テーマパークなどの浮かれた気分の中心にあるのはキャラメルポップコーンの香りである

デイリーポータルZ

テーマパークの浮かれ気分の本質を抽出してあなたの人生を浮かれさせよう

気分が高揚する香りがあるとしたらそれはキャラメルポップコーンの香りに違いない。

どのテーマパークに行ってもあの香りがする。テーマパークとはキャラメルポップコーンの香りの中で一つのテーマに基づいて遊ぶ場所と言ってもかまわないだろう。

ということは、だ。キャラメルポップコーンを嗅ぎ続けて人生というテーマを生きれば、私達の一生はテーマパークのような楽しいものになる。

以上のような考えで、私はキャラメルポップコーンの香りをかぎつづけることになった。

素敵な仮説とは裏腹にあなた達が今日目撃する現実はこれである

知ってしまったのだ

それもこれも一つの真理を見出してしまったからだ。

私は先日、南紀白浜アドベンチャーワールドでパンダを見ながら「テーマパークの本質とはキャラメルポップコーンの香りと場内を流れるポップソングにある」と気づいた。

パンダよりもキャラメルポップコーンの香りとアドベンチャーワールドの音楽が気になった。パンダとキャラメルの香りとポップソング。これでテーマパーク完成だ。

そこにはパンダがいただけだ。あとはキャラメルポップコーンの香りとアドベンチャーワールドのポップソングが流れ続けていた。

パンダ(客寄せ)+キャラメル(浮かれ)+音楽(浮かれ)=テーマパーク。浮かれの本質とはキャラメルポップコーンの香りと音楽にあるのではないか。

キャラメルポップコーンの香りを嗅ぎ続ける人生

真理に気づいてしまった者は動き出さなければならない。

嗅ぎ続けるしかないのだ。このままオイルポットにたまったフライカスのような人生を生きるか、キャラメルポップコーンの香りを嗅ぎ続けて人生をテーマパーク化するか、気づいてしまった私達に残された選択肢はその2つだ。

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そうして映画館に行ってキャラメルポップコーンを買った

どうやって嗅ぎ続けるか?

ではどうやって嗅ぐのか? 検索してみるとキャラメルの香りの香水はいくつもあり、なかでも「キャラメルポップコーンの香り」というの香水もあるようだ。ここにも浮かれの本質に気づいてしまった人たちがいる。

参考=What About Pop(The House of Oud)

今回は純粋にキャラメルポップコーンの香りの浮かれの作用に迫りたい。なので本物を嗅ぎたい。

キャラメルポップコーンは映画館でもおなじみである。映画館の浮かれ気分もキャラメルの香りに寄るところが大きい。

初めて「ポップコーンの持ち帰り」という存在を知った。コーヒーの出前を知ったときくらいの「そんな方法があるのか」という衝撃

映画館のポップコーンは「持ち帰り」がある

ポップコーンだけ買いたい、と言うと「あ、持ち帰りですか?」と少し驚かれた。ポップコーンの持ち帰りという文化があるのか。寿司屋に飲みに行ったお父さんのお土産のようなものだろうか。

初めて見る持ち帰りの袋の口を店員さんはぎゅっとしばった。浮かれが漏れないように、である。わかる。私は新幹線車内で大阪が漏れないように551の紙袋をぐるぐるに巻いてカバンの底に押し込んでいる。

このポップコーンを映画館から連れ出すのは忍び込んだ盗賊がお姫様をダンスパーティーに連れ出すようなものである

こうしてキャラメルポップコーンが手に入った。ではどうやって嗅ぐか。簡単な装置を作った。

まず底をくりぬいて空気が下から入るようにする

なぜポップコーン売り場からキャラメルポップコーンの香りがするかというとそれは温め続けられているからだ。

そしてカイロを一面に貼る。匂いは温度と関係があるので温めつづけるのだ

匂いは温度に左右される。温めることでキャラメルポップコーンの香りを放出し続けるのだ。

そして容器の底はくり抜き、上部は自分のマスクにつなぐ。これで匂いシステムは完成である。

キャラメルポップコーンをカイロで温めて、放出される匂いの先を自分のマスクにつないだ。映画『マッドマックス 怒りのデスロード』にこんな人が出てきた。未来の人類はこんな風に生きていくのだろう。キャラメルポップコーンの香りを供給されつづけるべく改造された体で、だ。

あとは音楽である。耳をふさがないヘッドフォンから軽快なポップソングを流す
ここでは南紀白浜アドベンチャーワールドのテーマソングを流した

こうしてまたゴミのような見た目の工作が出来上がってしまった。

ガムテープ、ダンボール、ビニール袋。デイリーポータルZで書き続けて15年、タイムリープものの映画の中のように、私達はもうずっとここから抜け出せないでいる。 

そして出来上がった。なんていうことだ。ちゃんと香りがする!

だがこの中身はどうだ。温めたり空気の通り道を作ったおかげでただキャラメルポップコーンを持つよりもずっと匂いが”し続け”ている!

