新型コロナウイルス騒動「総括」の方法の一提案 — 高梨 雄介

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筆者は、新型コロナウイルス騒動によって幸運にも利を得た側にいるので、こういう主張が許されるか微妙な気はするが、新型コロナウイルス対策の「総括」は必要だと思う。しかし、社会全体を巻き込むような「総括」には全く期待できないから、代わりの方法を提案したい。

それは、国や地方公共団体を相手に訴訟することである。「グローバルダイニングに続け」と言い換えてもよい。新型コロナウイルス対策という名目で出された数々の命令・指導の類いを「やり過ぎ」だと感じ(感じない方が不思議だが)、それにより損害を受けたのなら、訴訟当事者となる資格は十分にある。観光業や飲食業を営む方・営んでおられた方はほぼ該当するだろう。

もちろん、訴訟するには「やり過ぎ」であることを論証する必要があるし、弁護士の力も借りた方が良い。費用や時間が掛かるから、同じような苦しみを抱える事業主らと連携して、集団訴訟とするのが現実的だろう。訴訟費用はクラウド・ファンディングを活用して工面するといった工夫も大切である。それに、業界としての横の連携を構築する契機にもなる。

そして、訴訟を通じて、新型コロナウイルス関係で国や地方公共団体が何をしたか、経営にどれだけの影響があったのかを省みることになる。この営みは、狭い範囲であっても立派な「総括」だし、その取組みが広まれば、社会全体に「総括」の気運が及び、それを阻む既得権益に対する一穴となる可能性もないわけではない。

実際、グローバルダイニングが東京都を相手取って訴訟を提起し、値千金の勝訴を得たのは鮮烈だった。判決で小池知事の時短命令が違法とされたため、以後、小池知事は時短命令を発せなくなった。素晴らしい成果だと思う。しかも、たった1社の成果である。

逆に、このような主体的な活動をせず、誰かが「総括」するだろうと待つのは悪手である。そもそも「誰か」とは誰か。国や地方公共団体を指すなら、彼らはおそらく永遠に「総括」しない。彼らがこれまで行ってきた事業評価とか事業報告の類いを読めば明らかである。彼らは事業の成果=「何を得られたか」にばかり着目し、コスト=「何を失ったか」を軽視するきらいがある。そして身内に甘いからである。

「総括」するなら、得られたものと失ったものの両方に目を配らなければならない。にもかかわらず官公庁でよくあるのは、催事を開催して市民1000人が訪れた。報告書には「1000人もの市民が来訪し、アンケートの結果は概ね好評であった。よい催事であった」などと記す。しかし、そのために5000万円の費用と職員200人日の工数が掛かったとしても、これは記載しない。当然、その事業全体としてのフラットな評価も行われない。これは「総括」ではない。

他に「総括」するべき主体としては、政治家やマスメディアが考えられる。しかし、彼らには「総括」の営みなど全く期待できないことについて、説明は不要だろう。

それに、社会全体で「総括」が万一なされたとしても、新型コロナウイルス騒動によって貴兄が被った損害が補填されるわけではないし、社会として学習するか(同じ愚行を繰り返さなくなるか)も疑問である。そのような確率も実益も小さい事象に期待するよりは、個人でさっさと「総括」するのが現実的だし、次に繋がる建設的な成果に結び付くのではないだろうか。

誰かに何かを期待して待つより、自分から動いた方が、大抵の場合早くて簡単である。

なお筆者は、新型コロナウイルス対策では国や地方公共団体は愚行を重ね、飲食業・観光業と若者~将来世代に回復困難な損害と失望を与えたと認識している。現業の方は「総括」に向けて動くべきだと思うが、若者~将来世代は別な形で対応しても良いだろう。詳述はしないが、端的に言えば「自由」に考えるのが大事だと思う。

高梨 雄介
上智大学法学部卒業後、市役所入庁。法務関係部門を歴任して数々の例規の起草、審査、紛争解決等に携わる。現在は公共団体職員として勤務の傍ら、放送大学で心理学を専攻中。

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