通俗日本論の研究②:渡部昇一『日本史から見た日本人 古代篇』

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渡部昇一『日本史から見た日本人 正・続』(産業能率短期大学出版部、1973~77年、のち祥伝社から古代篇・鎌倉篇として刊行)に示された〝渡部史観〟と現代の保守論壇との間には、連続と断絶がある。『万葉集』や「十七条憲法」、国風文化の絶賛などは、百田尚樹『日本国紀』(幻冬舎、2018年)にも継承されている。

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一方で受け継がれなかったのは、記紀神話の重視である。『日本国紀』は考古学の研究成果に基づいて旧石器時代や縄文時代、弥生時代などを記述している。

ところが渡部は「考古学の偏重」を批判し、「考古学の進歩は、もちろん歓迎されるべきものであり、その価値は疑うべくもない。しかし考古学による研究で歴史がわかると考えるのも、はなはだ危険である」「考古学的発見から出発して日本史を再建するのは、排泄物から、それをやった者の思想を推測するようなことになるのではないだろうか」とまで言っている。

渡部によれば、「日本史の研究は、まず記紀などの文献で見られることに関係ある限りにおいて、考古学的発掘も歴史的価値がある」「古代史は何といっても書かれた歴史を中心とし、それをそのほかの分野の研究で解釈する考証的史学のほうが誤るところが少ない」のだという。考古学的発見と文献資料の内容に矛盾があった場合、後者を信じるというのが渡部の態度である。

では全ての文献資料を重視するかというとそうではなく、渡部はもっぱら『古事記』『日本書紀』に立脚して古代史を語る。その反面、「魏志倭人伝」を酷評している。

保守派の東洋史学者である岡田英弘の指摘を引く形で「シナの歴史書には日本の実状を書く意図はまるでなかったのであり、シナの皇帝と周辺の国とがどんな関係にあったかを書けばよいのであって、倭人朝貢という事実を臣民に誇示すれば、あとの記述は問題でない。書く当人が問題にしていなかった記述を、いくらいじっても真理には関係がない」と説く。そして「「魏志倭人伝」を文字通りに信ずるくらいなら、『日本書紀』を丸ごと信用してもそれほどおかしくはないであろう」という極論を唱えている。

こうした記紀神話偏重の姿勢は、西尾幹二『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス、1999年)までは受け継がれている。

西尾氏は「『漢書』や『魏志倭人伝』は同時代者の反対証言を欠く。距離もあまりに遠すぎる。トゥキュディデスのような内容の豊かさもない。とうてい一級史料ではない。われわれはこれらに絶対的証言価値を置くことはできない。これらに比べれば記紀神話のほうがはるかに内容的史料価値は高い」「なぜ(筆者註:日本の)神話を「非歴史」とし、外国の片言を「歴史」と信じるのか」「神話の内容の示す、一見荒唐無稽な非合理な形象や物語は、それを記述した人々にとってどこまでも自分の今生きている世界からはすでに遠い、もはやすでにわからなくなりかけている異世界の、かつてそのようなものとして過去にあったと信じられた伝承を端的に文書化する行為だったという意味において、これはどこまでも歴史記述の一結果なのである」と主張している。

西尾氏は渡部氏と異なり、「最近の考古学はいちじるしい進歩を遂げている」と述べて、考古学の研究成果を積極的に活用している。しかし、突き詰めて考えれば、記紀神話と考古学の研究成果との間に齟齬が生じるのは避けられない。西尾氏は考古学の研究成果をつまみ食いして、「日本スゴイ」論に利用しているだけのように思える。

西尾氏の記紀神話偏重は皇国史観からの影響であろう。戦前に皇国史観のイデオローグとして活躍した平泉澄は、戦後になっても『少年日本史』(のち『物語日本史』に改題、1970年)で、完全に記紀神話に依拠して古代史を語っている。「魏志倭人伝」や考古学の研究成果を無視している。平泉は戦後の記紀神話軽視を批判し、「神話を、そのままの姿で、今日の知識から批判すれば、どれもどれも荒唐無稽、つまりデタラメで、信用もできず、価値もないように思われるでしょうが、実はその中に、古代の宗教、哲学、歴史、道徳、風俗、習慣が、その影をうつしている…貴重な資料なのです」と主張している。

『古事記』 や『日本書紀』 の神話部分と初期の天皇の部分(神代史)が伝承ではなく創作だという説は、戦前の代表的な歴史学者である津田左右吉によって、すでに大正期に唱えられている。

津田は「神代の物語は歴史的伝説として伝 はつたもので無く、作り物語である」(『神代史の新しい研究』二松堂書店、1913年)、「当初から宮廷もしくは政府に於いて皇室の起源を説くために作られたものであるから、国民の間に自然に発達した叙事詩では無く、従つて国民的精神 の結晶とか、国民的英雄の物語とかいふ性質のものでは無い」(『文学に現はれ たる我が国民思想の研究――貴族文学の時代』洛陽堂、1916年)と断言している。

逆に言えば、記紀神話へのこだわりは、天皇・皇室を中心に日本史を語りたいという欲求に根差す。この点で『日本国紀』が「魏志倭人伝」や考古学の摂取に熱心である反面、記紀神話に冷淡であるのは興味深い。

『日本国紀』に限らず、近年の保守論壇には天皇・皇室への思い入れが乏しいように感じられる。保守論壇の主張の中核が、天皇崇拝から嫌韓反中に移行したということなのだろう。