プーチン識者が解説「6つの顔」 – 木村正人

BLOGOS

Getty Images

皇帝になった工作員

[ロンドン発]「プーチン氏とは一体、何者なのか」――アメリカのブッシュ(子)、トランプ両共和党政権の国家情報会議や国家安全保障会議でロシアを担当した米有力シンクタンク、ブルッキングス研究所のフィオナ・ヒル上級研究員は共著『プーチンの世界 「皇帝」になった工作員』(新潮社、原題:ミスター・プーチン クレムリンの工作員)の中で何度も問いかけている。

プーチン氏がなぜ、私たちには無謀としか見えないウクライナ全面侵攻を決断したのかを解き明かそうとすると「プーチン氏とは一体、何者なのか」という謎に突き当たる。第二次世界大戦時の英宰相ウィンストン・チャーチルは1939年10月「私にはロシアの行動を予測することはできない。謎の、そのまた謎の謎だからだ。しかし、おそらく鍵はある。その鍵とはロシアの国益(利益と安全、歴史的な利益)である」と予測した。

その年の8月、ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーとソ連の独裁者ヨシフ・スターリンは秘密裏に不可侵条約を結んだものの、ヒトラーが豊富な資源や農地を求めて黒海沿岸やバルカン諸国に侵攻したり、南東欧のスラブ民族を服従させたりすれば、いずれロシアの国益と衝突するとチャーチルは考えた。

元KGB(ソ連国家保安委員会)工作員のプーチン氏は共産主義とは異なる独裁体制を築き上げるため、チャーチルをして「謎の、そのまた謎の謎」と言わしめたスターリンよりさらに厚い謎を纏っている。

プーチン氏は「6つのペルソナ(仮面)」(ヒル氏)を巧みに使い分け、KGBの後継機関であるFSB(連邦保安局)を足場に、国家主義を信奉する内務省、国防省の「シロビキ」に支持基盤を広げ、オリガルヒ(新興財閥)を味方につけてきた。しかし、その権力構造はピラミッドというより、棒を垂直に立てたような形になっているとヒル氏は指摘する。国家と軍・情報機関、ロシア正教の三位一体の頂点に立つプーチン氏は何を考えているのか。

「トランプ氏が大統領だったら何も起こらなかったという考えは馬鹿げている」

ヒル氏はプーチン氏の価値観とは正反対の位置から独裁者を観察してきた。英イングランド北東部の炭鉱夫の家庭に生まれたヒル氏はスコットランドのセント・アンドルーズ大学でロシア語を学び、米ハーバード大学の奨学金を得てプーチン研究の第一人者となった。共産主義後のロシアで会議のためホテルに入ると売春婦扱いされ、講演者になるとお茶汲みに間違われた。ドナルド・トランプ前米大統領は彼女を秘書と思い込んでいたそうだ。

家父長制の典型とも言えるプーチン氏は彼女の目にはどう映ったのか。『プーチンの世界』や米紙ニューヨーク・タイムズ、ポリティコ、独ドイチェ・ヴェレなど最近のヒル氏のインタビューから「プーチン氏とは一体、何者なのか」という謎解きをたどってみた。ヒル氏は意外にも「プーチン氏は依然として戦略的な思考をする人だ。私たちには狂気に映るかどうかは別として、彼は戦略的な目標を持っており、それを達成しようとしている」と語る。

プーチン氏が大統領の座に就いて22年、彼はロシアと融合し、自分自身を無謬の存在とみなしている。プーチン氏のインナーサークルにいるのは「シロビキ」のセルゲイ・ショイグ国防相、ヴァレリー・ゲラシモフ軍参謀総長ら軍首脳とロシア連邦安全保障会議のニコライ・パトルシェフ書記、アレクサンドル・ボルトニコフFSB長官、セルゲイ・ナルイシキン対外情報局(SVR)長官ら情報機関首脳である。

彼らに共通するのは、ウクライナ独立から30年が経過したものの「ウクライナは本質的にロシアの一部だ」という間違った歴史観だ。ヒル氏は「ウクライナ全面侵攻の計画はおそらく数年前から考え抜かれていた」「トランプ氏が米大統領を続けていたら何も起こらなかったという考えは馬鹿げている。ウクライナを失う前に、プーチン氏はウクライナに侵攻して軌道をロシアの方に戻すことを心に決めていた」と言う。

プーチン氏にブレーキをかけられるのは

Getty Images

プーチン氏は憲法を改正して2036年まで大統領の座に居続けようとしている。すでにロシア連邦議会は単なる追認機関と化し、政治体制においてプーチン氏を抑制するものは何もないとヒル氏は言う。プーチン氏にブレーキをかけられるとしたら支持率だけだ。しかし国民の大半にとってプーチン氏は1990年代のどん底からロシアを立て直した功労者で、ほかに選択肢がないためプーチン人気は依然として70%を超えるほど高い。

