石原慎太郎氏に追悼の声「親分」 – ABEMA TIMES

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 作家、国会議員、東京都知事としてその言動が常に注目されていた石原慎太郎氏が亡くなった。89歳だった。政界からも悼む声が相次いでいる。

 訃報を受け、安倍晋三元総理は国会内で記者団に対し「まだまだお元気だと思っておりましたので、本当に驚き、本当に残念です。心からご冥福をお祈りします。平成5年に初当選して以来、先生にはいろいろ指導していただきました。石原さんは『太陽の季節』でデビューして以来、様々な既成概念に挑戦した人生ではなかったかなと思います。また、都知事としても、特に環境面で大きな実績を残されたと思っています。

政治家としては、戦後に形作られた既成概念に挑戦したと思う。若い時代には青嵐会を中川一郎さんと創設し、その後も批判を恐れず、言うべきことを言うという姿勢で一貫していたと思うし、颯爽とした姿が今でも目に焼き付いています」とコメント。「まさに挑戦的な姿勢を取り続けた方。時には物議を醸す発言もされたが、しかし彼はそうした批判を乗り越える強さがあった。常に颯爽とした姿勢で闊歩する姿勢に、多くの人が憧れを持ったのではないか」と話していた。

 また、自民党の二階俊博前幹事長は「突然のことで大変な衝撃を受けている。先生はこの世界の近代化のために、新しい感覚、新しい角度で、いろんな面で積極的なご発言をなさってきた。我々もそれに指導、触発されてきたが、惜しい政治家を亡くしたと思う。これから我々は石原先生のご活躍の跡をたどりながら、みんなで頑張っていかなくてはならないと考えている」と語った。

 日本維新の会の松井代表は、「第一印象は、タフガイ。想像どおりの石原さんだった。お会いするときは“石原御大”と呼んでいましたけど、ご本人からは“御大っていうのはやめろよ、年寄に聞こえるじゃねえか”と言われました。でも、会ったら呼んでまう。そして“やめろよ”って言われる。100歳までは十分お元気で過ごされるんだろうなと思っていたが、やっぱり89歳。石原御大でも、なかなか年齢に抗うことはできなかったんだなという思い。後はゆっくり休んでいただきたいと思う」と話した。

 「我々からすると、悪夢の政権運営、日本の危機でした。そんな中で、民主党や自民党じゃない、保守改革的な政党が必要だということで石原さんと橋下さんが協議をして、よし、日本の問題点を解決する、本気で向き合える政党を作っていこうじゃないかと発足させた。我々の大阪都構想を実現させるためにも、霞が関・永田町での影響力は必要だったし、日本の構造改革ですから。そこで意見が一致しました。

 激動の戦前・戦中・戦後、作家としても政治家としてもご経験があり、それを惜しみなく教えていただきました。意見が違うところもありましたが、日本維新の会の活動のときは、“君たちが思うように”と背中を押してもらいました。懐も深いし、ごり押しはされませんでした。とにかく正論でしっかりやれ、ということでした。いろいろ言うけど、最後は“もう君たちでやればいいよ”ということで。党の運営についても、絶えず電話させていただいていたましたが、“松井君に任せるよと、”非常におおらかな印象でした。本当に尊敬できる政治家でした。自分にとっては本当に“親分”でした。

 ただ、一番こだわられていたのは憲法改正でしたね。やっぱり僕らは戦前、戦中を知らない年代なんで、思い入れは強いものがあると感じました。“今の日本国憲法には日本人の意思が全く反映されていないんだよ”って言っていましたし、“そもそも作家としても憲法の文章はおかしい”ということもおっしゃっていました。そういう意味では、句読点、助詞の一つでも変えたいとよく言われてましたね。変えるべきだというのが石原さんの強い思いでした」。(ABEMA NEWS)

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