日本はなぜ経済的につまづいたか – ヒロ

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12月20日号の日経ビジネスの特集のタイトルを見て私は驚愕でした。「貧しいニッポン 安売り経済から脱却せよ」。「貧しい」が急速に意識されたのは何年たっても給与が上がらない国が数字で如実に示されたからです。30年前と比べ日本の給与上昇率は4%増の3.9万㌦、アメリカは48%増の6.9万㌦、OCED平均は33%増の4.9万㌦(日経)とあります。

日経の12月19日の記事のタイトルにも厳しいものを見つけました。「日本株を買わない日本人 新しい資本主義『貧しくなる』」です。共に貧しいという言葉を使っており「そこまでだったのか?」という衝撃はあるでしょう。

30年といえば私がちょうど日本からカナダに移った時です。それから日本ではずっとフラットの社会が続いているなら今更、再上昇することがあるのかと疑問がわかないはずはありません。この30年間外から見ていてなぜ、歯車が狂ってしまったのか、私なりの意見を申し上げます。

ズバリ、一言「日本人が国際化できなかった」これに尽きます。どういうことか、といえば80年代までは日本はモノづくり主導型の国家でした。つまり第二次産業で繁栄した時代です。ところがバブル崩壊以降、製造業はフラットから下落のトレンド入りになり、それに代わって第三次産業が日本経済の主流を占めるようになります。ところがモノづくりに非常に高いプライドを持った日本は官民ともその底チカラを信じ、台頭する中国台湾韓国と戦います。日経ビジネスでも90年代から2000年代にモノづくり復権を謳った特集は何度かあったと記憶しています。

モノを輸出する場合、モノの性能が自らを語ります。良い製品を安く輸出すれば皆喜びます。現地の販売代理人が「日本のモノは素晴らしい」と代弁してくれます。つまり日本はモノづくりに専念していればよかったのです。

ところが第三次産業であるサービス業は相手の異文化の懐に入り込み、コミュニケーションをとり、同じサービスでも相手の社会文化経済能力などをうまく取り込みながら展開する必要がありました。が、それが出来なかった、これに尽きるのです。

日本の多くのミュージシャンがアメリカでチャレンジしており、実力派と称される人はたくさん輩出していますが、興行収入的には大成功は収めていません。映画はどうでしょうか?「鬼滅の刃」は確かにヒットしましたが、一般映画はヒットどころか、ネットフリックスにもあまり上がってきません。ホラー映画が時々異彩を放つぐらいでしょうか?

例えばアメリカで成功するにはアメリカに溶け込まねばなりません。プロ野球選手がいつも通訳を介したインタビューをしますが、これでは勝利数や打率では成績を残してもアメリカ人の心に同化できないのです。「知っている」だけです。

バンクーバーは日本人の若者が語学研修でやってくるメッカです。3か月程度のコースに入り、外国人のクラスメートとのつたない会話でも躊躇が無くなる、そのぐらいで終わりです。その後、努力して英語というスキルが上達してもそれ以上の深掘りはなかなかできないのです。

ところが海外でビジネスや国際結婚をするには文化的理解と自分がどこまでその社会の習慣や伝統を理解し、逆手を取って相手にへぇ、と言わせるかが大事です。これが出来なければサービス業は逆立ちしても異国では展開できません。

例えばバンクーバーには過去、日本の大手上場のゲームソフトの制作会社がこぞって進出してきました。そしてほとんど1-2年のうちに撤退しました。制作ソフトの文化的ギャップだろうと察しています。富士通が満を持してAIチームをバンクーバーに立ち上げたのが18年10月頃。それから2年もたたないうちに形骸化してしまったのは期待通りではなかったのです。多くの日本の大手企業は2年ぐらいで消えていくのが当たり前のようになっており、北米でビジネスをする気がないのではないか、とすら思っています。

かつての商社マンは日本製品の代弁者でした。ユダヤ、中国人と共に日本の「ショーシャマン」は地の果てまでビジネスを売り込みに行きました。今、日本のサービス、金融、テクノロジーを現地の需要に適合させながら売り込むセールスができる人はどれだけいるでしょうか?

この30年間、その変化に気づき、日本の国際化、国際人養成を怠ってきました。それどころか、「苦労して海外に行きたくはない」という若者であふれたのです。これでは貧しくなるのは当然なのです。

日本の内向きの社会が変わることは当面ない、そんな気がします。

では今日はこのぐらいで。