電通大在学中の起業1年目で倒産の危機に。バイトからITインフラ業界に入り事業を拡大&10年かけて大学を卒業するまで ~ 【武田一城の“ITけものみち”:第11回:藤崎正範氏(株式会社ハートビーツ 代表取締役)】

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 第11回は、ITインフラを支えるMSP事業を行う株式会社ハートビーツの藤崎正範氏(代表取締役)が登場。高い技術力を武器に開発から運用監視まで一気通貫して行えるのが強みの会社だ。

 当初、藤崎氏は高校卒業後に医師の道を目指したが、浪人3年目となる2000年に上京してITの道へ。大学では、最初にIT企業でサーバー保守運用のアルバイトに従事。そこからITベンチャーの立ち上げに関わり、ハートビーツの前身となる個人事業主としてインフラエンジニアになる。ハートビーツを法人化したのは大学在学中の2005年のことである。

 ITの道に進むきっかけから、起業の経緯、ITインフラという分野で90人弱の従業員を抱えるまでに規模を拡大できた背景をうかがった。

「IT・セキュリティ業界にいる、尖った人たちを紹介したい!」――

武田一城氏。独立系SIerや大手メーカー系SIerを経て、2022年には株式会社ラックから株式会社ベリサーブに移籍。NPO法人日本PostgreSQLユーザ会理事でもある。マーケティング戦略の専門家として書籍や複数のIT系メディアでの執筆活動やシンポジウム等での講演活動も行っている

 ……そう語るのは、ソフトウェア検証業界のパイオニアとしてIT品質向上技術に定評がある株式会社ベリサーブの武田一城氏。
 氏によると、“けものみち”を歩み続けてきたような(?)尖った人たちが業界には沢山いるという。

 本連載は、
「いろいろあって今はこの業界にいる」
「業界でこんな課題・問題があったけど○○で解決した」
「こんなXXXXは○○○だ!」――

 など、それぞれが向き合っている課題や裏話、夢中になっていることについて語り尽くしてもらう企画になる。果たしてどんな話が飛び出してくるのか……?

大学在学中にアルバイトでITインフラ業界に入り、MSP事業を主軸としたハートビーツを起業

――藤崎さんとの出会いは2010年ごろになります。ハートビーツが協賛していたオープンソースコミュニティの打ち上げの席だったかと思います。電気通信大学卒と聞いて、最初は勝手にメーカー系の企業から独立されたんだろうなと思っていたのですが、実際は全く違っていて、まさに“けものみち”を歩んでこられた方でした。まずは略歴から教えてください。

[藤崎氏]3年浪人して2000年に電気通信大学に入学し、在学中にハートビーツを起業、大学は10年かけて卒業しました。大学入学と同時に始めたサーバー保守運用のアルバイトがITインフラ業界に入ったきっかけです。翌年には別のITベンチャーの立ち上げにアルバイトとして参画するも役員との方針の違いから退職。その後フリーランスのインフラエンジニアとして仕事を請けるようになり、これがハートビーツの前身となりました。

 ハートビーツは、ITインフラを支えるMSP事業を主軸としながら、開発支援、受託開発サービスを提供している会社です。強みは、高い技術力。24時間体制での運用監視もエンジニアが対応することで、障害発生を早期に検知し対応しています。

医学部を目指した浪人生活3年目にITの道へ方向転換! 電気通信大学へ

――もともとはITの道ではなく、医師の道へ進もうとされていたとか?

[藤崎氏]はい。医学部へ進もうと考えたのは高校3年の2学期。尊敬する祖父が総合病院に入院し、見舞いに行ったときに目の当たりにしたのが医師の仕事で、自分もやりたいと思い志しました。ただ、高校は福岡県北九州市の進学校ではあったものの、成績は下のほうで現役では受からず浪人することに。

 3年間の浪人生活のうち2年間はかなり頑張って、成績的には国立大学の医学部がギリギリ、獣医学科だと模試でA判定が出るぐらいまでは上がったのですが、残念ながら医学部には合格できず……。国立大学の医学部は無理だと感じ目標を失い、悶々とする日々。一日中、友人が組み立ててくれたPCでインターネットばかりしていましたね。

 そしていよいよ受験が迫った2000年1月に「東京でITをやろう!」と決めて、夜間の学部があった電気通信大学に進学しました。

藤崎正範氏(株式会社ハートビーツ 代表取締役)

――医学部からITって、かけ離れている気がしますが、きっかけは何だったのでしょう?

