【山田祥平のRe:config.sys】出逢いはスローモーション、別れは早送り

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 例えばカメラ。時代は完全にミラーレスに向いた。でも、カメラ専用機に将来の勝機があるのかどうかというと、それはまだわからない。ついに、スマホがカメラを駆逐するかもしれない。わからないから、古いカメラを大事に使う。フィルムカメラではないデジタルカメラもそういう使われ方をする時代に入ったのだ。

記録はデジタル、撮るのはメンタル

 写真を撮るという行為が、光景をセンサーでキャプチャするという行為になってずいぶん長い歳月が流れた。個人的に最初に常用したデジタル一眼レフカメラはニコンのD1で、1998年秋に、発売と同時に入手した。もう四半世紀前だ。以来、DX(APS-Cサイズ)とFX(フルサイズ)をとりまぜて買い替えてきた。

 そして、今、手元に残っているカメラ専用機はフルサイズセンサーのD850とDXセンサーの「Z fc」だ。日常的に写真を撮るのはほとんどの場合スマホになってしまっているし、ショット数はともかくシーン数は圧倒的にスマホが多い。

 だが、取材に行くときにはカメラ専用機を持っていく。今は、Z fcに「NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR」をつけて持ち出す。画角としては27-210ミリ相当を確保できるので特に不自由はない。購入時レンズキットのパッケージには「NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR」が同梱されていて、これはこれで大きな不満はないレンズなのだが、テレ端の焦点距離が取材には少し不安なのと、軽量化のための沈胴機構のために、とっさの撮影時に、沈胴解除を忘れてシャッターチャンスを逃すことが続いたので、なんとなく敬遠しがちだ。軽量コンパクトなレンズだし、カジュアルな撮影にはもってこいの画角なので、ちょっともったいない。

長くなるデジタル機器のライフサイクル

 Z fcを使い始めたのは2021年7月で、これが最初に購入したミラーレスカメラだ。それまでは「D850」と「D5600」を併用していた。D850は2017年9月の発売だ。そのあたりのことはこのコラムに書いたがすでに5年前だ。5年前の電子機器を使い続けているのは職業的にどうなんだろうとは思うのだが、デジタルの世界も、それがちっともおかしくない時代になったということだ。それが2010年代だ。

 ちなみに手元に残っているニコンFマウント用のレンズは、1980年代後半に買い替えたAFレンズ群だが、今も、すべてD850で使えるし、マウントアダプター「FTZ」を介せば最新のZ fcでも使える。

 実は、このアダプター、すでに旧製品になっていて、今は、「FTZ II」がその後継だ。1割ほど軽くなり、コンパクトにもなった。発売前に予約したのだが、先日、その量販店から納期が今年(2022年)の6月頃になる旨の連絡があった。

 Z fc用のアクセサリとしては「Li-ionリチャージャブルバッテリー EN-EL25」も供給が不安定だったのだが、容易ではないにしろ、少し探せば入手ができるようになっているようだ。個人的にもようやく確保できてホッとしている。

 半年単位でアクセサリ類が入手難になるというのは、デジタル機器としては致命的で、コロナのせいではあるとはいえ、かなりの異変といってもいい。いや、アクセサリどころか、本体の入手難も問題になっている。

 ちなみに、個人的には入手するつもりはないが、ニコンミラーレスカメラのフラグシップである「Z9」が2021年末に発売された。この原稿を書いている2022年1月時点で、ヨドバシカメラのECサイトで確認すると、今予約しても10月下旬にしか入荷しないようだ。とても待てる時間ではない。デジタル製品で1年の納期が必要というのは、かつてであれば、ライフサイクルの半分を費やすようなものだった。でも、今はそうじゃないということか。

 半導体不足の影響などもある。身の回りでは、給湯器が壊れても部品がなくて直らないとか、発注したクルマの納期が半年先に延びたとか、洗濯機が壊れたのに修理ができないといった声が聞こえてくる。シャーワートイレも入手が難しいそうだ。

 とにかく、欲しいものがあったら早め早めに動いておいた方がよさそうだし、壊れそうに不安を感じるものについては買い換えなり、修理なりを考えた方がいい。風呂にも入れないとか、真夏に部屋を冷やせないとか、生鮮食料品を保存できないといったことが起こりかねない。生活必需品は大事だし、趣味の道具だって大切だ。

 なんだか先物買いをあおるようだが、本当に欲しいものについては、最新製品を発売前に予約するというのがもっともよさそうだ。店頭で手に取って確認してからというのでは遅すぎる。ここしばらくは、クラウドファンディングがもっとも現実的な製品調達の方法なのかもしれない。

役割を奪われても残る機器

 2000年以降に一般的になったデジタル機器については、スマホが多くの役割を奪ってしまった。デジタルカメラはスチルもムービーもそうだが、それでもコモディティとしてデジタルカメラは専用機が残っている。この先、どうなるのかわからないにせよ、趣味や業務の領域ではカメラ専用機を使いたいという人種や用事は確かに存在するのだ。

 ぼくが取材のときにカメラ専用機を使いたいというのもそれだ。でも、カメラ専用機があらゆる点でスマホのカメラよりも優れているというわけではない。まあ、大きいものは使い勝手の点でも画質の点でも有利だという程度のことだ。レンズもセンサーもそうだ。きっと、そのうちその違いが誰も気にならなくなるくらいになるんだろう。

 今、手元にあるエレキ製品ではヤマハのアナログレコードプレーヤーがもっとも古い完動品だ。たぶん1982年の入手だと思う。40年経過しているが特に問題なく使えている。でも、この先、自分でアナログレコードを購入することはなさそうだ。

 断捨離の時代にあっても、これらの機器は30年、40年を経て、手元で生きている。LPレコードは1970年代のものがたくさん残っている。かと思えば、最初に使ったスマホは10年ちょっとしかたっていないのにもう手元にない。最初に使ったCDプレーヤーもないし、ノートパソコンもない。VHSデッキも残っていない。HDDレコーダーもない。最新の機械は数年で陳腐化するので、その前に処分してしまったからだ。こうしてみると1990年代に登場した新しい当たり前としての電子機器が手元にはほぼ見当たらない。

 その一方で、2020年代というのは、コロナのせいもあって、とんでもなくイレギュラーな、これまでとは違う10年間になるのではないかと今を生きていて感じる。最新のデジタル機器の入手に1年近い時間がかかったり、欲しいものが手に入らなかったりとおかしな状況が続いている。その一方で、コンテンツはデジタルコピーで流通するのが当たり前になり、売り切れということがありえないくなった。しかも、単品買いではなく聴き放題のサブスクリプションだ。

 世の中が元の状態に戻るまでには、まだ時間が必要だ。いい機会でもある。元に戻る前に、ちょっとスローモーション再生をしてみて、その先にある世界観を考えてみたい。

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