マッハ3.2で空中分解したSR-71「ブラックバード」パイロットの体験記

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2022年06月11日 18時00分
メモ


by Harley Flowers

米ソ冷戦期、敵レーダーを回避して高速で飛行する偵察機としてロッキード・マーティン社が生み出したのが、巡航速度マッハ3.2の超音速機「SR-71(ブラックバード)」です。1964年12月22日に初飛行し、1966年にアメリカ空軍に引き渡されたのですが、引き渡しの直前に機体が空中分解する事故が発生しています。このとき何が起きたのか、テストパイロットとして当該機に搭乗したビル・ウィーバー氏による手記が公開されています。

SR-71 Pilot explains how he Survived to his Blackbird Disintegration at a Speed of Mach 3.2 – The Aviation Geek Club
https://theaviationgeekclub.com/sr-71-pilot-explains-how-he-survived-to-his-blackbird-disintegration-at-a-speed-of-mach-3-2/

1966年1月25日、ロッキード・マーティン社のテストパイロットだったウィーバー氏は、飛行試験偵察・航法システム専門家であるビル・ツバイヤー氏とともに、カリフォルニア州エドワーズ空軍基地でSR-71の試験に挑みました。ウィーバー氏らが行っていたのは機体の評価、およびトリム効力(航空機にはたらく空気抵抗)を減らして、高マッハ巡航性能を向上させるための方法の調査でした。後者の調査では、重心位置を通常よりも後方にずらし、SR-71の縦方向の安定性が損なわれた状態での飛行試験が行われました。

ウィーバー氏がパイロット、ツバイヤー氏が後部座席にRSO(Reconnaissance Systems Officer:偵察システム士官)として搭乗し、SR-71は11時20分にエドワーズ空軍基地を離陸し、ミッションの第1行程を終了。KC-135から空中給油を受けた後、マッハ3.2の巡航速度まで加速し、最初の巡航上昇高度である7万8000フィート(約23.8km)まで上昇しました。

ウィーバー氏によると、巡航開始から数分で右エンジン吸気口の自動制御システムが誤作動を起こし、手動制御に切り替えなければならなくなったとのこと。SR-71の吸気口は超音速飛行中に自動的に調整され、ダクト内の気流を減速させ、エンジン表面に到達する前に亜音速まで減速させる仕組みになっていました。しかし、適切なスケジューリングがなされないと、吸気口内の乱れによって衝撃波が前方に放出される「アンスタート」という現象が発生します。これはエンジンの推力が一瞬にして失われ、爆発音がして機体が激しくヨーイングし、まるで列車事故に遭遇したような状態になるとのこと。SR-71の開発当時は、このアンスタートは珍しいことではなかったらしく、システムが正常に機能すれば衝撃波を吸収して正常な動作を取り戻すことができるはずでした。

by José Luis Causarás Castelló

しかし、プログラム通りに機体が右方向へ傾くよう動作したものの、右エンジンですぐに「アンスタート」が発生し機体は時計回りのローリングを始め、その後ピッチアップ(機首上げ)の状態になりました。ウィーバー氏は操縦桿を左前方に目一杯押し込んだものの反応はなく「これは大変なことになると思った」とのこと。

ウィーバー氏は「ジムには何が起きているのかを伝え、低速・低高度になるまで機体から脱出しないようにと伝えました。マッハ3.18、高度7万8800フィートでは、脱出に耐えられる可能性はあまり高くないと思ったからです。しかし、G(重力加速度)が急速に増加したため、私の発した言葉は意味不明なものになっていたことが、後にコックピットボイスレコーダーで確認されました」と当時を回想。

「すべてがスローモーションのように展開されました。後で知ったことですが、制御された飛行の状態から機体が大破するまでの時間はわずか2〜3秒でした。ジムとコミュニケーションを取ろうとしたまま、私は意識を失い、非常に高いGに直面しました。そして、SR-71は文字通り私たちを取り囲むように崩壊していきました」とウィーバー氏。空中に放り出されて意識を失ったウィーバー氏は、数秒で意識を取り戻したものの、フェイスシールドが凍り付いていて外の状況を確認することはできませんでした。

「与圧服が膨らんでいたので、パラシュートハーネスに取り付けられたシートキットの中の緊急用酸素ボンベが機能していることが分かりました。酸素ボンベは呼吸用酸素を供給するだけでなく、スーツ内を加圧し、超高度で血液が沸騰するのを防いでくれるのです。また、当時は分かりませんでしたが、スーツが加圧されることで、激しい衝撃やGから身体を守ることができるのでした。膨張したスーツは私自身の脱出カプセルになったのです」

