画期的な「肥満治療薬」の登場に沸く医療現場とその前途に横たわる問題とは?

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2型糖尿病や心臓病など、さまざまな病気の原因となる肥満は爆発的に増加しており、WHOは「2016年には成人の40%が太りすぎ、13%が肥満だった」と報告しています。週1回の注射で体重を30%減らせる画期的な治療薬を始めとするさまざまな薬剤や、それにまつわる医療現場の議論について、科学誌のNatureがまとめました。

The ‘breakthrough’ obesity drugs that have stunned researchers
https://doi.org/10.1038/d41586-022-04505-7

肥満を薬で治療するという考え方の先駆けとなったのは、ニューヨークにあるロックフェラー大学の分子遺伝子学者のジェフリー・フリードマン氏が1994年に発表した、レプチンというホルモンの研究です。その中でフリードマン氏は、満腹感をもたらす作用を持つレプチンを分泌できないようにしたマウスにレプチンを与えると、マウスが感じる空腹感が減少して体重が落ちたことを報告しました。


メリーランド州にある国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所肥満研究室の共同ディレクターであるスーザン・ヤノフスキー氏は当時の医学界の反応を「それは、肥満と食欲調節の背景にある生物学的基盤についての私たちの考え方に、まさに革命をもたらすものでした」と振り返っています。

この発見により、1983年に見つかっていたグルカゴン様ペプチド-1(GLP-1)というホルモンにも改めて注目が集まりました。GLP-1は血糖値の上昇に反応して小腸から分泌されるホルモンで、インスリン産生を高めて血糖値を下げる効果を持っており、インスリン産生が低下する2型糖尿病への効能が期待されています。

こうした研究が一定の成果を見せ始めたことを受けて、アメリカ食品医薬品局(FDA)はGLP-1にそっくりな成分の薬を2型糖尿病治療薬として承認し始めました。そして、治療薬が糖尿病の臨床試験に使われるようになると、科学者たちはすぐに被験者たちの体重も減少していることに気づきます。これは、GLP-1が食欲を抑制する脳の受容体と、消化を緩やかにする腸の受容体に働きかけることによる作用でした。

こうして本格的に肥満治療薬の研究が始まった2010年代半ばには、GLP-1受容体作動薬であるリラグルチドという薬が平均して8%ほど体重を落とすことができると発表されました。


さらに、2021年初頭にリラグルチドと同種の新薬であるセマグルチドの臨床試験結果が報告されると、科学者たちはその効果に驚かされることとなります。セマグルチドを週1回注射された患者は、16カ月間の治療で平均14.9%体重が減少しました。こうして、2型糖尿病の治療薬として2017年に承認を受けていたセマグルチドは、その4年後の2021年にFDAから成人の肥満治療薬として承認されました。

ドイツにあるヘルムホルツ糖尿病センター糖尿病・肥満研究所のティモ・ミュラー氏は、「薬理学的な手法で体重を10%以上、安全に減少させることは歴史的に不可能なことでした。しかも、新しい治療法は心臓の血管の健康も改善してくれます」と話しています。

また、近い将来チルゼパチドという一層効果的な薬が登場するかもしれません。このチルゼパチドは、GLP-1に加えてグルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド(GIP)という別のホルモンを模倣した成分も使用したもの。2022年に2型糖尿病への使用で承認されたこの治療薬は、高用量で使用した臨床試験で平均21%もの体重減少効果を発揮しました。

しかし、チルゼパチドが効果をもたらすメカニズムには不明な点も多く残されています。なぜなら、体重を落とすことがはっきりしているGLP-1とは逆に、GIPは肥満を促進するものだと考えられているからです。例えば、GIP受容体を機能不全にしたマウスを用いた試験では、マウスが肥満になりにくいことが示されていることから、研究者はこれまでGIPを促進するどころか、逆にGIPの働きを阻止しようとしてきました。


チルゼパチドを開発した製薬会社・イーライリリーと共同で研究をしてきたミュラー氏によると、GIPのおかげでGLP-1の副作用が抑制され、より高用量でGLP-1を使用できるようになっている可能性があるとのこと。また、従来は肥満を促進すると考えられたGIPにも、実は体重を減少させる効果があるのではないかとも考えられています。

一方、「チルゼパチドは単に強力なGLP-1の薬であり、GIPが含まれていること自体には意味がない」とする専門家もいるなど、チルゼパチドの作用機序に関する見解は科学者の間でも一致していません。この点は、イーライリリーが研究を進めているGIP単体の薬剤の試験結果によってはっきりするのではないかと期待されています。

その他のアプローチとしてはGLP-1、GIP、そしてインスリン分泌を促進する第3のホルモンであるグルカゴンの作用も模倣する「トリプルアゴニスト」の研究も進められています。また、他にも食欲に関係する腸内ホルモンのペプチドYYや、脂肪を減らしつつ筋力量を増加させるビマグルマブというモノクローナル抗体に注目している研究者もいます。


肥満治療薬にまつわる課題は、未解明のメカニズムだけではありません。肥満治療薬は吐き気や嘔吐(おうと)どの副作用が深刻であるため、薬を一生服用しなければならないのかという点は大きな問題です。例えば、セマグルチドの臨床試験の参加者のうち、薬の服用と生活習慣への介入を両方やめた人は、1年もすると減少した体重の約3分の2がリバウンドしてしまいました。

さらに、こうした治療薬は非常に高価だという点も問題に拍車をかけます。例えば、「Wegovy」というブランド名で市販されているダイエット用のセマグルチドの価格は1カ月分が約1300ドル(約17万円)もします。アメリカの多くの保険会社は、この治療薬を「虚栄心の薬」とみなして費用をカバーすることを拒否しているため、希望者は全額を自己負担しなければなりません。

また、そもそも肥満を治療すべき病であるとみなす風潮にも警鐘が鳴らされています。ある研究では、肥満とされる人の30%が代謝的には健康であることが分かったほか、また別の研究では体重より他の健康問題の方が死亡リスクの予測因子として有用であるとする見解も示されました。

フロリダ州のNPOであるObesity Action Coalitionで理事長を務めるパティ・ニース氏は、「肥満治療薬を画期的なものだという人もいます。しかし、こうした薬を買う余裕がなかったり、薬にアクセスしたりできない患者にとって、これがゲームチェンジャーになることはありません」と話しました。

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