テレワークが普及する中で、各企業のシステム管理者が注目している機能がある。「インテル vPro プラットフォーム」。今や企業向けに提供されている多くのPCに搭載された、“遠隔でのPCの運用管理”などをサポートする機能だ。
そこで、INTERNET Watchでは、古くからエンジニアとしてインテルのLANカードなどに関わり、インテル vPro プラットフォームのルーツともいえる「Wake on LAN」の黎明期から最新vPro事情までを知り尽くした“匠”こと牧真一郎氏にコンタクト。「インテル vPro プラットフォーム」の魅力にせまる「匠の部屋」をオープンした。
今後、「匠の部屋」では使いこなしテクニックなど、さまざまな情報を発信していく。今回は、vProの基本ともいえる「リモート電源ON機能」にフォーカス。牧氏が開発に関わってきたLANカードやコントローラーチップとともに、vPro以前の「電源ON機能」である「Wake on LAN」の歴史から掘り下げて紹介していきたい。
PC98時代のLANコントローラー事情、Wake on LANってどう使われていた?
――牧さんはかつて、インテルでLANカードを扱うエンジニアだったそうですね。
牧氏:はい、1996年頃から、「インテル vPro プラットフォーム」の大元になったネットワーク製品について、OEM担当エンジニアとして関わっていました。
――OEM担当エンジニアというと、どんな仕事になるのでしょうか?
牧氏:主には、PCメーカーさんでの実装の支援ですね。当時のインテルのネットワーク製品は代理店を経由しての販売が主流で、PCメーカーさんに対するOEM販売はごくごく一部……というより、ちょうど始まったばかりでした。
――「インテル vPro プラットフォーム」の大元になったということですが、何か印象残っているネットワーク製品はありますか?
牧氏:私が初めて関わったのは、「Intel EtherExpressPRO/100 Model B」というLANカードと、そこに搭載されている「82557」というLANコントローラーでした。従来のLANコントローラーはPCIインターフェースICを介してPCIバスに接続していましたが、この製品はPCIバスに直接接続できるのが、当時としては画期的でしたね。あの頃の最新規格である「100Base-TX」もサポートしていました。
この時は、「PHY」と呼ばれる“LANケーブルの信号とコントローラーを接続するIC”は、National Semiconductor製の物を2つ使用していたので、全部で3チップ構成となっていました。その後、PHYが1チップとなったことで2チップ構成となり、さらにPHYをインテル製の「82555」という製品に置き換えています。
――このコントローラーが、当時のPCで使われていたわけですね。
牧氏:「82557」が出たタイミングで、米国の事業部がコントローラー単体の販売を積極的に行うようになり、日本でも各PCメーカーにアプローチしていました。ただ、当時はLANが普及しておらず、最新鋭の100Base-TXに対応したハブやスイッチなどのネットワーク機器もまだまだ高価だったんです。企業でLANが使われていたとしても、10Base-2/5/Tが主流で、マザーボードにLANが載ったPCは市場にほとんどありませんでした。
最初に「82557」が採用されたのは、PCIバスを搭載するようになった「NEC PC-9821 Mate」シリーズでしたね。その後、「82558」、「82559」とコントローラーの世代を重ねるにつれて、次第に他のメーカーでも採用されていきます。デスクトップPCだけでなく、サーバーやノートPCでの利用が増え始めたのも、この頃のことではないでしょうか。
――昔は“インテル製LANチップのNIC”って、羨望の的でしたよね。今はチップセットの中に入っているぐらいなので、簡単に使えますが。
牧氏:NEC PC-98シリーズだけでなく、DOSやWindows/NT、OS/2、NetWareなど、とにかく色々なOSをサポートしていましたから。オフロード機能によるCPU負荷の低減や、自動調整機能による通信の安定性の高さなども、評価されたのかなと思います。ただ、インターネットの普及とともに、家庭でもLANが使われるようになると、価格面で優位な他社の製品が採用されるようになりましたね。
コントローラーがチップセットに入ったのは、“あの”820Eチップセットのサウスブリッジである「ICH2」からです。別にPHYに相当する部分が必要ですが、基板に占めるサイズはかなり小さくなりました。それでも他社のLANコントローラーが載ったPCを見かけたのですが、PHYより安かったんですかね?
