オーストリア元国防相に聞く西バルカン諸国と欧州統合問題

アゴラ 言論プラットフォーム

オーストリアのヴェルナー・ファスルアーベント元国防相は11日、ウィーンの外交アカデミーで開催された「西バルカン諸国と欧州統合問題」に関する国際会議に参加し、会議開始前に当方とのインタビューに応じた。

▲インタビューに応じるファスルアーベント元国防相(2022年11月11日、ウィーン、ペーター・ツェーラー写真記者撮影)

会議は、国連経済社会理事会における総合協議資格を有する非政府機関(NGO)の「天宙平和連合」(UPF)と西バルカン諸国(アルバニア、ボスニアヘルツェゴビナ、コソボ、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ)の大統領経験者が集まった「Podgoricaクラブ」が共催したもの。会議のテーマは「西バルカンと欧州連合(EU)との関係、挑戦と展望」だ。

当方は、ファスルアーベント氏とは国防相時代の1991年5月、ウィーンの国防省で一度、会見したことがある。その時のテーマは中立主義と国際貢献問題だった。今回はロシアのウクライナ戦争下の西バルカン諸国と欧州統合問題を中心に聞いた。

――今回の西バルカン諸国と欧州統合問題のウィーン会議の意義について。

「ロシアのウクライナ侵攻が継続されている時、このような会議が開催されることには意義がある。欧州の安保問題は大きな変化の時を迎えている。特に、西バルカン諸国は歴史的に欧州の中でも最も不安定な地域だ。そこで生じた民族紛争は欧州全土ばかりか地中海東部地域の近東にまで多大の影響を与えてきた。その意味で、西バルカン諸国の情勢を理解することは大切だ」

――ロシアのウクライナ戦争での教訓は何か。

「教訓は、軍事力を行使して国境線を変更する軍事的試みは失敗したこと、そして将来も成功することはあり得ないということだ。欧州は統合と 多様性のあるシステムを構築し、各民族の特徴を維持する政治、社会体制を築いていくことが大切だ。その観点から、欧州連合(EU)は西バルカン諸国の安定問題では大きな枠割を担っている。同時に、北大西洋条約機構(NATO)もバルカン諸国間の民族的な紛争、軋轢を防止し、対立に代わって協調を促進することだ」

――西バルカン諸国の多くは久しくEU加盟を模索してきたが、まだ明確な加盟交渉の時期すら決まっていない。その一方、ウクライナはブリュッセルから加盟候補国に指名されるなど、西バルカン諸国はEUから見放されている、といった感じだ。

「EUはロシアと戦争下にあるウクライナを加盟国候補に指定することで、欧州統合に参加することが如何に重要かを示した。ウクライナ危機は西バルカン諸国のEU加盟も同じように緊急課題であり、ひょっとしたらもっと重要だということを示している。西バルカン諸国の諸問題の解決はEUとの大きな政治的な統合の中でしか見出すことが出来ないからだ」

――ロシアのプーチン大統領はウクライナへの軍事侵攻で守勢に回されている。プーチン大統領は核兵器の使用も考えているといった情報が流れている。元国防相はどのように受け取っているか。

「ロシアの指導者は核兵器を使用した場合、どのような結果になるかをよく知っている。核兵器を使用してはならないというタブーを破った場合、ロシアは世界から孤立し、同盟国すらロシアを排斥する動きが出てくるだろう。プーチン大統領の置かれた状況についていろいろ憶測が流れているが、核兵器問題でははっきりとしている。彼はその意味で合理的な人間だ」

――ところで、ロシア軍のウクライナ侵攻後、スウェーデンとフィンランドは中立主義を放棄して、NATO加盟を決定した。オーストリアも同じ中立国だが、将来、NATOに加盟するといったことは考えられるか。

「わが国の中立主義は北欧の中立国とは法的立場で異なっている。わが国の中立主義は憲法で明記されている。中立主義を放棄してNATOに加盟しようとすれば、憲法の改正が必要だが、そのためには議会の3分の2の支持がなければならない。現実は政治的にみて難しい」

――最後に、日本もウクライナ情勢について強い関心を示している。アジアの安保情勢をどのようにみているか。

「今回のウクライナ危機からの教訓は1カ国だけで国を守るということは難しく、同盟国との連携でしか安全は守れないということだ。日本の場合、同盟国との連帯でしか自国アイデンティティと安全を守ることはできない。極東、南アジア地域では中国が急速にその影響力を拡大してきている。日本を取り巻く安保状況は急変している。日本にとって最も重要なことは、先に述べたように同盟国との連携強化だ」

ヴェルナー・ファスルアーベント(Werner Fasslabend)元国防相
1994年3月5日、ニーダーエステラヒ州マーエッグ生まれ、78歳、1990年から2000年までオーストリア国防相を歴任、1999年から2007年まで国会議員、与党「国民党」所属。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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