不妊治療経て養子 周囲の反応は – 工藤まおり

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血の繋がらない息子に「自分は周りと違う」と思わせないように

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「今日は子どもと一緒に、初詣に行きました」
「家族で初めて、動物園に行きました!」

広子さん(仮名/30代)のTwitterには、3歳になったばかりのハル君の育児に関する投稿が楽しげに綴られている。その投稿には、同じく育児に奮闘する親たちのアドバイスや共感などのリプライ(返信)が並んでいた。

フリーランスWEBデザイナーである広子さんと、夫である公務員の宏さん(仮名/30代)は、3年前に特別養子縁組を行い、生まれたばかりのハル君をお迎えした。

現在、夫婦の6組に1組は不妊に悩んでいると言われている日本。今年の4月から不妊治療の保険適用が始まりさらに取り組む夫婦が増えることが予想される。

そんな中で、子どもを望んでいるものの、授からなかった時のひとつの選択肢が「特別養子縁組」だ。

今回は、不妊治療の末に特別養子縁組を行った広子さんにキッカケや今の思いについて話を聞いた。

20代から妊活を意識したが、子どもに恵まれず

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広子さんは28歳の時に、公務員の宏さんと結婚した。

結婚前、広子さんはWEBデザイナーとして働いていた。毎日納期に追われ家に帰れず、オフィスに段ボールを敷いて寝るような日々。忙しさからか、1ヶ月間生理の血が止まらなかったこともあった。しかし、仕事を休むことができず、病院に行くことはなかった。

頭の片隅で「もしかしたら、私は子どもができにくいかもしれない」と思っていたが、妊活を始めたタイミングでその予感が的中してしまう。

「夫も私も検査をしても異常はなかったんですが、なぜか私は採卵がうまくいきませんでした。卵子がとれなかったり、もしとれても受精卵にならなかったりして、胚移植ができたのは2回くらいでした」

不妊治療は人工授精、体外受精とステップアップしていくにつれ治療費が上がっていく。月に数万円かかる漢方を毎日飲んだり、卵子の採卵がうまくいくようにホルモン剤の自己注射を何度も打った。

「注射が苦手なのに、なんで私ばっかりこんなに注射を打たなきゃいけないんだと思って、夫に『あなたも注射を打ってもらいなよ!』と言ったことがあります。男性と女性の痛みが全く違うので、理解してもらうことも大変でした」

宏さんは、治療に苦しむ広子さんを懸命に支えた。仕事の都合がついたらなるべく治療に付き添い、広子さんが注射を打つ時には「頑張って」と声をかけた。

かなりの時間とお金を不妊治療に費やしたが、一向に子どもができる兆しはなかった。

不妊治療に対する助成金では賄いきれないくらいの金額が家計にのしかかってきたが、それでも広子さんは仕事をセーブするわけにはいかなかった。仕事をセーブしたら、収入が減り生活が苦しくなってしまうからだ。宏さんに節約を提案して、喧嘩になったこともあった。

職場と治療の板挟みに

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職場の上司や同僚には不妊治療を行っていることを伝え、仕事を両立させながらクリニックに通い続けた。

周囲も理解をしてくれていたというが、それでも仕事と不妊治療の両立は、予想以上に広子さんを苦しめ続けた。

「社内で不妊治療が悪いという認識はなくても、実際に経験したことがない場合はどんなものかということはわからない。例えば、採卵日は毎月同じ日とは限らず、その月によって変わる。医師からは、『あと2、3日後に排卵するので来てください』と直前に言われるんです。そのため、急に仕事を休まなければなりません。大事な仕事とタイミングが重なった時は、上司から『もっと前に排卵日はわからないのか』と言われてしまって……」

仕事と治療の両立に対し、医師から冷たい言葉を投げかけられたこともあった。

「仕事の代わりがいなく仕方なく出張に行くため採卵ができないことを伝えたら、クリニックの先生から『あなたは妊娠したくないの?』と言われることもありました」

不妊治療を始めてから5年、35歳の時、ついに心身ともに限界がきたのだった。

「最悪、養子」なのか?気付かされた瞬間

そんな時、偶然、広子さんは自宅ポストに入っていた特別養子縁組のフリーペーパーを目にした。

「もともと子どもが好きなので、血の繋がりがあってもなくても、子育てをしたいと思っていました。以前からTwitterで特別養子縁組の存在は知っていて、不妊治療中も夫と『子どもができなかったら養子をもらおうか』という話をしたこともありました」

さらに広子さんの背中を押したのは、妹からの言葉だった。

「妹に『子どもができなかったら、最悪養子を検討しようと思う』と相談したら『それって、別に最悪じゃなくない?』という言葉が返ってきて。ハッとしました」

考えてみたら広子さんにとって、養子を迎えることは「最悪」ではなく「最適」な選択肢だったのだ。

「妹からの言葉もあって、不妊治療を終わらせることを決めました。早速夫に『次の体外受精でだめだったら養子をもらおう』と話し、特別養子縁組に向け具体的に動き出すことにしました」

工藤まおり

最初は児童相談所にも相談をしたが条件が合わず、半年間かけて選んだ民間の特別養子縁組団体の説明会に参加。宏さんと2人で約半年間、座学で小児医学や児童福祉論を学んだり、養子を迎えた夫婦の話を聞いたり赤ちゃんの沐浴方法を学んだりする研修期間を経て登録を行った。

研修を受ける中で、何度も団体から聞かれたことがあった。それは、「障害があるお子様だった場合どう対応されますか」ということだ。

特別養子縁組では、男女や障害の有無は選べない。実際に特別養子縁組で子どもを迎えた後に障害があるとわかるケースもある。

「不安がないと言われると嘘でしたし、今後も子どもに障害があるとわかったら悩むこともあると思います。ただ、実の子だとしても同じように障害がある可能性はあるし、私たちはそれも含めてご縁だと思いました。そうだったら、わかった時点で必要なサポートが何かを調べて頑張っていくしかないと今でも考えています」

