの地域がそこだろうという推定を元に、現在の勿来関は観光地化されているらしいのです。

おそらく、昔この地にあった「菊田関」と呼ばれていた関所が、平安時代中頃には「勿来関」ということにすり替わってしまい、大正時代には勿来のネームバリューにあやかったのかどうかわかりませんが、菊田とか窪田と呼ばれていた場所を「勿来町」と命名し、地元の新聞社が「勿来関趾」という石碑を置いた……というわけです。

本来の勿来関は、宮城県利府町にあるという説が、最近は有力となっているようです。

実は、白河関も江戸時代頃には正確な場所がわからなくなっていました。そんななか「白河の清きに魚の住みかねて……」の狂歌で有名な松平定信が、白河関の場所を同定し、近年は発掘調査も行われました。

しかし、勿来関は発掘調査が行われていません。でも、平安時代の人々が勿来関と勘違いした場所が、現在でも観光地として賑わっているというのもなかなかおもしろい話だと思うので、このまま発掘調査など行われず「場所はよくわかっていない」のままでもいいんじゃないのかな、と思った次第です。    

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終わってふたたび解説です

勿来関と和歌に関する資料館で「勿来関はどこにあったのかよくわからない」、という事実を知った西村さん。白河関も江戸時代頃には正確な場所がわからなくなっているそうで、わからないままでも、観光地としてにぎわっているならそれで良いのかもしれませんね。

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