金融庁は忖度を強制することで規制しているという迷妄

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金融機能の高度化を目指す金融庁は、金融機関と対等に対話し、金融機関の活きた動態を把握しようとしているが、金融機関を規制する金融庁は、金融機関に対して優越的な地位にたつほかない。そこで、金融機関としては、金融庁の全く異なる二つの立場を区別しようとして、いらぬ忖度を働かせるのである。

金融庁としては、いらぬ忖度を金融機関がすれば、対話にならないという苛立ちを感じる。そこで、金融庁の内外に、対話を廃して規制を通じた金融機能の高度化を目指すべきだとの考えが台頭してくる。金融庁にとって、政策を推進するためには、金融庁の規制当局としての優越的な地位に基づく強制力の発揮が必要だというわけである。

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しかし、政策実現には、規制によらないで、直接的に金融機関に働きかけ、間接的に国民に語りかけて、金融機関の自発的行動を促す方法もある。事実として金融庁がやってきたことは、まさに、そこにつきていて、新たなる規制は導入されていないのである。

例えば、金融庁が金融機関の淘汰というとき、顧客本位を徹底できない金融機関は顧客の力で淘汰されるという予言であって、金融庁が規制によって淘汰するという意味ではない。金融庁が顧客本位といった段階で、淘汰の原動力は顧客、即ち国民になったわけである。金融庁の機能は、単に、国民の合理的選択行動を促すことによって、顧客本位ではない金融機関から顧客流出が生じ、淘汰されるような環境を整備するにとどまるわけだ。

では、こうした環境整備は事実上の強制なのか。国民の合理的選択行動を促すことは、金融機関への強制ではなく、その結果、どの金融機関が淘汰されるかは、金融庁が誘導できるものではないので、やはり、金融機関への強制ではない。金融庁は、顧客本位な金融機関は成長し、そうでない金融機関は淘汰されると予測しているわけだが、金融機関に強制して、その予測を受け入れさせることはできないのである。

金融機関の多くが顧客本位という金融庁の施策を受け入れたのは、そこに事実上の強制力を感じたからだという見方もある。政策当局としての施策である顧客本位の裏には、規制当局としての真意が潜んでいるのであって、金融機関としては、それを忖度させられて、事実上の強制のもとで、顧客本位を受け入れざるを得なかったというわけだ。これも、そう思っている金融機関があるなら、直ちに淘汰されてしまえばいいだけである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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