「長い間権力を握ってきた人が間違いを犯すようになると権力の抑制と均衡が働かないので非常に危険だ」「プーチン氏はアメリカがロシアの体制転換を企てていると思い込んでいる。ロシア経済をクラッシュさせ、プーチン氏が消えてしまわないとウクライナ侵攻は終わらないと私たちが口にすればするほど、ロシアは常に包囲されている、ロシアの指導者も包囲されているという精神状態を悪化させる」

危機になればなるほど、ロシア国民はプーチン氏を必要とする。24年に大統領選を控えるプーチン氏はウクライナに侵攻し「誰が邪魔をしようともロシアは直ちに対応し、その結果はあなた方の全歴史の中で見たこともないようなものになる」と核戦力を特別警戒態勢に置いた。「プーチン氏が常軌を逸した残酷なものを使わないと思う人がいたら考え直してほしい。彼はやるだろう。彼は私たちにそのことを思い起こさせたいのだ」とヒル氏は言う。

「私たちはすでに第三次世界大戦の中にいる。第二次世界大戦は第一次世界大戦の結果であり、その間に戦間期があった。ある意味、冷戦の後、再びそのような時代がやってきた。いま起きていることの多くは第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国が分割され、オスマン帝国が崩壊したことに端を発している。プーチン氏は第二次世界大戦後、閉ざされたはずの欧州の扉を開けた」とヒル氏は警戒を強める。

プーチン氏の6つのペルソナ

Getty Images

(1)国家主義者
1950年代に生まれ、90年代に政界に進出したプーチン氏の世代は旧ソ連が崩壊する過程を目の当たりにした。ロシアを強国として再建することが最優先課題だ。99年末、プーチン首相(当時)は「ミレニアム・メッセージ」と呼ばれる5000語の論文で、歴史を通じてロシアがその地位を低下させるのは、愛国心、集団主義、結束、大国としての影響力などロシアの人々を結びつける固有の価値観を見失った時だとの考えを示している。

(2)歴史家
プーチン氏は大の読書家で、歴史家を自称する。大統領就任以来、プーチン氏と側近はピョートル1世、エカテリーナ2世、アレクサンドル2世らの胸像や肖像画を飾るなど、歴史を都合良く切り取って政治的な立場を強化し、ロシア正教、皇帝による専制制度、皇帝に忠実な国民の三位一体という19世紀末の「ウヴァーロフ・ドクトリン」に回帰した。

プーチン氏は帝政ロシアの首相ピョートル・ストルイピンと自分を関連付け、ストルイピンが暗殺された100周年に合わせ、大統領復帰を目指すと宣言した。ストルイピンは労働組合運動や革命運動を徹底的に弾圧する一方で、農業分野を中心に地方自治、司法・行政機構の改革を進めた。しかし、その歴史観は時代錯誤の帝国主義と言わざるを得ない。

(3)サバイバリスト
ドイツ軍に取り囲まれたレニングラード包囲戦(現サンクトペテルブルク、1941~44年)では市民80万~150万人が死亡したとされ、プーチン氏の兄も犠牲者になった。格闘技のボクシング、サンボ、柔道で体を鍛えたプーチン氏は強い生存本能を持っている。経済・金融危機、欧米の制裁に備え、対外債務を減らし、外貨準備を積み上げた。

(4)アウトサイダー
プーチン氏の家族は旧ソ連時代、インテリゲンチャ(知識層)でもノーメンクラトゥーラ(特権階級)でもなかった。ユーリー・アンドロポフの改革でKGBに採用されたものの、ソ連国内ではなく東ドイツに派遣されるなど、完全なアウトサイダーだった。

(5)特異な自由経済主義者
サンクトペテルブルクの副市長時代に市場資本主義を経験した。当時、ドイツやフィンランドとの合弁でジョイント・ベンチャーが設立される。しかし、プーチン氏の描く自由市場や起業は西側とは異なり、他者の弱みに付け込む「駆け引き」に軸足を置き、オリガルヒの面々を入れ替えた。一時ロシアはG8に加わり、世界第5の経済大国を目指していたが、原油・天然ガス依存の経済構造を改革できずに挫折した。

(6)ケースオフィサー(工作員)
KGBのケースオフィサーのように人心を掌握し、味方につけていく。敵は容赦なく切り捨てる。ゲアハルト・シュレーダー元独首相、フィンランドのパーヴォ・リッポネン元首相、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相のほか、欧州の極右勢力とも良好な関係を築いている。

(おわり)

Source

タイトルとURLをコピーしました