ライターどうしでお互いの地元を紹介しあう地元もてなしツアー。3yk(みゆき)さんに、高校までをすごした千葉県成田市を案内してもらった。
成田というと全国的にもよく名を知られていて、一定のイメージがあるんじゃないかと思う。
でも今回のツアーでは、縄文土器・ハーレー・歩道橋の下の青春スポットなど、知らない成田をたくさん紹介してもらいました。
人気企画・地元もてなしツアーとは
もし地元に人が来たとしたら連れて行きたい場所、そんなとっておきの場所を案内しあうホスピタリティ無駄遣い企画。第4回は高瀬雄一郎さんと3ykさんの組み合わせです。
当記事は3ykさんガイドで高瀬雄一郎さん執筆のターン。
案内する人:3yk
案内する場所:成田
案内されて記事を書いている人:高瀬雄一郎
逆パターンの高瀬雄一郎さんが地元多治見を案内する記事は明日掲載予定
滑川(なめりかわ)じゃなくて滑河(なめがわ)
3ykさんと待ち合わせたのはJR成田線の「滑河(なめがわ)」駅。
成田というと、空港や、節分で有名な成田山新勝寺などにぎやかな場所のイメージがあったが、やってきた滑河駅はとても静かだ。
しばらくホームで写真を撮ってから改札を出ると、3ykさんが笑いながら待っていた。
でも何で僕が乗ってくる電車が分かったんだろうと思っていると、
これまたイメージになかった成田だ。
5才から高3ぐらいまでをこの町ですごしたという3ykさん。もともとは下総町(しもふさまち)というところで、中学生のときに合併して成田市になったのだそう。
つまり、今日はぜんぜん知らない・イメージにない成田を案内してもらえるということだ。楽しみです!
昔CD屋だったのはどっち?
今日は車で案内してくれるということで、まずは近くに停めているところまで、駅前を歩きながら紹介してくれた。
すると、3ykさんが思わぬところで立ちどまる。
思わず「(候補の建物は)どれとどれですか?」と聞きかえしてしまった。それぐらい、今はCD屋さんのおもかげはどの建物にも感じない。
でも3ykさんにとっては昔たしかにここにCD屋さんがあって、ただどっちの建物だったか分からないぐらいにはうっすらしている。
「あっ、おもてなしだ」と思った。ここに暮らしていないと絶対に知りえないことを教えてもらえるって、すごく特別なことだろう。
地元での生活と個人的な思い出とうっすらした記憶におじゃまさせてもらう。これが地元もてなしツアーか!
いろんなところに知り合いの影
ではここで、3ykさんが教えてくれた中から特に地元を感じられるエピソードを3つ紹介させてください。
1.腸へいそくを治してくれた病院
3yk:先生が「原因は全然わからないけどかわいそうだねぇ」って言いながらお腹をさすり続けてくれて、そのさすりで腸のねじれがとれて治ったんです。
手術の腕とかではなく、もっと直接的なゴッドハンドだ。
2.ドラッグストアはイノベーション
3yk:
町いちばんのイノベーションでした。みんな「文明がきた!」って。
ちょうど中学生のころで、お化粧に興味がある子にとっては電車にのって成田駅まで行かなくてもコスメが買えるようになったんですよ。
思春期に、そういう興味あるものが近くで買えるかどうかってすごく大きいことだろう。
当時メイクがしたかった子はほんとに嬉しかっただろうなと、しみじみ思いをはせてしまう。
3.家出した弟が自転車ではしった川原
3yk:
わたしが高校生のとき、中学生の弟が「自転車で京都までいく」っていって家出したんですけど、そのとき弟がはしった川原です。
家出なのに、親の携帯を持ってって1時間おきに居場所を電話してきて、かわいかったんですよ。
朝に家出が発覚して、これはおもしろいことになったぞ!と思って学校休んで動向を見まもってたら、お昼ごろに「もう無理」って連絡がきたんです。けっこう走ったけどぐるっとまわって隣駅にもどってきちゃったみたいで。
母がむかえにいって、私は家でゲラゲラ笑ってました。
なんてほほえましい家出エピソードだろう。
さらにこの日は、行く先々で3ykさんの知り合い情報が登場した。
こうやって行く先々に知り合いの影があるのも、まさに地元という感じでたまらない。
ツアーの本編はこれからなのだが、あまりの地元エキスの濃さに早くもホカホカに楽しくなってきたぞ。
家の畑から縄文土器がでた
そんな3ykさんが最初に案内してくれたのは「成田市下総歴史民族資料館」
中に入ると、
下総町で出土したという立派な縄文土器がたくさん展示されていた。
するとここで、3ykさんがさらっとすごいことを教えてくれる。
3yk:うち、なぜか家の畑からめちゃくちゃ縄文土器が出土してて、土器の破片がゴロゴロでてきてたんですよ。
えっ!?
くり返しになるが、さらっとすごいことを言っている。
聞けば、3ykさんのご両親が実家のとなりで農業をやっていて、その畑では掘ればすぐ土器のカケラがでるような状態だったそうだ。
後ほど、ご実家の畑があった場所にも案内していただいた。今はもう畑は返してしまったそうで、
それはぜひやりたかった。
そして「芋ほり」ぐらいの気軽さで出てくる「土器ほり」。まるで資料館の有料ガイドをお願いしたかのような、すごいお話を聞かせてもらった。
さて話を資料館にもどすと、土器以外にも展示が充実しまくっている。
さらには、『電化製品のある暮らし』から『日本脱獄史』まで、趣味であつめたんじゃないかと思うぐらいいろんなジャンルの蔵書もあり、かるく1日はすごせそうな充実の資料館でした。
こわくて入れなかった食品自販機コーナー
つづいてはお昼ごはん。でもこれから行く場所は、3ykさんがずっと気になっていたけど怖くて入れなかった場所だという。
どういうことだろうか?