[藤崎氏]私はファミコン世代で、周りがスーパーファミコンに移っていく中で、マニア向けゲームハードとも言われる「MSX」を買いました。それと関連して、BASICはベーマガ(マイコンBASICマガジン)を写経して自分なりにアレンジするといった中学時代を過ごしています。そのあとは「PC-98DO」を買ってゲームをよく遊んでました。

 浪人中も簡単なスクリプトを書いていました。だから自分の中では、ITというものに対してイメージができていましたし、戻ってきた感じですね。

[略歴]
1997年  高校卒業
2000年 電気通信大学入学、IT企業でサーバー保守運用のアルバイトでIT業界入り
2001年 ITベンチャー立ち上げに、アルバイトとして参画
2003年 フリーランスのインフラエンジニアになる
2005年 代々木のワンルームで株式会社ハートビーツ設立、代表取締役就任、マネージドサービス提供開始
2008年 ハートビーツが電気通信大学 大学初ベンチャーに認定
2010年 電気通信大学 卒業
2010年 AWS本共著
2017年 グロービス経営大学院 入学
2019年 グロービス経営大学院 卒業

大学入学と同時に始めたサーバー保守管理のアルバイトをきっかけにITインフラ業界へ

――大学生活はどんな感じで過ごされたのでしょうか?

[藤崎氏]学費などは親に頼らないで大学に行こうと思い、夜間の学部を選びました。週3回IT企業でサーバー保守管理の夜勤のアルバイトをやっていたので、21時に授業が終わってアルバイトに行き、昼前に自宅に戻ってから寝て、夕方起きて大学に行くといった生活です。

 結局、大学を卒業するまでに10年かかり、最初につまずいたのが研究室配属のとき。出席重視の基礎教養系の科目と実験などが残っていて4年生に進級できませんでした。

 当時はアルバイトながら、ITベンチャーの立ち上げを手伝っていて、24時間体制でのサーバー保守管理に加えて、週1回の経営会議に出たり、会社のロゴを作ったり、営業活動をしたり、採用活動をしたりとかなり忙しくしていました。ただその後、役員と方針が合わなくなり、退職しています。

 その退職のタイミングで当時のお客さんの1社に「個人で仕事を請けないか」と声をかけてもらい、請けることに。ちょうど大学3年の終わりごろ(2003年)で、開業届を出し個人事業主となりました。

――これがハートビーツの前身となるのですね! 大学に行く暇がないくらいだったのでは。個人でどんな業務を請けていたのですか?

[藤崎氏]私が得意としていたのが障害の切り分けです。継続案件が2社で、他に炎上案件が単発で入るというかたちでした。単発の仕事というのは、200人規模のプロジェクトに1日入り、それを踏まえて改善ポイントをその会社の偉い人にプレゼンするといったものです。一晩の仕事で20~30万円になるので、学生にはありがたい仕事でしたね。

 何か一つのことを掘り下げるだけでなく、全体を担当させてもらうことも多かったです。オープンソースのロードバランサー(負荷分散装置)で対応可能か、一晩掛けて検証するといったこともやっていました。

――ここでオープンソースにいくのがすごいですね。業界の人たちは、オープンソースのロードバランサーを使えば、かなり価格が抑えられることは知っていますが、なかなか運用ができないからほとんどやる人はいません。

[藤崎氏]私は運用も対応できたので、その点は問題ありませんでした。Linux-HAプロジェクトのドキュメント類の日本語版が全くなかった時代で、逆に面白かったです。

――個人事業主から法人化したのは、何がきっかけだったのでしょうか?

[藤崎氏]個人でラックを借りて、ホスティングサービスに加えて、預かったサーバーにマネージドサービスを提供していたので、1ラック当たり毎月80万の売上モデルが作れたのが一つのきっかけです。法人化するときに、固定収入が作れるかどうかが私としては重要なポイントだと考えていましたから。

 それで2005年にMSP事業を主軸として法人化しました。オンプレミスでは最後発で始めたのですが、オープンソースを活用した構築・運用ができるのは差別化につながり、会社の強みとなりました。運用まで請けることで、売上も安定して良かったです。

――サーバー保守事業者は、他の人が構築したものを受け取り保守するかたちが昔は主流だったので、構築から運用・保守までトータルでサポートするというのは珍しいですね。でも、これができると一番良いものを顧客に提案できますから会社の強みになったのだと思います。

売上の9割を占めた企業が倒産。起業後1年で倒産の危機に……

――起業後は、今日まで順調に来た感じですか?

