ザグレブでホロコースト記念碑

アゴラ 言論プラットフォーム

バルカン半島のクロアチアの首都ザグレブで27日、第2次世界大戦中のユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を追悼する記念碑が建立された。同記念碑は何年も前から計画されていたが、数カ月前にようやく完成したばかりだ。記念碑発足までクロアチア当局とユダヤ人コミュニティの間で長い論争があったためだ。

クロアチア共和国初代大統領トゥジマン大統領 クロアチア大統領府HPより

ザグレブから配信されたAFP通信の写真を見ると、記念碑は、スチールケースを重ねて作られた高さ12メートルの壁だ。それらは、強制収容所に強制送還された人々が駅のプラットホームに残したスーツケースを記念することを意図しているという。ザグレブ市長のオレグ・マンディッチ氏は同日の式典で、「この記念碑が記憶の文化に貢献し、過去の過ちを忘れないために役立つことを望んでいる」と述べている。

記念碑の建立が遅れた理由としては、記念碑建立でクロアチア側がユダヤ人側と相談なく決定したことにユダヤコミュニティが強く反発したこと、記念碑の目的が戦争中に犠牲となったユダヤ人やロマ人の追悼だが、「誰が」、「どこで」で彼らを殺害したのかが明確でないことにユダヤ側が強く反発し、「歴史の事実を隠蔽している」といった批判の声まで出てきたからだ。

地元のユダヤ人コミュニティ代表は、「犯された残虐行為におけるクロアチアの政権の役割が明確にされていない」と非難してきた。記念碑は「ホロコーストの犠牲者」に捧げられることになっていたが、ナチスと同盟を結び、1941年から1945年の間に数千人のセルビア人、ユダヤ人、ロマ人などを殺害したウスタシャ政権の関与には全く言及されていなかったのだ。すなわち、ホロコーストの加害者が明確ではないのにどうして犠牲者を慰霊できるか、といった批判は当然だ。

クロアチアのユダヤ人責任者のオグニェンクラウス氏は2019年、「戦時中の残虐行為が「誰によって、どこで行われたのかなどが不明な印象を受ける」と批判していた。世界ユダヤ人会議(WJC)はクロアチア当局が「歴史を書き直そうとした」と非難した。最終的には、市当局は記念碑をホロコーストとウスタシャ政権の犠牲者に捧げるということで決着したわけだ。

クロアチアにはザグレブ南東95kmにヤセノヴァツ強制収容所(Jasenovac)があった。同収容所は「バルカンのアウシュヴィッツ」と呼ばれていた。ナチス・ドイツ軍の関与なく運営された収容所としては、その規模からも欧州で最大級の強制収容所だったという。そこでクロアチア人の宿敵だったセルビア人のほか、ユダヤ人、ロマ人などの少数民族出身者、反体制派活動家が拘束され、殺害された。犠牲者の数の正確な数字はない。米国ホロコースト記念館によると、推定10万人と見ている。

クロアチアは1941年4月、「クロアチア独立国」を建国すると、ファシズム政党ウスタシャ政権(指導者アンテ・パヴェリッチ)はナチス・ドイツ政権と連携し、「人種法」を取り入れ、セルビア人のほか、ユダヤ人を敵視する政策を推進していった。同年には既にザグレブではユダヤ教のシナゴークや墓地などが襲撃され、破壊されている。ちなみに、民族主義者でクロアチア共和国初代大統領のフラニョ・トゥジマン大統領(在任1990年~99年)はウスタシャ政権への歴史的見直しを試みる一方、ユダヤ人の犠牲者数を数千人と過小に見積もっていたほどだ。

クロアチアは現在、欧州連合(EU)の加盟国であり、観光立国を目指している。アドリア海沿いに有数の観光エリアを誇り、夏季休暇にはドイツ、オーストリアなどから多数の観光客がくる。美しいアドリア海を背景に休暇を楽しむ人々をみていると、ウスタシャ政権下でどれほどの残忍な虐殺が行われたかを忘れさせてしまう。

ロシア軍がウクライナに侵攻し、多くの民間人、女性、子供たちを殺害しているというニュースに接する度に、「人類は同じ蛮行を繰り返している」というやりきれない思いにさせられてしまう。ザグレブの記念碑が歴史からの教訓を引き出すうえで少しでも役立つことを願うだけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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