買ってきたキャラメルポップコーンの彩度を上げた写真。写真だけでも高揚感がある

ここまでが鳥人間コンテストでいうドキュメント部分であり、ここからがいよいよ大空へのフライトである。3、2、1、のカウントダウンのあと私は浮かれた。

考えてみればテーマパークにおけるテーマはなんだっていい。キャラメルポップコーンの香りがすることでテーマパークが成立するのだから。

目に飛び込んでくる個室DVD店、パチンコ店、そして多くの飲み屋。渋谷マークシティ付近独特の雰囲気も一つのテーマである。

すでに耳と鼻は香りと音楽で確実にテーマパークだと信じ切っている。

「耳と鼻もそうだし、ディズニーもパンダもテーマパークなんだったらこれもテーマパークなんじゃないか?」

こうして脳はだまされる! ここはテーマパークであり、私は今後キャラメルポップコーンを嗅ぎ続けてテーマパークを生き続ける。

渋谷の京王井の頭口から109へと向かうやさぐれた飲み屋街も
このようなテーマパーク的空間に感じられるのである

雨の飲み屋街がテーマパークに

心にメトロノームがついたような楽しさをおぼえる。足の先が重力に反した方向へ向く。なにか小さくおいしいものでも買いたい。それはツナピコではない何かだ。私の景気がどんどんよくなっていく。

これがまさにテーマパーク的空気であり、私は今視界の隅にパンダを見ている。

よく見るとパチンコの景品交換所の小さい窓から見えるスタッフのようだがなんだっていい。脳が今、確変に入っているのだ。

あのやさぐれたパチンコ景品交換所も、パンダに見えてくる
おうおうおう、そのまま電車に乗ってしまおう
こんなに浮かれた匂いしていいんだろうか? 同行してくれた編集部藤原に聞くと匂いは全く漏れてないそうだ。電車もゆるやかなジェットコースターのように感じる。

より楽しくない街へ行く

あのやさぐれた街も地下に入って電車に乗っても「大体がテーマパーク」。今後の私の人生はほぼテーマパーク。

キャラメルポップコーンの香りと音楽で人は浮かれることができるのはわかった。はたしてその魔法の力はどこまで強いのだろうか。ここから負荷を与えていく。

ここで全く楽しくない街に来た。永田町である。

ためしに空間をもっとテーマパークから遠い場所にしよう。そう考えた結果、永田町駅にやってきた。街に人も色も文字も少ない。ここには公の権威しかないのだ。

ふだん去勢された牛のような目で見つめていた場所、最高裁判所もキャラメルポップコーンの香りに包まれればビッグサンダーマウンテンに見えてきた
公的な警備の様子もディズニーワールドでいうキャストに見えるというのは言い過ぎにしても「ごくろうさん!」と植木等の気持ちで声をかけたくなる

最高裁判所を通って、少しだけ国会方面を歩く。街の緊張感が高まっている。ポップコーンの香りと明るい音楽で盛り返す。15年前、ここで職質にあったのを思い出した。

思えばデイリーに参加してすぐこの街で撮影をしていて職質にあった。『永田町の闇を探る』という15年前の記事で照度計で暗さを測っていった。思えば私たちはユーモアで法の穴を探そうとしていたのかもしれないが、未だにそれは見つかっていない。

過去の嫌な出来事を思い出している時点で完全な浮かれとは言い難い。テーマパークには財布を落とした人もいることだろうし、カツアゲにあってる人もいるだろう。

鼻は甘く、耳は爽やか、そして目に法治国家。緊張感のあるテーマパークがここにある。

国会議事堂の裏手あたり。「キャラメルポップコーンと鼻を接続したメガネの男がそちらに行きます」と無線が回っていることも知っている。職質されたときに教えてもらった。

緊張感が和らぐキャラメルポップコーンの香り

結論として永田町がテーマパークだったかといえば難しいが、そのいかめしさはかなり和らいだと言えるのではないか。

もう少し辛い状況でもなんとかなるだろうか。「ふつうの状態もテーマパーク化する」ことから一歩進めて「辛い状態も楽しさで和らぐ」ならそれは今後の人生において有意義だ。

「いやな空間」をもっと進めてみよう。今回は怒られる人のそばにいることにした。

新米役として編集部藤原、旦那はん役として編集部安藤に声をかけた。とにかく藤原を怒ってくれと

怒られている人のそばでもキャラメルポップコーンは有効か?

何が嫌だといったら、私たちは板前はんが旦那はんに怒られているのに居合わせたくないのではないだろうか。

人が怒られている空間に居合わせるのは気分を害するものだ。漫画『孤独のグルメ』から抜き出されネットで流行った1コマもそんな内容だった。

なぜその怒られてる組み合わせが板前と旦那であるかというと、単に「味わい」によるものだ。気にせず先へ進もう。

「あんたのお出汁の取り方がなってない」と怒られる新入りの板さん。エセ関西弁である
その隣でテーマパークを感じることはできるのだろうか
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「藤原くんはいっつも煮干しを先に入れとるけどあかんねん」旦那はんがお怒りであるが、ここはテーマパークテーマパークテーマパーク…​​​​​
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「昆布が先やで、言うてごらん?」で吹き出してしまった。無理だった。

無理であった。多少の拮抗は見せるものの、やはり「あんたのお出汁の取り方がなってないから、お客はん帰らはったやないか」と聞こえてきたらどうしても上方の味わいに引っ張られ、テーマパークへの意識が希薄になっていく。

私たちはテーマパークよりも板前はんと旦那はんの味わいの方が大事なのかもしれない。

キャラメルポップコーンの浮かれた香りの前に立ちはだかったのは上方のどんくささ。ここにも浮かれとは別の本質がなにかあるのだろう。

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テーマパーク化はできる、しかしもっと重要なこともある

キャラメルポップコーンの香りと軽快なポップソングで浮かれ気分を醸成することは「ある程度」可能という結論になった。

板前はんと旦那はんの組み合わせのような「越えられない壁」というのも存在するが、たいていのことは気楽にやり過ごすことができるだろう。キャラメルの香りの香水が作られるのも大きくうなずける。

これから梅雨まで気候のよい時期が続く。晴れた日に私たちは気分が良い。たいていのことは気楽にやり過ごすことができる。天気が悪ければ香りをつけたり私達自身のご機嫌をとる必要があるのだろう。

それは大事なことから目をそむけてただ「やり過ごし」ているだけなのかもしれない。だがやり過ごす以外に重要なことなんて人生においてそうそうない。

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