防災の日に、孤独死について考える

アゴラ 言論プラットフォーム

9月1日は防災の日。この日に決められたのは、1923年に発生した関東大震災に由来しています。また、9月1日は子どもが一年で最も孤独感を募らせる日でもあります。

私自身は、2年前の豪雨災害により甚大な被害を受けた人吉に滞在しています。午後に復興に向けた取り組みについて発表する予定です。

孤独死〜被災地で考える人間の復興

大震災から二ヶ月あまり後、地元の新聞に「孤独死」というマスコミの造語が登場して以来、たちまち短時日にそれが被災地で広く流行していったのには理由がある。震災直後、肉親、住居などなにもかも喪失して、厳しい逆境を強いられた被災者が”孤立”の果てに死んで行くことへの共感の言葉として、「孤独死」は言いしれぬ哀切な響きをもった。(p6)

”孤独死”とは単なる”独居死”ではない。貧困の極みにある一人暮らしの慢性疾患罹病者(アルコール依存症も含めて)が、病苦によって就業不能に追いやられ、次いで失職により生活崩壊という悪性の生活サイクルに陥り、最終的には持病の悪化、もしくは新たな疾病の合併が引き金となって、死に追いやられるケースがあまりにも多い。

『孤独死〜被災地で考える人間の復興』(額田勲, 2013)

孤独孤立大臣がおかれ、「孤独死」が注目されることが増えました。この言葉が初めて使われたのは、阪神大震災です。被災地に診療所を開設した一人の医師が、孤独死の現場を丹念にあるき続け、その実態を明らかにしたのが本著でした。孤独死や被災者支援に関わる方にとっては必読の一冊です。

孤独死はけして本人の自己責任ではなく、社会的孤立を強いられる社会環境が残され、生活が崩壊、アルコール依存などになり、結果的に孤独死に至ったと筆者は喝破します。額田さんは、このことを「緩慢なる自死」と表現しました。

額田医師の発信により、社会は少しずつ孤独死に対応しています。東日本大震災でも同様の傾向がみられましたが、「心の復興」という考え方のもと、被災者への見守りの取り組みは進められています。人吉もそうですが、その後の災害でも、「地域支え合いセンター」という仕組みを各地の社会福祉協議会が運営しています。

ただ、社会的孤立の問題は見えにくい面があります。被災地では比較的孤立しやすい方を見つけやすい面がありますが、たとえば原発事故による全国に避難された方や、あるいはコロナ禍の中で仕事を失い、希望をうしなかった方は見出しにくく、別の方法論も必要になります。

9月1日、災害や孤独に思いを馳せる一日です。

xijian/iStock


編集部より:この記事は、一般社団法人RCF 代表理事、藤沢烈氏の公式note 2022年9月1日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は藤沢氏のnoteをご覧ください。

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