なぜFIREがいまだに注目されるのだろうか:しかし基本はムリです

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FIRE, Financial Independence, Retire Earlyの略で経済的自立をして早く退職しよう、という意味で数年前からにわかに話題になっていたのですが、未だにそれに対する憧れは消えないようです。

私の経営するマリーナに停泊するあるボートの女性オーナーは夫婦子持ちでしたが、経営していた水道工事会社を売却し、離婚もし、子供は巣立ち、身軽になってFIREしました。40代です。その方の経済的背景は詳しくは分かりませんが、立派なボートをお持ちなのできっと親から引き継いだ会社や資産があったのかもしれません。

Joaquin Corbalan/iStock

私がかつて大変世話になった当地の建設会社が別の会社に静かに買収されました。創業者が2年前に亡くなり、創業家が事業を支援していましたが、経営は別の方が長年指揮していました。創業家が指揮しない会社は愛着がないのでしょうか?あっさりと株式が譲渡されましたが、社名はそのままで当面は現体制で運営するようです。通常、中小企業の買収の場合、それまでの社長や経営陣が2-3年間そのまま残り、時間をかけて新会社に引き継ぐクッションを置くケースが多いようです。その間、新オーナーから給与をもらいながら新体制への移行を手伝うわけです。のちに創業家は莫大な現金を手にし、FIREするのでしょう。

当地では世代替わりに伴う中小企業のM&Aが非常に活発です。周りで会社の看板が突然変わったと思ったらM&Aを疑え、と言うほどです。事実、私の事業の周りでも検討案件はあるし、私に対してM&Aの声をかけてきた人もいます。その時は「ははは、私はまだ30年、リタイアしないよ」といったらあっさり引っ込みました。

かつては体力的に経営が厳しくなる80歳ぐらいになってしょうがなくて事業を売るというスタイルだったと思いますが、それは創業者が会社への愛着を持っているからでカラダの限界まで頑張ってしまうことが背景でした。ところが、事業が子の世代に引き継がれたとすれば愛着度は急速に下がるのはやむを得ません。ましてやその子供たちがその会社や業界でそれなりの経験があればまだしも、突然、降って湧いたような「身内の事業継承」は「まじ?無理でしょ?」だろうと思います。

もう一つは世の中が複雑になり過ぎたこともあります。正直、私も日々、経営をしていて30年前に比べてなんて堅苦しい時代になったのだろうと思います。コンプライアンス、ガバナンスからはじまって経理、財務、法務だけでもぞっとするほど新たなルールが次々生まれ、本業はそれに輪をかけたようにどんどん進化するので長年そのスピードに乗ってキャッチアップしていないとまず振り落とされる、これが実態です。後継者からすれば「もうやってられない」というのがFIREの本当の背景のような気もします。

ではFIREは現実的か、であります。どれを見ても必ず出てくるのが25倍と4%の話。年収の25倍を貯めよ、そして4%の利回りでそれを運用せよ、であります。年収の25倍といえば仮に600万円の人なら1億5千万円です。可能ですか?それと4%のリターン、日本で期待することはできますか?もちろん、できると豪語する人もいるでしょう。しかし、基本はムリです。25倍という数字が曲者であって、いくら貯金があればリタイアできるかという発想に切り替える方が良いでしょう。

仮に1億円貯めて3%で廻しても年間300万円の利息や配当です。そこで元本を少しずつ取り崩して年間500万円程度の自由なお金があれば月40万円相当ですので暮らせなくはありません。但し、これは税金を考慮していません。それ以上に1億円貯められた人に月40万円の生活は寂しいものかもしれません。とすれば株や不動産で「爆勝」を連続で何度もしない限り、一般のお勤めの方には非現実的だと思います。

上に書いたように私の周りでFIREできるのは事業者やそれなりの資産家の方です。ではそれらの人が本当に幸せなライフを送っているのか、といえば私がざっくり見る限り「歳を取るのが早い」という気がします。まだ年齢は若いのに見た目がおじいさんとか。

理由は生活のハリだと思います。「ストレスフルな仕事はもう嫌だ」と思って退職する方も多いと思いますが、人間にある程度のストレスはかけ続けないとダメともされています。塩と同じで摂り過ぎもいけないけれど摂らない訳にもいかないということです。が、FIREして毎日が日曜日になると犬の散歩したらあとはソファーに貼り付く、自分の友人はみんな働いているから遊んでくれないわけですから世の中のスピードからはどんどん置いて行かれてしまいます。

また一旦家でまったりするとアルバイトすら復帰するのが難しくなります。人生80年とか90年の時代に3-40年もソファーに貼り付きたくはないと私は思っています。あくまでも個人の価値観なのでこれが正しいという答えもないと思いますが、時代と共に流行り廃れがある中で複雑で難しい世の中でFIREをしたいという願望があるのは「振り落とし」という社会的背景が理由なのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年9月16日の記事より転載させていただきました。

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