安倍元総理国葬儀:今日をどういう一日にするのか

アゴラ 言論プラットフォーム

7月、岸田総理が国葬を決定された際にも国葬についてこのブログに書かせて頂きましたが、あれから2か月。今日は、いよいよ安倍元総理の国葬儀が執り行われます。私も参列させて頂き、安倍元総理に衷心よりのご冥福をお祈り申し上げるとともに、日本という国が暴力に屈することのない、平和と自由を愛する民主主義国であることを示し、弔意を表してくれた全ての国の方々に御礼申し上げたいと思っています。

そして、今日だけは、日本国民の皆様が、同様の気持ちで安倍元総理のご冥福を祈って頂きたいと心から願います。

この2か月を振り返ると、安倍元総理が理不尽に殺害されたこと、というより、それをきっかけに明らかになった統一教会自体の問題(霊感商法、信者に対する過度な寄付強要、二世信者の不幸、日本で資金集めして韓国他世界に貢いでいることなどなど)、統一教会と議員との関係の問題ばかりをTVマスコミは取り上げてきました。そして、国葬に対する世論が二分される状況に変わってしまった。

自民党は、統一教会との関係を断つことを明言しました(私自身は、幸いというべきか、大学時代の原理研のイメージが悪すぎたため、自分が意識できる範囲では関わりを持たないようにしてきました)。

統一教会自体は問題があることは明白ですし、二世信者や霊感商法での個人の生活の破綻などが起きている事態も異常です。こうしたことが二度と起きないようにするための規制措置を作っていくべきだと思います。

それでも、安倍元総理に対する国葬儀と統一教会自体の問題を一緒くたにすることは間違っています。国葬反対論者たちは、いろんなことを断罪していますが、亡くなられたご本人は反論する機会すら与えられていない。フェアではありません。

いかなる理由があれ、暴力で他人の命を奪うことは間違っている。安倍元総理は、殺害されたのです。選挙の最中に。

そして、安倍元総理の御功績には変わるところはありません。たとえ安倍元総理の政策や思想を支持していなかったとしても、そのように凶弾に倒れたリーダーを悼むことは一致するべきところではないでしょうか。

世界の国々はいち早く国を挙げて弔意を示して下さった。議会で弔意の決議をした国、公共施設をライトアップした国(台湾は銅像まで)、首脳はじめとする多くの各国要人達が、安倍元総理の死を悼み「日本国見の皆様とともにある」とのメッセージを送ってくれました。

しかるに、日本人は一体何をしていたのでしょう。2か月もの間、国会にてまともな弔詞一つ読めない日本の政治を私は恥じます。こうした安倍元総理の死を悼んでくれた諸外国から、一体日本はどう見えているでしょうか。

手続きについては、法的には内閣が決定できることだったと思いますが、もっと丁寧に国会にも(野党にも)理解を求めるプロセスがあった方が良かったかもしれません。でも、それでもマスコミあげて国論を二分するような状況を作り出すことは違和感を禁じえません。

もっとも、こうして国葬について議論を呼ぶことも、安倍総理が「戦う政治家」であったことの証左かもしれません。みんなに迎合して批判を避けてきたら責められることもなかったでしょう。しかし、日本の針路にとって本当に必要な様々な決断を行うこともできなかったはずです。

これまで、戦後国葬にふされたのが吉田茂元総理であるということはとても示唆的だと思います。なぜなら、安倍総理は、「吉田路線」を転換した総理だからです。

軽武装で米国に安全保障を「お任せ」し、日本自身は自分の国のことなのに自分の国を自分で守らない、そして経済復興に専念する、という「吉田路線」。これを明確に転換したのが安倍総理です。しかもとても洗練された鮮やかなやり方で。それが、「自由で開かれたインド太平洋」という外交戦略であり、平和安保法制筆頭とする日本を自縄自縛にしてきた制約の解除解放です。

今日、国葬儀に参列させて頂き、心から、安倍元総理に感謝を申し上げ、衷心よりご冥福をお祈りし、御遺志をついで日本を守り抜いていくことをお誓いしたいと思います。そして、多くの国民の皆様と共に、200を超える外国から弔問に来て下さった700名もの方々に心から御礼を申し上げたいと思います。

最後に、国葬は、日本という国の意思を示すものです。日本は、平和と自由と民主主義を愛する国であることを示す国葬となることを心から願います。それでは行ってまいります。


編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏(自由民主党、大阪選挙区)の公式ブログ 2022年9月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。

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