日本人のビール離れが進んだ要因 – PRESIDENT Online

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アサヒグループホールディングスは2月15日、アサヒビールの神奈川工場と四国工場の操業を終えることを発表した。ビール類市場は17年連続で縮小している。経営コンサルタントの鈴木貴博さんは「市場縮小の原因は30年前までさかのぼる。復活のカギは2026年だ」という――。



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30年前から「ビール離れ」は運命づけられていた

「我が世の春」

と有頂天となっている時に滅びの種が蒔かれはじめるものです。ビールの巨大工場が閉鎖されるニュースが話題になっていますが、ビール各社にとっては1990年代前半、ひとりあたり酒類消費量が最高潮だったときに「3つの滅びの種」が誕生しました。

ビール類市場は2021年まで17年連続で縮小しています。日本人が浴びるほどアルコールを飲んでいた狂乱の1990年代と比べれば近年のひとりあたり消費量は8割まで減りました。ビール各社のこれからの戦略はどうあるべきなのでしょうか?

若者のビール離れが言われるようになって久しいですが、因果関係を考えると逆でしょう。若者がビールから離れるようにメーカーが仕向けた。悪いのは若者ではなくメーカーだという説です。はっきりと言えばビールメーカーが「まずいビール」と「高いビール」に力を入れはじめたときから、今日のビール離れは運命づけられていたのでしょう。

この話をすると経済評論家としては仕事が減ってしまうかもしれませんが、こういうことははっきりと言っておいたほうがいいでしょう。まずいビールとは酒税法上はビールではないビール類のこと。つまり新ジャンルと呼ばれる酒税の安いビールのことで、1990年代を境に若者は主にこのまずいビール類を飲む運命になりました。理由はビール会社がそのように戦略を定めたからです。

発泡酒出現のタイミングで、酒類の消費量は減っていた

バブルが崩壊した1990年代前半に酒類販売免許制度が緩和されてディスカウントストアでビールを扱えるようになったことがきっかけで、ビール各社が酒税の安い発泡酒に力を入れるようになりました。

実はこの当時、海外の有名ブランドのビールが日本の酒税法上は発泡酒になることがビール各社の間で話題になっていました。そのブランドはビールではないとブランドイメージが悪くなるということで、成分的には発泡酒でもあえてビールの酒税を収めて国内で販売していたのです。が、逆に言えば発泡酒でも十分においしいビールを作ることができるということでした。

そんなことからビール各社が発泡酒に力を入れはじめたことで1990年代中盤に発泡酒ブームが起きます。後から歴史を振り返れば、日本人のひとりあたり酒類消費量のトレンドが変化して、需要ががくんと減ったのはこの発泡酒出現のタイミングでした。90年代前半の消費量を100とすれば90年代後半の消費量は95に下がったのです。

第3のビールが出現した頃から、ビール類市場の減少が始まった

2003年には発泡酒はビールとほぼ同じ市場規模に成長するのですが、その傾向が良くないと考えた政府によってこの年、酒税法が改正されて発泡酒の価格が大幅に上がります。この年を境に発泡酒市場は縮小し、代わりに改正された酒税でも価格が安い第3のビールと呼ばれる新ジャンルに、安いビール類の主役が代わります。この第3のビールがまずかった。

実は日本人が本格的にお酒を飲まなくなるのは、この第3のビールが出現した2003年からです。ひとりあたりアルコール消費量は90年代前半を100とした場合にさらにがくんと90を切るように大幅に減り、そこから毎年のようにずるずるとビール類市場の減少が始まります。

要するに、新ジャンルはビールに口当たりは似ていますがビールよりも明確にまずい。物資が不足した戦時中にビール各社はサツマイモからビールが作れないかを研究したそうですが、やっていることは同じで安い代用品を現代の技術で再現しただけ。そしてまだ経済的に余裕のない若者が成人して居酒屋で最初に味わうのはこの「まずいビール」ですから、若者のビール離れはビール会社にその責任があるわけです。



※写真はイメージです – 写真=iStock.com/taka4332

富裕層は「うまいビール」若者は「まずいビール」

さて皮肉な話ですがこの1990年代から日本中でもうひとつ、うまいビールブームが起きます。きっけかは漫画『美味しんぼ』のヒットです。美味しんぼの影響で、美食家から見て本当においしいのはビール純粋法の下で作られたドイツのビールであり、それと同じルールで作られているのは日本ではエビスビールしかないという新しい常識が誕生したのです。

それを受けてビール界では高いビールが誕生します。プレミアムモルツのヒットを皮切りにビール各社がプレミアムビール市場を作り上げます。時を同じくしてマイクロブリュワリーが認可されるようになり、地ビール市場もひろがりました。今ではクラフトビールなど高くておいしいビールが多種多様な形で手に入るようになりました。

それ自体はビール市場にとって良い動きだったのですが、1980年代のように老若男女平等に同じうまいビールを片手に居酒屋で「うぇい」とお酒を飲む時代とは異なり、高いビールを飲む所得階層が誕生しました。富裕層はおいしいビールを飲み、下流層の若者は高いビールが飲めない時代に突入したのです。

3つめの滅びの種は「飲み放題」の誕生

さて2000年代、日本経済は長期のデフレ経済に突入します。この時代に消費者のハートを射抜いた酒類業界の戦略が、3つめの滅びの種である「飲み放題」でした。

飲み放題というのは1980年代にも存在しましたが、今のようにどの居酒屋でもデフォルトで存在するようなサービスではなく、ごく一部のお店でしか存在しないサービスでした。それが急速に広まった結果生まれたのが泥酔文化です。

今の若いビジネスパーソンにこんな話をしてもぴんと来ないかもしれませんが、1980年代のビジネスの場では飲み会が4次会まであるのがある意味あたりまえでした。具体的にはお客さんとの会食が設定されたとします。それがお開きになると当然のように同じお客さんと2次会に行くのです。銀座のクラブはこうした2次会需要で大賑わいでした。

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