賃金を考える①:働きがいとは?

アゴラ 言論プラットフォーム

バンクーバーの隣の街、バーナビー市に日本にある商店街を建物の中に凝縮したような中華系のショッピングモールがあります。北米ではショッピングモールはデパートなどコアテナントを中心とした出店構成ですが、このモールにはコアがありません。しかし、その賑わいはかつての日本の商店街をほうふつとさせ、安くて新鮮な食材やほぼすべての店が中華料理店というフードコートに至るまで中国語だけが飛び交い、白人を目にすることはほぼなく、中国そのものの文化がいまだに生きていますが、人々で溢れかえるその活況ぶりに目を見張ります。

100以上あるであろう店舗をもう少しじっくり見ると従業員はいつも同じだということに気が付きます。八百屋のレジは常に長蛇の列をなす中、いつものレジの年配女性は昔風の計り売り機能がついたPOSではない普通のレジで日々、変わるであろう価格をすべて暗記し、一瞬のうちにレジ精算をし、支払いは全部現金だけです。支払いにもたつく客には「ちょっと横に動いて!次の客を捌くから」と前の客の支払い完了を待つ間に次の客の精算が進みます。

「この二刀流」とも言うべき処理能力は現代の最新技術のレジより早いかもしれません。POSがないから仕入れはたぶん、長年の勘一筋でしょう。それらの仕事には熟達された能力を感じ、仕事に誇りを持つ従業員の姿を感じます。

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北米で人の雇用が難しくなった話は時々お伝えしています。特にコロナ禍で従業員の言い分が強くなったことは特筆できる点です。週に数回のリモートワーク、最低賃金の上昇に合わせた賃金全体の上昇圧力、日本ではヤフーが今年1月、日本のどこに住んでも通勤費を会社負担してくれることを発表しました。

5-6年前のITブームの頃、雇用促進のために昼食は会社が負担し、ミールサービス会社が昼前になると様々なフードを会社に宅配、それらの会社ではビュッフェのように好きなものを好きなだけ食べ、社員のリラックスしやすい環境を整えました。WeWorkではかつてビールのサーバーがあり、午後6時までならビールを無料で飲める環境を提供しました。

日経に「Amazon、米雇用揺さぶる『時給2000円×社員110万人』」という記事があります。全米各地で急速に展開する物流センターの開所に合わせ、地元従業員を鯨が魚を食べるように全部吸い取ってしまっています。地方都市に出現するアマゾンの物流センターの影響は他の地元企業やビジネスに従業員採用のチャンスを奪い取る悪影響を与えました。

これはアマゾンに限らず、比較的小さめの街に工場や物流センターなど人材を大量に雇用する事業が生まれると雇用の物理的限界を超え、奪い合いになり、挙句の果てにいびつな産業構造を引き起こすのです。こんなこと、私でも気がつくのに労働専門家は放置したのでしょうか?

例えば就労人口30万人、失業率5%の街に1000人雇用を必要とする産業が生まれたとしましょう。失業中の人が1万5000人いるから素晴らしいことだ、と思うでしょう。ところが北米で失業率の概ね3%程度は業務を維持できないレベルの労働者層であるため、実質的に雇用可能労働力は失業率の2%相当の6000人程度と計算できます。

一方、失業者のみならず、現在働いているけれど転職を志願する人はその新しい会社が提供する魅力的な雇用条件、例えば時給や福利厚生、安定感、さまざまな相談窓口、有給の取りやすさなどを今務めている会社と比較し、少なからずの人が新しい職場に応募するでしょう。またその求めらえる能力はマネージャークラスから保安要員まで各種であり、その影響は広く街全体の雇用環境に波及します。

アマゾンの従業員の定着率は悪い、とされます。かつて日本の某運送会社は「めちゃくちゃきついけれど頑張れば月100万円稼げる」と話題になりました。そこで働く人たちは「短期決戦」と称して半年とか1年で稼ぐだけ稼ぎ、パッと辞めて海外旅行や自分の目的を達成するために消費しました。アマゾンの定着率の悪さはそういう短期決戦といったような明白な労働意識を持つわけではなく、「とりあえず、時給も良いからやってみる」というタイプでアマゾンへの愛も仕事に対する熱意もないのです。ただ、言われたことだけをこなす、という無想感が漂っている気がします。

私はアマゾンを敵対視しています。それはビジネス上の競合関係にあるというだけではありません。アマゾンが提供する働き方は人をお金や福利厚生など諸条件だけで根こそぎすくい上げ、経営側の成長プランを満たす道具として活用しているだけのように見えるからです。

仕事にはなぜ、自分はこの仕事を一生懸命やっているのか、という意識があるべきです。この商品を手にした人はどれだけ喜んでくれるのか、まだ見ぬ顧客の顔を思い浮かべながら仕事ができるのか、といえば皆無であろうと思います。

私の会社の従業員の奥さんはCOSTCOで夜勤の仕事をしています。彼女の担当は衣料品売り場で新しい商品の陳列以外に営業時間にぐちゃぐちゃになった陳列してある衣服をひたすらたたみ直すのです。このドイツ系の奥さんはきちっとした性格でお客さんが朝、気持ちよく衣料売り場でショッピングを楽しんでもらいたいという一心で静まり返る夜、わずかのスタッフしかいないCOTCOの店内で黙々と今日もたたみ続けているのです。しかし、それは見えない顧客への愛にあふれているともいえるのです。

従業員の賃金を引き上げることは重要です。しかし、圧倒的な賃金や諸条件の提示はそれまであった安定した既存ビジネスをぶち壊すリスクを負います。それなら従業員に頼らない、身内だけの安定したビジネスをした方がずっと精神衛生的に安心だと思う事業者も必ず出てくるでしょう。

就業者とは何か、単に金銭面だけの改善でよいのか、もっと仕事が自分のマインドに紐づくことが必要ではないか、と現場や社会の動きから感じないわけにはいかないのです。

賃金についてはその2でもうすこし、深掘りをしたいと思っています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年3月14日の記事より転載させていただきました。

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