宏さんにも聞くと「全く気にしてなかったです」とキッパリ答えた。「妻が言った通り自然妊娠出産したとしても同じ状況なので、受け入れるという考えでした」

「養子を迎えることにした」。両親の反応は

研修を受ける過程で、団体の担当者から「ご両親にも伝えてください」と言われ広子さんと宏さんそれぞれの両親にも特別養子縁組で子どもを迎える予定だということを伝えた。広子さんは「当初、私の両親は大丈夫だと思っていて、逆に夫のご両親にビックリされるのではと思っていたんです。でも、実際に話してみたら思っていた反応と違っていました」と振り返る。

「実母からは『そこまでして、子どもが欲しいの?』とビックリされました。私から理由を聞くと納得して賛成してくれましたが、私としては予想外の反応でした。逆に父親は以前、養子縁組を考えていた時期があったらしく大絶賛していました。

義母からは『私からは言えなかったので、とてもいい選択だと思う』と温かく背中を押してもらいました」

全ての準備が整い、あとは特別養子縁組の連絡を待つのみ。連絡はいつ来るのかがわからず数年かかるところもあるが、団体から連絡がきたら、すぐに対応しなければならない。

「ハルを迎える話がきた時は、独立してフリーランスになっていたので、特別養子縁組に合わせて仕事の量を調整することは可能でした。取引先にも事情を説明し、『穴が空いたら大変なものは私を入れないでください』と伝えて連絡を待ちました」

お宮参りと100日は両家の両親みんなで

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登録から6ヶ月目が経過した時。ついに団体からメールが届いた。

「ハルを生んだお母さんの年齢や出産予定日などの情報がきました。私の登録した団体は実母との面会を許可しているところでしたが、彼女が私たちとの面会を希望していなかったので、顔合わせはしませんでした。でも、出生届を出すために名前を決めて欲しいと団体経由で連絡がきたので、夫と一緒に名前を考えました」

そしてついに、念願の我が子であるハル君との対面。

「最初ハルと会った時『なんてかわいい子がきたの』と思いました!」

当時を思い出し、広子さんは笑顔で話す。ハル君を家に迎えるとすぐに広子さんと宏さんの両親に会わせることにした。両家のどちらにとっても初孫だった。祖父母になった彼らにとってハル君がかわいくないわけがない。ハル君のお宮参りと100日祝いは、両家みんなで行ったという。

「私の父親からは、毎日2回電話がかかってくるようになったんです。ハルが食べた物やどうやって1日を過ごしたのかを嬉しそうな声で聞いてきます。義母からはたくさん服を送っていただいています。私の誕生日に『誕生日プレゼントを送ったよ』と言われ、プレゼントを開けてみたら子どものお洋服ばかりでした」と笑う。

小さい頃から養子であることを伝える理由

3歳になったハル君に、広子さんは絵本を活用しながら特別養子縁組ということを少しずつ伝えている。

いつ、どのタイミングで子どもに養子ということを伝えるのか。真実告知について、意見はさまざまだ。

「養子当事者のTwitterアカウントでは、小さい頃から言われた方がよいとする意見が大半を占め、仲介してくれた団体からも早めの告知を勧められましたが、中には『知らされないままがよかった』という声もあり、胸がギュッと締め付けられます」

日本では「血の繋がりがない親子」の存在はまだ珍しいことだと捉えられがちだ。

諸外国における要保護児童の里親委託率に関しても(制度が各国で異なるため一概に比較できるものではないが)アメリカやイギリスは7割を超え、オーストラリアは92.3%と高い数字となっている。

しかし日本の場合は、21.5%。要保護児童のほとんどが児童養護施設などで養育されており、里親や養子縁組制度により家庭で養育される子どもは僅かだ。それゆえに、どうしても少数派となり社会の理解も十分に進まないという現実がある。

広子さんは「特別養子縁組の子どもが『自分は他の人とは違う』と悩まないような社会にしていきたい」と話す。

「そんな社会にするためには、まず私たちがオープンにするしかない。なので、私は児童館で会った
ママ友に『どちらで出産したんですか?』と聞かれた場合は『うちは養子なんですよ』と話すようにしていますし、保育園やご近所の方との会話でも嘘をついたり、変に隠すようなことをせずに、会話の中で自然に特別養子縁組で繋がった家族なんだということを伝えていければいいなと思っています」

また、広子さんは特別養子縁組での子育てについても発信し、Twitter上で検討している人から相談に乗るなど積極的に活動している。

「『夫や両親が特別養子縁組に納得してくれない』という相談を受けることが多いのですが、クリニックに通院し養子縁組の制度について知ることが多い妻との間に情報格差があるからではないかと思っています。私の経験をシェアすることで少しでも身近なこととして考えてもらうキッカケになればと思っていますし、少しずつ浸透していけば、いつか養子と聞いても『へーそうなんだ』くらいの反応になるなと思います」

筆者は「家族ってどういうものだと思いますか?」と広子さんと宏さんに尋ねた。

宏さんは「どんな形であれ、笑い合って生活できれば家族だなと思っています」と答え、広子さんは「今うちにいる子も、猫も含めて私は家族だと思っている。もうすでに家族。自分が家族だと思っていればもう家族です」と答えた。

ハル君を抱き上げ愛おしそうに眺めた広子さんと、その隣でハル君をあやす宏さん。3人は血は繋がっていないはずだがその笑顔はどことなく似ているように見えた。

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