うっそうと木がのびる道をすすむと、突然あらわれたのがこちらの「オートパーラーシオヤ」だ。
中に入ってみると、そこにはあまりお目にかかることのないレトロな食品自販機がたくさん並んでいる。
この場所はご実家から駅にむかう道の途中で、毎日のように通っていた3ykさんにとって、小さいころからずっと気になるお店だったという。
でも当時からすでに建物も自販機もかなり古く、薄暗いし、人がいるのも見たことないしで、おっかなくて入れなかったそうだ。
そんなオートパーラーシオヤにとうとう足をふみいれる3ykさん。
「あやしいでしょ?めちゃくちゃあやしいですよね?」
「うわー、なんか緊張してきちゃった」
「えっ?人いるなけっこう。人いるの初めて見た!」
小さいころから入ってみたかった場所だ。すごく興奮しているのが伝わってくる。
そして、当時から「ほんとに食べれるものが出てくるのか?」と思っていたというハンバーガーを食べてみることにした。
パンの中には、昔お弁当のおかずに入ってたような甘いてり焼きソースのハンバーグがちゃんと入っていた。なつかしい味がする。
3ykさんの念願がかなって本当によかった。
ファミレスともコンビニともサービスエリアとも違う、このオートパーラーシオヤの雰囲気を味わうとともに、人の人生の節目(合ってますよね?)にも立ちあわせてもらえた。
栗ようかんの栗を補修するアルバイト
ここからは電車で10分ほどの成田駅に移動し、高校時代の思い出を紹介してくれるという。
そしてそこから少し歩いて成田山の参道へ。おなじ成田市内でどんどん景観が変わっていく。
3ykさんは高校生のころ、この参道が人であふれかえる年末年始だけ2つのお店でアルバイトをしていたそうで、そこに連れていってくれるという。
まず案内してくれたのはこちらの米屋総本店。明治32年からやっている老舗の和菓子屋さんだ。
こちらで有名なのが栗むし羊羹(ようかん)。3ykさんはこの製造ラインに入り、栗がとれてしまっていたらあんこを接着剤がわりにして補修する仕事をしていたそうだ。
ようかん専門の資料館
そして3ykさんには、当時この米屋さんのなかで気になっていた場所があるという。
それはお店の中ではなく、その奥にある「成田羊羹資料館」。アルバイトをしていたときは、業務が終わる時間にはもう閉まっていて入れなかったのだそうだ。
先ほど見た成田の歴史資料館は、土器だナウマン象だと、長くて広い成田の歴史をテーマにしていた。
それに対してこちらはようかん一本。どこまで広げられるのだろうと思いながら入ってみると、
そこには、思っていた何倍も広いようかんワールドが広がっていた。
ようかん界のApple
中に入ると、館長さんがつきっきりで解説をしてくれた。
それによると、米屋が創業した明治~大正のころ、成田山の参道には20件以上のようかん屋があり、一時のタピオカ屋のような激しい競争をしていたのだそう。
そんな中で米屋さんは、他にはない新しいことに取りくみつづけて今日まで生き残ってきたのだという。
例えば、
1.ようかんをハーレーで運ぶ
まだ参道の舗装がされておらず、HONDAのバイクもなかった大正時代。創業者の諸岡長蔵さんはアメリカからハーレー・ダビッドソンのバイクを輸入し、そこにようかんを積んで扱ってくれるお店まで配達していたのだそうだ。
2.缶の水ようかん
これを最初に開発したのは米屋さん。手軽な1人前サイズと日もちのしやすさで、お中元としてバカ売れしたとのこと。
3.ポケットサイズのようかん
さらに昭和の時代、これからは家や職場だけじゃなく移動中にもようかんだ!と考え、ポケットサイズのようかんまで発売している。
斬新な発想・新しい様式での提供・そして持ち運びやすさ重視。米屋さん、まるでようかん界のAppleだよ。
正直なところ、ようかんってもう安定しきっていてこれ以上変わることはないものだと思っていた。でもこの歴史を見ると、まだまだこれからもようかんが何か仕かけてくることはありそうだ。
楽しみにしてるぞ、ようかん!
軽い気持ちではいった羊羹資料館だったが、最終的には「楽しみにしてるぞ!」とようかんにエールをおくるまでに仕上がっていた。
これはとにかく館長さんの熱量によるもの。ちょっとのぞいてみようぐらいのつもりが、気づけば40分ぐらいようかんの解説を聞いていた。
今でもハーレーでようかん運ぶのやってほしいですよね。なんて余韻にひたりながら、もう1つのアルバイト先だったお煎餅屋さんに向かうと、
もしこの記事を読んで羊羹資料館にいってみようと思った方がいたら、ぜひ時間に余裕をもって行ってほしい。
その後、3ykさんが高校時代に乗りかえと電車まちをしていたJR・京成の成田駅あたりをぐるっとまわって解散した。
行きつけのお店がチェーン店になってるのも、久しぶりに帰った地元あるあるだ。
最後まで地元エキスたっぷりの大満足ツアー、ありがとうございました!
yac’sのロゴTシャツが出たらほしい
1日のツアーを終えて、いま僕は成田に、下総町にちょっと愛着がわいている。
滑河の駅前にCD屋さんが復活したら見にいきたいし、ドラッグストアyac’sのロゴTシャツが発売されたらほしい。そしてもしも土器ほりができる機会があったなら参加したい。
これはただの旅行にいったのではなく、生活の端っこにおじゃまさせてもらったからだと思う。
地元もてなしツアー、観光の一歩先の良さがあるので、みんなやってみてほしい。
3ykさんの地元エピソードについては、ぜひこちらもご覧ください。
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