プーチン独裁生んだ不寛容な米国 – 山内康一

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フランスの人口学者・歴史学者のエマニュエル・トッドは、人口動態からソ連崩壊を予測して的中させたことで有名です。今回のロシアのウクライナ侵攻の背景を理解する上でも、エマニュエル・トッドの意見は参考になると思います。

2019年10月9日に行われたインタビューでエマニュエル・トッドは次のように述べています。

ロシア人はある意味でエレガントに共産主義体制から抜け出したのです。これは(当時のソ連共産党書記長)ゴルバチョフ氏の偉大な功績です。ロシア人たちは戦車をほかの国に送ることを拒み、旧東欧諸国の解放を受け入れました。ソ連の解体さえも受け入れた。バルト三国の独立も認めた。

加えて、ウクライナの独立さえ受け入れたのですよ。ウクライナは歴史的、文化的にロシアとつながりの深い国です。たとえばロシア語で小説を書いたニコライ・ゴーゴリもウクライナ人です。

けれども、ロシア人はすぐに西側欧州と米国に裏切られました。共産主義体制の崩壊後、欧米はロシアにネオリベラリズムの助言者を送り込みました。彼らはロシアに間違った助言をしたのです。彼らの助言はロシア国内に混乱を招いただけでした。

エマニュエル・トッドの指摘する通り、ゴルバチョフ書記長の功績は偉大です。ほとんど血を流さずに共産主義体制を終わらせたのは歴史的快挙だと思います。

しかし、その後の西側諸国の対応は非常にまずかったと思います。新自由主義的な市場経済化は、貧富の格差を一気に広げ、政商や独占資本家が莫大な富を不公平なやり方で手に入れ、多くのロシア国民を塗炭の苦しみに追い込みました。多くのロシア人が「ソ連時代の方がマシだった」と思ったことでしょう。

そんな中で強いリーダーを求める時代の空気がプーチン大統領を生み、石油価格高騰の追い風も受け、プーチン独裁体制を生んだのだと思います。プーチン体制は、ロシアの民衆の不満をうまく救い上げ、軍事力を強化し、報道の自由を抑圧して反対派を押さえ込み、強固になったといえるでしょう。

  冷戦終結前後に登場したレーガン米大統領とサッチャー英首相は、共産主義の崩壊を、文明化されていない資本主義、ネオリベラリズム、ヒステリックな資本主義の勝利だと考えてしまったのです。そして、それがあらゆる種類の行き過ぎにつながりました。(中略)

まず戦略面、軍事面です。つまり、米国は北大西洋条約機構(NATO)の境界を東に広げないと言っていました。しかし実際は戦略的な優位を可能な限り推し進めて、結局ロシアを囲い込んでしまった。あまり知られていないけれど、それはかなりのところまできている。今や、おかしなことにだれもがロシアを責めるけれど、米国とその同盟国の軍事基地のネットワークを見てみると、囲い込まれているのはロシアです。

西側諸国がロシアを“意図せず”に追い込み過ぎたのだと私も思います。確かブッシュ(父)大統領は「米国はNATOを拡大しない」と約束したと思います。その約束を守らなかったことが、ロシアに西側への不信感を植えつけました。

もちろんプーチン大統領のウクライナ侵攻は肯定できるものではありません。クリミア併合なども含めこれまでのプーチン大統領のウクライナに対する侵略行為は国際法的にまったく許されません。

しかし、何らかのかたちで戦争が終結し、ロシア国内の政変やクーデター、選挙などでプーチン大統領が排除されることになったあかつきには、西側諸国はこれまでのロシアに対する不寛容すぎた政策をあらためる必要があります。

米国の戦後処理の成功例は、日本と西ドイツだと思います。米国は、軍国主義の日本とナチスドイツを戦争で破ったあと、きわめて寛容な占領統治を行い、そのおかげで日本と西ドイツは民主的で豊かな国として再生できました。

本来であれば、冷戦が終結してソ連が崩壊した後に、米国がやるべきだったのはネオリベラリズムのアドバイザーを送り込むことではなく、ロシア人のプライドを傷つけることなく、ロシアの経済再生と庶民の暮らし支援することだったと思います。

ソ連崩壊後に西側がもっと寛容な政策をとっていれば、ロシアにプーチンのような強権的政権は誕生せず、ウクライナ侵攻もその前のジョージア戦争やチェチェン紛争も起きていなかったかもしれません。

ロシアのウクライナ侵攻は、短期的かつ戦術的にはロシアの勝利に終わるかもしれません。しかし、長期的かつ戦略的に考えれば、ロシアの敗北に終わると私は思います。

正規軍同士の戦争がロシアの勝利に終わったとしても、ゲリラ戦やパルチザン運動が広がれば、ロシアはアフガニスタンの失敗を繰り返す可能性も高いでしょう。

そもそもキエフが陥落するかもわかりません。第二次大戦のスターリングラードの戦いでは、郊外の平原での戦車戦ではドイツ軍優勢だったのが、市街戦になると戦車や急降下爆撃機が使い物にならず、白兵戦になってドイツ軍の機動力が活かせず、ドイツ軍は敗れました。ロシア軍が市街戦で苦戦する可能性は十分にあります。

サダム・フセイン政権を倒した後に米軍はイラクへの兵力投入をケチったために苦戦しました。市街戦は戦闘のためにも占領のためにも多数の歩兵が必要になります。ウクライナは森が多いですが、森は兵士を隠しやすく、森には戦車も入れず、爆撃もしにくいので、ゲリラ戦や奇襲作戦・待ち伏せに適しています。

ロシア軍はウクライナ侵攻に19万人の部隊を用意していましたが、広大なウクライナを占領するには十分ではないでしょう。中東から外人部隊を呼ぶのも兵力不足への対処でしょう。

第二次世界大戦中のソ連軍の動員兵力は1500万人くらいだったといわれます(当時の米軍の動員兵力は1200万人くらいだったと思います)。それに比べると現代のロシア軍の動員兵力は少なく、兵力で圧倒するのは簡単ではありません。

チェチェン紛争でロシア軍は苦戦しましたが、チェチェンの人口は百万人を少し超える程度だし、アフガニスタン侵攻時のアフガニスタンの人口は1500万人くらいです。いまのウクライナの人口が4300万人であることを考えると、占領統治は簡単ではないでしょう。最終的にロシアはウクライナから出ていかざるを得ないでしょう。最後はロシアが負けると思います。

将来のロシア敗北後にロシアに対して不寛容な政策をとってはいけません。第一次世界大戦の戦後処理の失敗は、ドイツに多額の賠償を負わせ、ドイツ国民の暮らしにダメージを与えた上にプライドを傷つけ、ナチスの台頭を招いたことでした。

第二次世界大戦の戦後処理では、米国が賢明にもナチス台頭の教訓をいかし、日本と西ドイツに寛容な戦後処理を行いました。プーチン失脚後のロシアに対しては寛容な政策をとり、ウクライナとロシアの両国の復興を西側諸国が支える必要があると思います。次の戦争を予防するための戦後処理を今から考えておくことも有益だと思います。

そしてプーチン政権の戦争行為は否定すべきですが、ロシア人のなかにも広範な反戦平和の声があると思います。ロシア人やロシアという国を敵視するのではなく、プーチン政権の侵略行為を断罪すべきだと思います。

*参考文献:エマニュエル・トッド 2021年「パンデミック以後」朝日新書

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