Appleの革新的過ぎたPDA「Newton」生誕30周年、その開発秘話とは?

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by Grant Hutchinson

Appleが1992年に発売したものの、わずか5年で販売中止になった携帯情報端末(PDA)が「Newton」です。2022年5月29日に発表されてからちょうど30年を迎えたAppleのNewtonについて、IT系ニュースサイトのArs Technicaが振り返っています。

Remembering Apple’s Newton, 30 years on | Ars Technica
https://arstechnica.com/gadgets/2022/05/remembering-apples-newton-30-years-on/

1976年にAppleを共同設立したスティーブ・ジョブズは、マーケティングの第一人者であるジョン・スカリーを「このまま一生砂糖水を売り続けたいか、それとも世界を変えたいか?」という説得でペプシコから引き抜き、Appleの社長に迎えました。しかし、ジョブズがMacintoshの需要を見誤って大赤字を出してしまったことをきっかけに、ジョブズとスカリーの仲は急激に悪化。ジョブズはすべての職を奪われ、1985年5月31日にAppleを事実上追放されてしまいました。

ジョブズがいないAppleを率いることとなったスカリーは、手始めにMacintosh IIを販売することで赤字を解消しましたが、ジョブズのように先見の明を持つ者がいなければ、この先はないと考えました。

同時期に、パーソナル・コンピューターの父と呼ばれ、Appleのフェローでもあったアラン・ケイがスカリーの部屋を訪れて「次のアイデアはもうないぞ」と言い放ったそうです。そこで、スカリーが考えたのが「新しいタイプのコンピューティングデバイス」でした。

スカリーが考えた「新しいタイプのコンピューティングデバイス」のイメージをまとめたムービー「Knowledge Navigator」が以下。二つ折りの薄い板を開くとカラー液晶が現れ、仮想アシスタントによるスケジュール管理を行ったり、他人とカメラ通話を行ったり、タッチ操作でそのままファイル管理を行ったりと、現代のiPadやiPhoneで実現できている機能を有していることがわかります。

Apple Knowledge Navigator Video (1987) – YouTube
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このコンセプトムービーは当時としてあまりにも革新的過ぎたため、社内からは「非現実的過ぎる」「使いものになるわけがない」と嘲笑する声も上がったとのこと。

一方でアップルのエンジニアだったスティーブ・サコマンは、Macintosh IIの発売後、次はデスクトップPCやラップトップPCではなく、まさにスカリーがコンセプトで示したような「手書き入力が可能で折り畳み可能なタブレットデバイス」を開発したいと考えていたとのこと。そこで、サコマンを中心にNewtonの開発プロジェクトがスタートしました。

サコマンはAT&Tに働きかけ、C言語縮小命令セットプロセッサ(CRISP)の低電力型CPUを設計させました、このCPUはHobbitと呼ばれ、Newtonに搭載される目的で開発されたものの、性能が高くない上にバグが多く、高額だったことが問題でした。Newtonを動作させるためにはHobbitを3基搭載しなければならず、そうなると端末の価格は最低でも6000ドル(当時のレートで約100万円)となってしまうため、Hobbitの搭載は見送られました。

Newtonの開発が行き詰まって失望したサコマンは、1990年にAppleを離れ、BeOSを開発するBeの設立に携わります。なお、AT&Tと設計したHobbitは、BeOS搭載PCであるBeBoxの初期型プロトタイプに2基搭載されています。


サコマンが去った後、Appleのチーフサイエンティストだったラリー・テスラーのもとで、Newtonプロジェクトは再始動することとなります。この時期、Appleは、「信じられないほど低い電力要件で十分な速度を実現する新しいCPU設計」を開発しているイギリスのAcorn Computersに接触しました。AppleはこのAcorn Computersに300万ドル(当時のレートで約5億円)を投資し、CPU設計の技術社がAcorn RISC Machine、のちのArmホールディングスとして独立する支援を行っています。

テスラーは、Macintosh開発時のエンジニアだったスティーブ・キャプスをAppleに呼び戻し、「手書き入力を基本とするモバイルデバイス」というコンセプトを軸にNewtonプロジェクトをリブートしました。

Newtonの開発において最も大きな課題となったのが「手書き認識ソフトウェアの開発」でしたが、この背景には奇妙な出会いがあったという都市伝説が伝わっています。

ある日、Appleの取締役会関連担当ヴァイス・プレジデントだったアル・アイゼンシュタットがロシアのモスクワに滞在していた時、宿泊していたホテルを誰かが尋ねてきたとのこと。アイゼンシュタットの部屋をノックしたのはロシア人エンジニアで、彼はアイゼンシュタットにフロッピーディスクを渡して逃げてしまったそうです。その後、このフロッピーディスクをAppleに持ち帰って解析させたところ、そこには手書き認識ソフトウェアのデモも入っていたとのこと。