「次に心配だったのは安定性です。高高度では空気の密度が足りず、体が回転するとすぐに遠心力がかかり、怪我をする可能性があります。そのため、SR-71のパラシュートシステムは、着用者が機体から脱出し座席が分離した直後に、自動的に小口径の安定用シュートが展開されるように設計されていました。私は意図的に放出装置を作動させたわけではなく、またすべての自動機能は適切な放出シーケンスに依存すると考えていたので、安定用シュートは展開されなかったかもしれないと思いました」

「しかし、私はすぐに、自分が回転せず垂直に落下していることを確認しました。小さなパラシュートはちゃんと開いて役目を果たしていたのです。次に心配だったのは、高度1万5000フィート(約4.6km)で自動的に開くように設計されているメインパラシュートです。ここでもまた、自動開傘の機能が働くかどうかは分かりませんでした。凍結したフェイスプレートで見えないので、自分の高度が分かりませんでした。どのくらい意識を失っていたのか、どのくらい落ちていたのか、知るすべはありませんでした」

「パラシュートの手動作動リングを探しましたが、スーツは膨らんでいて、手は寒さでかじかんでいたので、どこにあるのか分かりませんでした。そのため、フェイスシールドを開いて地上からの高さを測ってからリングを探そうと思いました。フェイスシールドに手を伸ばした瞬間、メインパラシュートの展開が急に減速したような安心感がありました。固まって少し壊れていたフェイスシールドを上げ、片手でフェイスシールドを支えながら降下していくと、視界の開けた冬空に降下していることが分かりました。少し向こうにジムのパラシュートが降りてくるのが見えたので大いに安堵しました。2人とも機体がバラバラで助からないと思ったので、ジムが脱出したのを見て、ものすごく気分がよくなりました」

「着陸地点から数キロ離れたところには、燃えている残骸も見えました。地形は荒涼とした高原で、雪が点在し、人が住んでいる様子はありません。私はパラシュートを回転させ、他の方向を見ようとしたものの、片手はフェイスシールドを上げるのに精一杯で、両手は高地と氷点下の気温のために麻痺しており、パラシュートを操作して回転させることはできませんでした」

by Kelly Michals

ウィーバー氏の飛行予定区域はニューメキシコ州、コロラド州、オクラホマ州、テキサス州だったとのことですが、どの州に到達していたのかは分からなかったとのこと。しかし、落下時点で15時頃だったので、その場所で一晩を過ごすことを覚悟したとウィーバー氏は語ります。

「地上約30mの地点で、シートキットのハンドルを引っ張り、長いストラップで固定されていることを確認しました。重いシートキットを解放することで、シートキットを下半身に装着したまま着地し、足を骨折するなどの怪我をしないようにしたのです。そして、その中にどんなサバイバルグッズがあるのか、またサバイバル訓練で教わった技術などを思い出してみました」

「初めてのパラシュート着陸はとてもスムーズでした。岩やサボテンなどを避けながら、かなり柔らかい地面に着地しました。しかし、パラシュートはまだ風にあおられていたので、私は片手でシュートをたたみ、もう片方の手でまだ凍っているフェイスシールドを支えました」

「その時『何かお探しですか」と声がしました。『幻覚だろうか』と思って顔を上げると、カウボーイハットをかぶった男がこちらに向かって歩いてくるのが見えました。その少し後方にはヘリコプターがアイドリングしていました。もし私がエドワーズ空軍基地にいたとして、仲間の捜索救助隊に『この時間帯にロジャーズ・ドライ・レイクの上でベイルアウトするつもりだ』と言ったとしても、あのカウボーイ姿のパイロットほど早く私の元にたどり着くことはできなかったでしょう」

「その人はニューメキシコ州北東部にある巨大な牛牧場のオーナー、アルバート・ミッチェルさんでした。私は彼の牧場の家から少し離れたところに着陸していたのでした。私は彼を見て驚き、『パラシュートの調子が悪いんだ』と答えました。彼は歩いてきてキャノピーを壊し、いくつかの石で固定してくれました。彼は私とジムが落ちてくるのを見て、ニューメキシコ・ハイウェイ・パトロールと空軍、そして一番近い病院に無線で連絡してくれていたのでした」

