田原総一朗氏「日本を『戦争ができる国』にしない」に異議あり!

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ジャーナリストの田原総一朗氏が自身の公式ブログにて「8月に誓う、「日本を『戦争ができる国』にしない」との論題の文章を公表した。

その文章には田原氏の従兄弟2人が先の大戦で命を落としたこと、母方の叔父は出征し、命は助かったものの、帰還後、精神を病んだことなどが記されている。その上で、田原氏は「私はこの話を思い出すたび、切なさに胸が痛む。戦争というものは、命を奪い、また人間性をも破壊する。決して戦争は起こしてはならない、と強く思うのだ」と記すのである。

ウクライナとロシアの戦争 ゼレンスキー大統領Fbより(編集部)

田原氏の亡くなられたご親族には心からの哀悼の意を表したい。そして、田原氏が言われる戦争とは「命を奪い、また人間性をも破壊する」ものであること、「決して戦争は起こしてはならない」というご意見にも激しく同意する。

しかし、『身体を張ってでも、日本を「戦争ができる国」にしてはならないと強く心に誓っている』との一文には、疑問を感じざるを得ない。特に、戦争体験者が上記のような思考になってしまう事は、心情として理解できる。田原氏がいう「戦争ができる国」というものが、具体的にどのような事を指すかは分からない。だが、ウクライナとロシアの戦争を見て、他国に容赦なく攻め入って民間人を殺戮していく国が近隣にある事は一目瞭然だろう。

また、中国や北朝鮮など、人権を無視し、他国を軍事力で脅し、攻撃をしかけてきかねない国がある事も事実。そうした国々がもし、日本に攻めてきた時、日本が「戦争ができない国」であったならば、どうなるか。一方的に日本国民の多数が殺されて、日本は降伏。敵国の占領下となるだろう。

しっかりした、攻撃・防御の備えがあったならば、失うことはなかったかもしれない人命が失われるのである。これは日本が「戦争をできる国」となっていなかったがために犠牲となる人々と言えよう。

私も戦争の話は、祖父母からよく聞いた。空襲で人々が亡くなっていく戦争の悲惨さも聞いた。

が、祖父母はそれでも、日本を「戦争ができない国に」とは言わなかった。戦争は悲惨なもので、起こしてはならないという事はよく言っていた。しかし、同時に、いざという時のために、しっかりした備えはしておかなければならないという考えでもあった。私もそう思っている。

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