[藤崎氏]1年目の終わりに倒産しそうになりました。起業して売上が1000万円規模から3000万円規模になったのですが、その内訳の9割が1社からの仕事だったのです。それで、その会社の親会社が倒産。弊社の顧客であった子会社も倒産し、見込んでいた売上がほぼゼロになりました。資本金10万円で立ち上げた会社だったので、やっとできた貯金が毎月数百万円単位で、どんどん減っていくのは、本当にきつかったです。

 これがきっかけで、数万円、十数万円単位の仕事をたくさん請けるかたちに変えました。それで1年間一生懸命営業し、2年目のスタート時は売上ゼロでしたが、最終的には7800万円までV字回復できました。当時のメンバーには感謝しかありません。

――そのほかに売上をV字回復できた理由ってありますか?

[藤崎氏]リモートでのサーバー保守モデルがまだ一般的でなかったので、そのニーズがはまったのだと思います。現場のインフラ担当の方と役割分担するかたちをとっていました。具体的には、「24時間365日の有人体制」や「(冗長化やチューニングなど)専門外の技術サポート」などです。コミュニケーションを通して技術的に信頼してもらえたので、リモートでも安心して任せてもらえました。今もやっていることですが、このサービス設計を2年目に作れたのは、良かったです。その後は大きな谷はなく、現在まで事業を拡大しています。

ハートビーツ主催の勉強会、「hbstudy」の開催が事業拡大につながる

――ITインフラというITの中でも花形とは言い難い分野で90人弱の従業員を抱えるまでに規模を拡大できた経緯は何だったのでしょうか?

[藤崎氏]2008年ごろから始めたインフラエンジニアを対象とした勉強会で弊社主催の「hbstudy」が良いきっかけになりました。

 元々、ワンルームから始まった会社で知名度もなく、他社のインフラエンジニアのことをよく知らない状態でしたし、私達もさまざまなことを勉強したい思いがありました。そこで始めたhbstudyは当初は毎月1回開催していたのですが、勉強会をやるために雑誌の特集を作っているような感覚でした。勉強会を続けることで会社の認知度が上がり、その中から弊社に転職したいという人が増えてきて、より良い人材が集まり、より面白い仕事が口コミで入るようになりました。

 実は5年ぐらい前までは営業専任者がいなくて、口コミとリピーターのみで仕事をいただいていました。露出自体もhbstudyくらいでしたが、メンバーの登壇や雑誌への寄稿などの機会に恵まれた結果、技術力が高いというブランディングが確立されたのだと思います。

「hbstudy」のイベント概要や参加登録はウェブサイトで確認できる

ハートビーツの強みは技術力の高さ! 人材育成にも注力

――技術力の高さを強みとしていますが、それはどのように実現してきたのでしょうか?

[藤崎氏]まず新しい技術へのチャレンジがかなり早いです。例えばAWSが日本に来たのは2011年ですが、我々は2008年に使い始めました。2010年には共著でAWSの書籍を出しています。

 そして、高い技術力を支える人材育成にかなり力を入れています。人材開発室というチームがあり、入社すると専任の担当がつきます。一般的な会社だと入社後1~2カ月で業務に入りますが、弊社は業務に入れる水準を決めているため、ほとんどの人が半年から1年、中には2年かかる人もいます。

 インフラエンジニアは、経験が大事ですよね。サーバー1台規模しかやったことがない人と、500台規模をやったことがある人は違います。もちろん1台には1台ならではの、500台には500台の苦労がありますし、アクセスも数万アクセスのウェブサイトなのか、1日数億リクエストあるゲームなのかでも経験の違いが生まれます。あとはメディアの特性とゲームの特性、ECの特性でも違います。

 そのため、24時間体制のメンバーは全案件を担当します。現在約5000台のサーバーを運用していて250案件ぐらいあるため、250種類のシステムを経験しているということです。

