【山田祥平のRe:config.sys】ニューノーマルっていったいなんだったのか

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 コロナ禍が変えた世界は、ニューノーマルというキーワードで語られることが多い。いわゆる働き方や生き方、そして暮らし方の新しい当たり前だ。だが、世界は今、急激に元の世界に戻ろうとしているようにも見える。

多様化への対応

 この2年間で個人的に体験した大きな変化は、やはり外出機会の激減だ。コロナを伝染(うつ)さない、伝染されないために、さまざまな機会がオンラインで仮想化されたし、在宅勤務等の浸透で、大規模な発表会イベントなどに限らず、数名のミーティングもオンラインに移行した。

 今週はCOMPUTEX TAIPEIが開催されたが、今年も台北でのリアル取材はかなわなかった。ぼくらのような商売は、経験をネタにそれを切り売りしているようなものなので、かなりきつい。でも、オンラインでも取材ができるだけまだ幸せで、そこに目をつぶれば、仮に仮想的であっても、むしろ以前よりも取材対象にふれる機会は増えているとも言える。

 それでもたまに街に出てみると、盛り場は以前と同じような空気感で人がたくさん集まっているし、夕刻の電車もラッシュが戻りつつある印象だ。何だか、世界が急速に元の状態に戻ろうとしている意志のようなものさえ感じる。タイムスリップもののフィクションドラマや小説で、過去に戻ったときに歴史を変えてしまっても、それが見えない力で元に戻ろうとする感じだ。

 それに、外出機会を激減させようにも、そういうわけにはいかないケースもある。何もかも十把一絡げというわけにはいかない。

 さらに、2年前のニューノーマルはコロナの回避が第一義だった。だが、今はちょっと違う。働き方や生き方、遊び方の多様化への対応により、より豊かな世界を手に入れようという動きになっている。

 たとえば、これまでは、会社という限定的な場所に人が集まらないようにするために在宅勤務を強いるムードがあったが、今は、在宅という勤務形態を追加することで、通勤からの解放と居住する地域の自由度を高め、勤労機会が介護や子育てなどで失われないようにしようというムードが強い。才能の損失回避だ。

 つまり、在宅勤務という働き方のオプションの追加によって、多様化するスタイルに対応するわけだ。そして、それで弊害が起こらないようにICTをフルに活用し、さまざまなものを仮想化していく。

仮想化がリアルの進化を阻むこともある

 パーソナルコンピューティングはメタファの権化だが、紙とペンの仮想化が常に念頭にあったように思う。本当はそこをすぐに超えて、別の世界に突入するはずだったのだが、紙については大量印刷の時代を経たし、写真の高画質プリントといったニーズもあった。ペンはペンでコンピューティングに使うHIDとして、現在進行形で復刻の兆しがある。スクリーンのタッチ対応やそのハプティクスなども触覚の仮想化だといえる。

 結局、仮想化というのは既存事例の超越ではなく、到達の時点で進化を止めてしまいがちだと考えることもある。かつてのWYSIWYGがそうだったように、見ているものしか手に入らないのではつまらない。やっぱりリアルな紙とペンでは不可能だったことができるようになることを目指したいのだが、そうは問屋がおろさない(ことが多い)。

 とまあ、コロナ禍に突入して以降のこの2年間は、こうしたことをじっくりと考える絶好の機会だった。もっとも、移動時間が少なくなったことは、時間の余裕につながったかもしれないが、その反面、ぼぅっと考え事をする時間を奪ったともいえる。そんなことを言っていると、ずいぶん勝手な話だと後ろ指を指されそうでもある。

新たなニューノーマルを探して

 この2年間での大きな成果は、インターネットを使えば、本当にいろんなことができるのだということを誰もが自分事として理解し、世の中のあらゆるデバイスは、その多くがインターネットにつながっているということを多くの市民が実感したことだと思う。

 本当は20年以上前からそうだったのだが、決して広くは伝わっていなかった。でも、暮らしの中で感じる実感として、肌でそのことを理解する人が増えたと思う。インターネットがなければ困るというよりも、知らないうちにインターネットの恩恵を受けていて、それが豊かな暮らしにつながることを具体的に分かってもらえた。バーコードによる決済などはその代表的な例ではないだろうか。

 何度も出た緊急事態宣言やまん延防止等重点措置に関する情報収集、ワクチン接種のための予約関連、教育現場のオンライン化などの現場の様子を知り、さまざまなグッズをインターネットショッピングで調達し、食事の出前/テイクアウトを依頼して自宅まで届けてもらえたりする。

 こうしたことが手のひらサイズのスマートフォンでできるし、パソコンやタブレットのような大きなスクリーンを持つデバイスなら、もっと分かりやすくコミュニケーションができる。細かいところだが、官公庁のウェブサイトが、レスポンシブデザインを採用するところが多くなり、ずいぶん分かりやすくなったというのもうれしいことだ。

 最近、考えさせられたのは、オンライン授業に慣れきってしまった学生諸君が対面授業に戻る中で、リアルタイムの対面授業は話の展開が遅くて耐えられないといった不満を持つという点だ。確かにオンライン授業はオンデマンドで好きな時間に視聴できるのはもちろん、好きな速度で再生ができる。時間を有効に活かせるという点ではオンライン授業の方が有利だと考えられても仕方がない。

 いろんな面での下地ができてきたこの2年間だが、その一方で、半導体不足や、コロナ禍の影響による海外の都市封鎖などの影響で、製品類が思うようにやりとりできない状態が続きそうだったり、ロシアとウクライナの軍事情勢をはじめ、さまざまな世界情勢の影響を受けることによる円安で、日本での製品価格が高騰するなど、多くの難関が出てきている。日本は決して豊かな先進国ではないという疑いもある。

 それをインターネットが救ってくれるのかどうか。

 そうじゃない。救おうとする人たちがインターネットを使うのだ。それこそがニューノーマルなのではないだろうか。

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