「パラシュート・ハーネスから体を離すと、下降中に聞こえたバタバタというストラップの音の原因が分かりました。シートベルトとショルダーハーネスはまだ私の体に巻きついており、固定されていました。腰のシートベルトは両側が千切れ、ショルダーハーネスも同じように背中全体で千切れていました。射出座席は飛行機から離れず、私はシートベルトとショルダーハーネスを締めたまま、強烈な力で引きちぎられたのでした」

by Kelly Michals

「また、与圧服に酸素を供給する2本のラインのうち、1本が外れており、もう1本はかろうじて残っている状態でした。もし、高高度で2本目のラインが外れてしまっていたら、膨張した与圧服は何の保護にもならなかったでしょう。呼吸とスーツの加圧のために酸素供給が重要であることは知っていましたが、膨張した与圧服がどれほど身体を守ってくれるかは知りませんでした。航空機が崩壊し、重いナイロンのシートベルトを引きちぎるほどの力に耐えながら、打撲と軽いむち打ち症ですんだのはまさに感動的でした。自分専用の小さな脱出カプセルがあるのは本当にありがたいことです。ミッチェルさんはパラシュートの取り外しを手伝った後、『ジムの様子を見てくる』と言いました。彼はヘリコプターに乗り込み、10分ほどして戻ってくると、悲惨な知らせを伝えてきました。ジムは死んだのでした。どうやら、機体の空中分解時に首の骨が折れて、即死だったようです。ミッチェルさんは『当局が到着するまで牧場主がジムの遺体を見守る』と言いました」

「ミッチェルさんにジムに会わせるようお願いし、それ以上どうすることもできないことを確認した後、ミッチェルさんに約100km離れた病院に送ってもらうことにしました」

「あのヘリコプターの飛行も鮮明に記憶しています。小さなヘリコプターは、私が思っている以上に振動し、揺れました。私はカウボーイ姿のパイロットに『体調は大丈夫だから急がなくていいんだよ』と言って安心させようとしましたが、彼は病院のスタッフに私たちが向かっていることを伝えていたので、一刻も早く病院に到着すると言いました。一命を取り留めたと思ったら、今度は救助に来たヘリコプターにやられていたとしたら、何とも皮肉な話です」

「しかし、無事、しかも迅速に病院に到着しました。すぐにエドワーズ空軍基地のロッキード社の飛行試験事務所に連絡することができました。そこのテストチームは、まず無線とレーダーの連絡が途絶えたことを知らされ、次に機体が失われたことを告げられていて、当時の飛行状況も知っていたので、誰も助からないだろうと考えていました。私は何が起こったのかを簡単に説明し、分離前の飛行状況をかなり正確に伝えました」

「翌日、カリフォルニア州ビール空軍基地のSR-71フライトシミュレーターで、私たちの飛行プロファイルを再現してみました。結果は同じでした。事故の再発を防ぐために、すぐに対策がとられました。通常の機体限界を超えたCGでのテストは中止され、トリム抗力の問題はその後空力的な方法で解決されました。吸気口のコントロールシステムも改良を重ね、その後のデジタル自動飛行・コントロールシステムの開発により、アンスタートはほとんど見られなくなりました」

「事故から2週間後、私は再びSR-71に乗り、カリフォルニア州パームデールのロッキード社の組立・試験施設で、新品の機体に搭乗していました。事故後初めてのフライトということで、後部座席の飛行試験エンジニアは私の心境や自信に少し不安を抱いていたかもしれません。滑走路を轟音で走り、離陸すると、インターホンから不安げな声が聞こえてきました。『ビル!ビル!そこにいるのか?』と」

「私が『ああ、ジョージ。どうしたんだ?』と答えると、エンジニアは『よかった!どこかに行ってしまったかと思ったよ』と返しました。SR-71の後部コックピットには前方の視界がなく、両側に小さな窓があるだけなので、ジョージからは私が見えません。おまけに後方コックピットのマスターパネルの大きな赤いランプが点灯し、『Pilot Ejected(パイロット射出)』と表示されていたのでした。幸いなことに、原因はマイクロスイッチの調整ミスであり、私が射出されたわけではありませんでした」とウィーバー氏は語りました。

ウィーバー氏はその後、旅客機の「L-1011 トライスター」プロジェクトに携わり、退職後もL-1011を母機として人工衛星打ち上げに用いられる「ペガサス」ロケットのミッションに85歳まで機長として参加。2021年7月28日、92歳で亡くなりました。

William Weaver Obituary (2021) – San Diego, CA – San Diego Union-Tribune
https://www.legacy.com/us/obituaries/sandiegouniontribune/name/william-weaver-obituary?id=14398923

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