2020年3月、JR山手線に高輪ゲートウェイ駅が開業した。山手線に新しい駅ができるのは46年ぶりのことで、当時はいろいろとニュースになった。
あれから2年と3ヶ月。
そういえば、高輪ゲートウェイ駅の辺りって、あれからどうなったんだろう?
TAKANAWA NOBODY
高輪ゲートウェイ駅が開業した日、路線図マニアの僕もその場にいた。
「高輪ゲートウェイ」という長い駅名がどうやって路線図に入ったのか気になって、現地まで確認しに行ったのだった。
(※参考:「高輪ゲートウェイ」を路線図にどうやって入れるか)
もともと高輪ゲートウェイ駅が作られた場所は、JR東日本が所有する車両基地の土地だった。
田町駅と品川駅のあいだにある、この広~い土地の一部に「ここを再開発してビルをいっぱい建てるぞ!」となり、じゃぁまず駅がいるよねーと先にできたのである(ざっくりした説明)
なんにもないところに駅ができるのはよくある話で、駅を起点に街が発展するもの。
高輪ゲートウェイ周辺もいろいろ計画があったけど、コロナ禍になったり東京オリンピックが延期したり遺構(高輪築堤)が発掘されたりで紆余曲折あった。
あれから2年と3ヶ月。
そのあいだ、高輪ゲートウェイ駅で降りる用事もなく暮らしてきてしまった。誕生から2年も過ぎれば、子供ならイヤイヤ期に突入しているころである。そろそろ大きくなっただろうか。ホームに降り立ってみる。
あれ、どういうことだこれ。駅のイヤイヤ期ってこんな感じなのか。
気になりつつもエレベーターで上に登ってみる。
このとき、平日の朝10時前。通勤ラッシュは過ぎたとは言え、山手線の駅であることを忘れそうになる。
しばらくして気づいたけど、ここ、改札と反対側なのだ。
高輪ゲートウェイ駅の改札は北側に1つだけで、南側の出口はまだ工事のため閉鎖されている。それで階段も登れなくなっていたみたい。
それは人の流れもないわけだ。改札のある北側に回り込んでみる。
もちろんずっと誰もいないわけではなくて、乗り降りするお客さんもいる。でも、1回に数人程度なので、「人がいなくなる瞬間をじっと待って……」と構えなくても、あっさり上のような写真が撮れちゃう。
駅舎自体が立派なだけに、人がいないギャップにそわそわする。外はどうなってるんだろう。改札を抜けた。
改札を抜けると絶景工事ビュー
開業した日はあいにくの雨だったが、この日は快晴。太陽の下の高輪ゲートウェイ駅を初めて目にする。
高輪ゲートウェイ駅の改札は地上2階部分にあり、高架上の通路から辺りを見回すことができる、
さて駅周辺はどうなってるかというと……それがもう、絶賛工事中であった。
ちょっと思い出してもらうために、開業当日の写真をもう1回貼りますね。
ほぼ同じアングルで撮った、今の姿がこれです。
あの仮設テントはすっかり姿を消し、右も左も重機でいっぱい。
2年以上経っても建物はゼロ。土木や建築のことはよくわからないけど、たぶん、これから高層ビルを建てるための大事な基礎工事なのだと思う。それがテンションMAXで繰り広げられているのだ。
いったい何をやってるか全然わからないけど、大きな機械がブンブン動いているのは活気があふれていて気持ちが良い。
工事現場で働く車が大好きなお子さんがいたら、ぜひ次のお休みはここに連れてきてあげてほしい。絶対喜ぶ!
高いところから安全に重機の活躍を眺められる絶景スポット、それが現在の高輪ゲートウェイ駅だ。
駅前はどうなっているのか
絶景工事ビューとはいえ、ここで降りる人がみんな重機に釘付けなわけではない。
みんな改札を抜け、高架の通路を通り、地上に降りてどこかに行ってしまう。
急に日常が現れて声が出てしまった。雑多に駐輪された不揃いな自転車たち、「契」「約」「者」「専」「用」とA4で1枚ずつ印刷された貼り紙。
全てが計算された近未来的な駅舎を見ていたせいか、自転車置き場のランダム性に強い日常を感じる。整っていないところに暮らしってある。
地図の真ん中を縦に貫いているオレンジの線が国道15号(第一京浜)。この道の左側が再開発地域で、右側にオフィス街や住宅地、都営浅草線の泉岳寺駅などがある。
高輪ゲートウェイ駅があるのは、再開発地域のど真ん中。つまり、街に出るにはさっきの工事現場をグルッと回り込まないといけない。
というわけで、高輪ゲートウェイ駅で降りた人はこんな感じの道を歩くことになる。
JR東日本のプレスリリースによれば、高輪ゲートウェイ駅前には2024年度末に、その他のエリアについては2025年度内に複合施設や住宅棟ができるそう。
あと2〜3年くらい、高輪ゲートウェイ駅前はこんな感じの光景が続く。
逆に言えば、誰もいない駅が撮れたり、遠くのクレーンを眺めたり、白い壁のそばをずっと歩けるのも今のうちだ。
てんやわんやは今だけ
再開発が終わった後の高輪ゲートウェイは、それはそれはシュッとしているだろう。
その「シュッ」になる前の、てんやわんやな状況を体験できるのは今しかない。回り道を歩くのは大変だけど、あとから「そういえばアレ大変だったな」と思い出になるかもしれない。
息子と歩きながら、そういえば子育てもそんな感じだったなと思ったりした。