 そこから24時間体制を卒業して日勤のエンジニアチームになると、1チームあたり20社程度担当します。顧客の課題やリクエストを聞きながらどうやったら実現できるか考え続けることで人が育ちます。

 縁があって弊社に来た方が、人間的にも社会人的にも成長する様子を見守れるのが実は一番楽しいです。

目標は脱PPAPのための「Kozutumi」を軌道に乗せること

――今後の会社としての展望を教えてださい。

[藤崎氏]11月に重要書類配送のDXを簡単・安心に実現するSaaSとして、重要ファイル転送プラットフォーム「Kozutumi(コヅツミ)」を正式リリースしたので、これを軌道に乗せたいですね。

 Kozutumiは単に送受信の記録を残すだけではなく、クラウド上に重要なデータを保持し続けずに、第三者が長期間、簡便で安価に、送受信したファイルを記録(存在証明)する仕組みを次世代型タイムスタンプシステムとして実現しました。

 また、法人向けプランには「サイバーリスク保険(情報漏えい限定補償プラン)」が自動付帯しています。ファイル転送分野で初めての試みというのも当然嬉しいのですが、それと同じぐらい保険会社の担当者がKozutumiのファンになってくれたのも嬉しかったですね。

――Kozutumiの開発をしようと考えた経緯は何だったのでしょうか?

[藤崎氏]Kozutumiは、弊社内で使うために開発したファイル転送サービスが前身です。社内でも「パスワード付きのZIPファイルを止めたい」と声が上がり開発しました。ただ、メンテナンスなども考えると、社内で使うだけだとコスト的に負担が大きいということで、何かしらの収益につながるものにしたいと考えていました。

 そして2020年末から日本では、パスワード付きZIPファイルをメールに添付してパスワードを別のメールで送信する、いわゆる「PPAP」が抱える問題が注目を集め、企業の規模に関係なく、マルウェアへの対策を含めた「脱PPAP」がますます重要となりました。

 そこでモックアップを作って社内の反応をリサーチし、非常に反応が良かったので事業として進めたというかたちです。

Kozutumiの利用画面。安全なファイル送受信と効率化を実現する

――Kozutumiをどういう悩みを持っている方に使ってもらいたいとお考えですか?

[藤崎氏]パスワード付きZIPファイルを無理なくやめるというのがファーストステップです。特定のストレージサービスやメールサービスに囚われないように設計しているので、そこは導入しやすいと思います。一気に全社に導入してほしいというよりは、まずは「うちの部署でやめたい」という感覚で試してみてほしいですね。

対談後記(武田氏)

 完全に油断してました。藤崎さんは、若いIT起業家ですが、ちゃんとした技術的要素の高さやトレンドを後追いするような浮かれたところがない経営者さんだと思っていました。なので、「ITけものみち」なんていう連載には絶対ハマらないと思っていました。結局、藤崎さんって舗装された道路を歩いたことがないくらい本連載にうってつけの人でした。まさに「けものみち」を地で行っている方だと言って良いでしょう。

 そんな藤崎さんの経営しているハートビーツの技術力はとんでもないです。みんなIT基盤作る時に「このシステム規模で高価なロードバランサ―導入はバランス悪いな……」「いやいや、OSS使えばできるっていうのは知っているけど、結局運用しきれないだろうな……」と15年前くらいの私が諦めて「Cisco」や「F5」の商用製品を提案していたのを嘲笑うかのように、高難易度のOSSシステム運用の実績をさらっと積み上げてきているんです。

 実は、ちょっと技術力のあるOSS好きのSEなら、LVS(Linux Virtual Server)やHeartbeatを使ってかなりのことができることは知っているんです。ただ、従来のシステム開発の構築と運用の技術力および会社間の力関係でそれができなかったのです。その当時、私はOSSでは日本最高峰だと評価されているベンダーに所属していたのですが、それでもできませんでした。

 ハートビーツの強みは、システム運用事業者がそのような基盤を導入していることです。正直、OSSは運用しにくい場合も少なくないのですが、運用する人が率先して導入してくれる。これが圧倒的な強みになっているんだと感じました。サイバー攻撃が高度化・巧妙化したことで、従来の防御壁の構築では防げなくなって、その運用が主役になった昨今、まさに世の中がハートビーツに追いついた……そのように感じた対談でした。

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