ある朝のことでした
目が覚めると両手がハサミになっていた。
まさか、と思いメガネを探すが、ハサミの手ではそれも難しい。
やっとのことでメガネをかけると、ようやく状況を把握することができた。
あ、やっぱりハサミになってる。なんだよこれ。
だけどこうなってしまったのも心当たりがないわけではない。昨日の夜、ラーメンのパッケージを開けようとしたのだがどうしても開けられなかった。台所を探してもハサミが見当たらない。酔っていたし、イライラした僕は「こんなとき手がハサミだったら便利だろうな」と心の中でつぶやいたのだ。
だからって本当にハサミにすることないだろう。どうすんだよ、これから。
だけどせっかくの経験なので、手がハサミになった場合、本当に便利なのかどうかを生活しながら確かめてみたいと思います。
とりあえず生活してみよう
手がハサミになってしまったからって悲嘆にくれてばかりもいられない。ちゃんと毎日はやってくるのだ。その証拠にいつも通りに便意をもよおした。
パンツを下ろすのに多少苦労したが、なんとか用を足すことができた。だけど本当の問題はこの先にあった。そう、手がハサミだと紙類が扱えないのだ。いきなり実用に支障をきたしている。まあたぶん拭いたら拭いたでたいへんなことになったんだろうから、事前に止まってよかったのかもしれない。
手がハサミだからって食事はとらなくてはならない。そう思いサンドウィッチに手を付けたがやはり口に運ぶ前に切れた。
しかしよく考えたらカニとかエビとか生まれつき手がハサミだ。なのにああやってポジティブに生きているじゃないか。後から同じ状況に置かれたとはいえ、より高等なヒトが順応できないはずはない。ということでめげずにバナナを食べたい。
両のハサミで上手に食べます。
だけどちょっと力を入れると切れちゃうので注意が必要。
結局ろくに食事を取ることすらできなかった。キャップを切って中身を吸うだけ、みたいなゼリー状の食事を買ってこよう。手がハサミになると食生活も変わるのだ。
食事はいいので仕事に出かけよう。「手がハサミになったので休ませてください」なんて上司に電話をかけたらたぶん「もうずっと来なくていいよ」って言われるだろう。大人としてこのくらいのことでは休んでいられないのだ。
でもネクタイを結ぼうと思ったらつい力が入って切っちゃった。
まあいい、どうせ僕はスーツを着るような仕事ではないのだし、やってみたかっただけなのだ。適当に着替えて仕事に出かけようと思う。
外に出ました
手がハサミでも歩いて仕事に向かおう。人の目は特に気にならないが、銃刀法違反とかで引っ張られないか、それだけが心配だった。
いつも歩いている道には雑草が茂っている。気にはしていたのだけど、わざわざ自分が掃除するのも面倒くさいと思っていたのだ。だけど今日は手がハサミだ。気づいたときにすぐ剪定できる。
ざっくざっくざっく。手がハサミだから雑草もどんどん切れる。ようやくこの体になったことのメリットを感じることができた。人の役にたつって気持ちがいい。写真では瞳孔が開いているように見えるが、おそらく喜びをかみしめているのだ。
しかしその他の日常生活では「手がハサミになってよかった」と思えるような状況は特になかった。パソコンを使おうにもハサミでは左右合わせて最大4つまでしかキーが押せない。
お店でおつりを渡そうにもハサミだと苦労する。物理的に苦労する、というよりもお客さんを前にしてハサミでお釣りを運ぶというのは「あなたの手に触れたくないので」みたいに見えて感じが悪い。
やかんなど熱い物や、逆に氷など冷たい物を触るときにはハサミは便利だと思った。ただ、触るだけで何もできないので問題は解決しない。
不便な世界です
ということで手がハサミになった場合、予想通り不便なことの方が多かったです。この世界は特殊な人には住みにくいのかもしれない。
もしかしたら他に選択肢がなく「このままずっとハサミで暮らせ」と言われたのならばもっと工夫して便利に暮らすことを考えるかもしれません。だけどハサミの手では愛する人も傷つけてしまいそうです。全体にアルコールが入ったような内容でしたが、終始しらふで書いております。続編も検討中ですのでよろしくお願いします。
