孤独者の自虐を生んだ背景を考える

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いったいこの国では何が起きてしまったのでしょうか?自暴自棄の事件の連続に驚きをもって見ています。大阪の放火殺人もそうでしたが、今回の高校2年生の受験者への殺人未遂、古くは京都アニメーションの事件もそうでした。これらは氷山の一角であり、報道にならない事件を含め、社会が歪んでしまっている可能性は否定できないでしょう。今日はこの辺りを考えてみたいと思います。

Kayoko Hayashi/iStock

「孤独」「おひとり様」が社会に同化しそれを受け入れるようになったのはこの10年ぐらいでしょうか?テレ東の「孤独のグルメ」が根強い人気となっているほか、レストランでは一人客を受け入れる体制を整えてきました。例えば一人焼肉はかつてはなかったビジネス形態です。若い女性がオヤジ好みの居酒屋で一人ビールのジョッキを傾けているのを揶揄するようなものならばSDG’sの時代に怒りの鉄拳が飛ぶでしょう。

旅行も一人。とすれば「立派なビジネスホテル」も不必要で相部屋で共同シャワートイレでも十分、宿泊費で浮いた分でもっと頻繁に、もっとおいしいものにお金を使うというメリハリ型の消費も生まれてきています。私は例え話をよくするのですが、女性二人の1週間以上の旅行では多くが仲たがいをして終わると笑い飛ばしています。何故か、といえば旅行における双方の見たいところや食事処が微妙にずれるからです。初めの2-3日はお互い我慢するのですが、だんだんイライラしてきて1週間もすれば会うのはホテルの部屋だけであとは別行動というパタンが多いのです。だから女性一人旅は気楽でよいのでしょう。

海外生活においての七不思議のひとつに「日本人はなぜ群れないのか」があります。多くの他の民族は大体同じエリアにかたまり、そこで民族内のビジネス環境を作り、一つの経済圏を作ります。バンクーバーでも同様でインド人、イラン人、イタリア人、ギリシャ人、中国人、韓国人…みなその民族のエリアが存在しますが、日本人だけはありません。皆、ばらばら。理由を聞いたことがあります。「海外にきたのは日本人との濃すぎる関係を断ちたかったから。だから日本人がいないところをわざわざ選ぶ」と。

日本で人気の「ポツンと一軒家」。これもある意味この海外における日本人コミュニティと同じような背景を見ることができます。同化できないし同化もしたくない、共同生活と真逆のこの潜在的メンタルがこの10年ほどで社会がそれを受け入れるようになり、孤独を正当化し、それが当たり前になりつつあるのでしょう。

それに輪をかけたのがコロナ時代で在宅勤務や隔離、更にはリモートワークの時代でいよいよ人と話をすることが無くなります。すると自分の存在感は客観的評価ができず、主観論が先行します。例えば受験生を殺傷した事件では「自分の成績が伸びない、俺はもうだめだ」、大阪の放火も「離婚、職を失う、俺は死ぬしかない」ホームレスが焼き肉屋に立てこもった事件も「俺は脱落者、こんな人生、どうでもいい」…といった具合で全てが主観的である上にそれに誰かが耳を貸し、議論する場も存在しなかったのでしょう。

更なる背景は一人っ子が当たり前、小学校の授業が終わったら校庭で遊んでカラスと共に家に帰るなんていう昭和チックなライフから完全に隔離され、家でオンラインゲーム、その仲間はクラスメートでゲームを通じて短いやり取りをするだけです。嘘だと思ったら小中学生のいる親御さんはそっと夜中に子供が何をやっているか部屋を覗いてみたらわかります。

一言で言えば社会適合性を全く育んでいない、あるいはそういう社会にいた人もそこから離脱し、適合できない人生を送りつつあるのでしょう。かつて戸山や高島平の団地の孤独の高齢者が問題になりました。多くは男性です。彼らは鉄の扉を閉ざし、出てくるのは弁当を買いに行く時だけ。自分のマインドを完全に閉じてしまったのは各々理由があるはずですが、基本は不信感であり、知り合いに相談しても「ダメ出し」されるだけです。これが広い世代で見られるようになったのではないでしょうか?

孤独者による一連の事件は私の見る限りかなり日本的ですが、アメリカに於ける銃乱射事件にも近いものがあります。アメリカ人は個人主義ですので日本が今抱える問題が昔からあった、ともいえます。共通するのはそれらの孤独者をクラスメートなどのグループや知り合いが放置するか、懐柔できるか、の違いかもしれません。昔の日本人は優しかった、でも今はとてもクールになりました。他人のことなど構っていられない、そんな社会です。これらの問題についてマスコミ報道でも事件の事実以上の深追いが少ない気がします。社会は相当病んでいる、それを修正しようとする機運もない、これが私の外から見た日本です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月18日の記事より転載させていただきました。