このエピソードが本当かどうかはわかりませんが、Appleはその後、Para GraphInternationalという会社を設立したステパン・パチコフと契約を結び、手書き認識ソフトウェアの開発を進めています。

Armプロセッサの実装と手書き認識機能のめどが立ったことで、Newton開発プロジェクトも軌道に乗り始めました。特に議論が重ねられたのがNewtonの最終的なサイズと形で、スカリーは「ジャケットのポケットに収まるサイズにしなければならない」と意見していたそうです。一方でエンジニアは「夜にスカリーの家に忍び込んで、ジャケットを勝手に仕立て直してポケットを大きくしてやろう」とジョークを言い合っていたそうです。

1992年5月29日のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)で、AppleはNewtonを初めて公開しました。このCESにおける基調講演で、スカリーはNewtonを「Personal Digital Assistant」と表現し、PDAという言葉を作り出しました。


そして、「Newton MessagePad」は1993年8月2日に正式に発売されました。価格は900ドル(当時のレートで約9万9000円)でした。デバイスのディスプレイは解像度240×320ピクセル・縦4.5インチ(約11.4cm)×横3.5インチ(約8.9cm)の白黒液晶画面で、バックライトは非搭載でしたが、モデルのバージョンアップで搭載されるようになりました。

by pablo_marx

バッテリーは初期型が単4電池4本でしたが、モデルチェンジを経た結果、単3電池に変わりました。駆動時間は最大30時間ほど。

by Jim Abeles

NewtonはC++でコーディングされた独自のOS「NewtonOS」を搭載。Newtonではメモを取ったり、電卓を使ったり、いくつかの簡単な数式を実行したり、連絡先帳として機能したり、カレンダーで予定を管理したりすることができました。Ars Technicaは、電子書籍をサポートしていたり、赤外線ポートを使った無線通信が可能だったりした点は時代を先取りしていたと評価しています。また、独自のカスタム開発言語であるNewtonScriptによって、サードパーティーの開発者は独自のアプリケーションを開発することもできました。


そして、Newtonの目玉となる機能が、付属のプラスチック製スタイラスによる手書き入力が可能というもの。ただし、この手書き認識は初期型だとうまく機能しなかったため、まともにメモが取れなかったそうです。アニメ「ザ・シンプソンズ」では「Beat up Martin」と書き込むと「Eat up Martha」と入力されるという場面が描かれ、Newtonの手書き入力精度のひどさがネタにされました。


また、初期モデルであるNewton MessagePadとNewton MessagePad 100では、高機能過ぎるNewtonOSに対してCPUの性能が追い付いていなかったのも欠点の1つでした。そのため、初期モデルはユーザーから「これは製品のベータ版だ」と揶揄(やゆ)されるほど評判が悪かったそうです。

しかし、その後のOSアップグレートによる手書き認識システムの精度向上、本体デザインの一新、CPUの高速化、ディスプレイの巨大化、バックライトの搭載とディスプレイの階調の向上、手書き入力を補助する辞書機能の追加、端末を横向きにすると画面が回転する機能の追加、画像ファイルを閲覧したり音楽ファイルを再生したりできる機能の追加など、製品としては大きくブラッシュアップされていきます。さらに、物理キーボードを内蔵したeMate300が、教育関係者向けにリリースされました。


AppleはNewtonを改良しながら多くのモデルをリリースしましたが、結果的に売り上げは惨敗。Newtonシリーズの累計出荷台数は20万台で、Appleの予想をはるかに下回りました。

そんなNewtonプロジェクトは、1998年にジョブズがAppleに戻ってきた時にキャンセルされました。スカリーの肝入りだったNewtonプロジェクトを別会社の事業としてAppleから切り離す計画もありましたが、ジョブズはこれも拒否したそうです。

ただし、Newtonの本体デザインを担当したジョナサン・アイブや、UI/UXのデザインを担当したグレッグ・クリスティ、NewtonにArmプロセッサの搭載を決定したマイクカルバートなど、わずか6年ほどで幕を閉じたNewtonプロジェクトに関わった人物の一部は、その後iPodやiPhoneと深く関わることになります。また、NewtonScriptのプロトタイプはJavaSctiptの開発に大きな影響を与えたとのこと。Newtonプロジェクト自体は失敗に終わりましたが、その遺伝子は現代に受け継がれているといえます。


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