プーチン氏の落日告げる「国民の僕」

アゴラ 言論プラットフォーム

バイデン米大統領は26日、訪問先のポーランドの首都ワルシャワでウクライナ情勢について演説し、「プーチン大統領はその権力の座から辞任すべきだ」と語った内容が波紋を呼んでいる。

「国民の僕」の主人公、ウクライナ大統領役を演じるゼレンスキー氏(「arte」のメディアテークから、「国民の僕」第1シーズン23話目の最後のシーン)

米大統領の演説内容が報じられると、ロシアは「ロシアの体制転換を要求した」として厳しく批判。ホワイトハウス側は大統領の発言が少々行き過ぎと判断したのか、その直後、「大統領はロシアの政権交代を要求したのではない。ただ、プーチン氏が権力の座から降りるべきだと述べただけだ」と説明。中東訪問中のブリンケン国務長官も記者団の質問に答え、同様の説明をして、発言の鎮静化に努めた。ちなみに、大統領選中のフランスのマクロン大統領は、「ウクライナ戦争を解決するためには(関係者は)過激な言動は慎むべきだ」と苦言を呈している。

バイデン大統領は昔から「失言のジョー」と呼ばれてきた政治家だ。それが災いして大統領候補を辞退したこともあった。ところで、ワルシャワでの発言は失言だろうか。その内容は失言ではなく、文字通りロシアの体制チェンジを求めている、と受け取って間違いない。モスクワが激しく反発したことをみても分かる。

他国の政治体制、政権を外から変えろとはいえない。そのように言えるのはその国の国民だけだ。民主主義国の基本だ。ただし、ロシアの事情は明らかに異なる。プーチ氏が憲法を改正し、長期政権の座に君臨している。選挙は一応実施されるが、国民の総意が反映された民主的選挙からは程遠い。

厳密に言えば、バイデン氏はロシアの体制転換までは直接言及しなかったが、強権で国民を管理するプーチン氏に「辞任」を求めることで、ロシア体制の民主化を求めたといえるだろう。

モスクワ生まれの映画監督、イリヤ・フルジャノフスキー氏はオーストリアの日刊紙スタンダードとのインタビューの中で、「ミハイル・ゴルバチョフはソ連と呼ばれる巨大なドラゴンを殺し、多くの自由をもたらした。しかし、私たちが今見ているように、死骸は生きかえり、再び昇り始めているのだ。この戦争と国家の状態について、プーチンだけの責任として非難はできない。古いソビエト精神の構造から生まれてきたものだからだ。過去100年余り、多くの人々が追放され、投獄され、拷問され、殺された。その暴力的な支配の結果だ」と述べている。

同氏の視点からいえば、「プーチン氏は長いロシア体制の一コマに登場してきた人物に過ぎないから、ロシアで今進行中の全ての悪行の責任をプーチン氏1人に背負わすことは不公平だ」という論理となる。

バイデン氏が「プーチン氏辞任」と「ロシア体制の転換」を恣意的に識別して使い分けたのかは分からない。例を挙げる。中国の「習近平国家主席」と「中国人民」とは違う。ただ、中国共産党は「党」と「人民」は同じだという論理を振りかざして、その強権政治を正当化してきた。同じように「プーチン氏」と「ロシア国民」は異なると言われればモスクワは不快に思うだろう。

バイデン氏自身、過去、「プーチン氏とロシア国民は別だ」と述べ、欧米社会のプーチン氏批判や制裁はロシア国民に向けられたものではないと説明したことがある。問題は、ロシア軍のウクライナ侵攻を理由に欧米社会が行った対ロシア制裁はモスクワの指導層に向けられているが、最大の被害は、ロシア国民が被るからだ。指導者の罪科の罰を国民が受けることになる。

反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏は現在、収監中だが、国民に向かって「プーチン大統領に抗議デモをするように」と呼び掛けている。最終的には、ロシア国民がプーチン氏とロシアが違うことを証明する以外に大国ロシアの体制チェンジは難しいのだ。

ウクライナのゼレンスキー大統領は大統領選に出馬するまでコメディアンだった。ウクライナ国営放送で放映された同氏が出演したヒットTV作品「国民の僕」は世界的に人気を呼んでいる。同TVシリーズは2015年から19年の間放送された。ゼレンスキー氏が大統領に就任する直前まで放映された。当方は同作品(全3シーズン)の第1シーズン(23話)を独仏共同出資のテレビ局「arte」の独語版で視た。

その中で第1シーズン第23話の最後のシーンはとても印象的だったのでここでその箇所を紹介する。

ウクライナの外相「大統領、ロシアから電話が入りました」

大統領は少し笑いながら「プーチン大統領からか」

外相「違います。新しい大統領です」

大統領は少し驚いた顔しながら電話を受け取る。

大統領「ハロー、あなたは・・・」

その台詞を残して第1シーズン最後の話が終わる。

第1シーズンの最後は、プーチン氏がもはやロシア大統領でないことを示唆して終わっている。バイデン大統領が辞任要求する前に「国民の僕」の中ではロシアのプーチン大統領は既に大統領ではないのだ(第1シーズン終了の段階では)。

歴史教師が偶然、大統領に選出された主人公役を演じたコメディアンのゼレンスキー氏はその直後、ウクライナの大統領に実際に選出された。それ自体、通常のことではない。ゼレンスキー氏が演じた「国民の僕」(独語「Diener des Volkes)は単なる喜劇番組ではない。時代を先行しているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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