――そうそう、「PHYより安いんだろうか?」って当時は僕も不思議に思っていました。LANコントローラーの開発で一番苦労したことは何ですか?
牧氏:最初はどのPCメーカーも、“LANコントローラーをマザーボード上に載せる”のは初めてのことだったので、データ化けなどで通信が安定するまでに時間が掛かりました。「82557」は発熱が凄くて、ヒートシンクを追加してもらったメーカーさんもありましたね。
その後、「82557」の後継として、PHYも合わせて1チップになった「82558」というコントローラーが出たのですが、ノイズ防止のためにボード上でPHYにあたる部分とLANコネクターとの配線距離を長く取れなくて、置き場所に苦労しました。LANコネクターは通常、PCの背面に配置されますが、この近くにはパラレルポートなど他のI/Oの信号も集まっているので……。
さらに、LANコントローラー自体が4cm角ぐらいあったので、マザーボード上ではなく、専用モジュールとしてPCIカードのような形で実装したメーカーもありました。見た目はPCIカードですが、Wake on LANケーブル――LANカードとマザーボードを繋ぐ電源制御用の3ピンケーブルのピン配置を逆にしてしまったので、専用モジュール扱いになっていましたね。
――その頃はWake on LANがどのように使われていたのでしょうか?
牧氏:Wake on LANでは「MagicPacket」という特殊なパケットを起動のトリガーにしていますが、そのパケットを生成するツールが当時はあまり出回っていませんでした。そのツールも、対象となるPCのMACアドレスを調べる必要があるなど、あまり使い勝手は良くなかったですね。
――MagicPacketの生成ツールというと、今ではフリーソフトも数多く開発されていますが、当時はどのような状況だったのですか?
牧氏:当時は主に大企業を対象としたクライアント管理ソフトに、MagicPacketを生成する機能が組み込まれていたんです。Wake on LANで起動させてから、パッチを配信する――というように、一連の操作の中で自然と使われていました。
――そのクライアント管理ソフトの使い勝手がよくなかったと。
牧氏:MagicPacketを送信するには、送信先のクライアントのMACアドレスが必要になります。なので、当時は管理者が一台一台のパソコンのケースを開けて、カードに書かれたMACアドレスを確認していましたね。
――なるほど、今のようにOSのプロパティなどから、MACアドレスを確認することができなかったんですね。
牧氏:親切なメーカーさんだと、ケースの裏側にMACアドレスを書いていたところもありましたけど……。大量のパソコンを配置している企業では、初期設定に苦労していたと思います。それでも離れた場所にあるサーバーの遠隔起動や、コールセンターなどの端末の一斉起動では、重宝されていたようですよ。
――なるほど、そういう用途で使われていたんですね。Wake on LANって「面白そうだけど、ツールってどこにあるんだろう」って僕も長らく思っていて。その後、牧さんは「インテル vPro プラットフォーム」にどのように関わっていったのでしょうか?
牧氏:2000年を過ぎた頃からプラットフォーム担当のFAE(フィールド・アプリケーション・エンジニア)になり、CPUやチップセットを含め、PCメーカーに対するシステム全般を担当するようになりました。その後、2005年頃からソフトウェア部門に移籍して、今度はソフトウェアメーカーのアプリケーションソフトについて、インテルの技術を実装するための支援を行っています。
そして、2006年に「インテル vPro プラットフォーム」というブランドが、インテルから発表されました。私はそれから2013年頃まで、国内の資産管理ツールメーカーさんを相手に、AMTなどの実装の支援を行うようになります。
(次回に続く)