多様性に含まれぬおじさんの辛さ – サイボウズ式

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「昭和の価値観を引きずっている」「アップデートできない」──なにかと揶揄されることが多い「おじさん」。特に、多様性の大切さが叫ばれるようになった近年、「おじさんは多様性への理解がない」といった意見が少なくありません。

「さようなら、おじさん」「脱おじさん社会」のように、「おじさんは多様性になじまない」といったメッセージが多く流れる中、本来、さまざまな違いがあることをよしとするのが多様性のはずなのに、それとはなんとなく矛盾するメッセージに、居心地の悪さを感じている人も、いるかもしれません。

また、サイボウズでは2021年2月に、取締役が3人のおじさんであることを鑑み「多様性に関するお詫び」との広告を掲載しましたが、SNSなどを通じてさまざまなご意見をいただきました。

そこで、「おじさんと多様性」について考えてみたくなりました。

こんにちは、おじさんです。50歳です。

ボクはこれまで、自分のことをそれほど「おじさん」とは自覚していませんでした。もちろん、これまでも話の流れで「おじさんだからね~」といった会話をすることはありましたが、どちらかといえば、「おじさん側ではない」と認識していたように思います。

しかし、最近「あれ? オレもおじさんか?」と自覚することが増えてきました。

分かりやすい事例では、先日、新入社員から「まるで、お父さんみたい」と言われました(笑)。

また、このあいだテレビを観ていてビックリしたのですが、ボク、あの「ベテラン感」がウリの芸人「阿佐ヶ谷姉妹」さんよりも年上だったんですよね。姉の渡辺江里子さんより1つ、妹の木村美穂さんより3つ上です。

あと、少し前まで仕事では「プレーヤーとしてもっと成果を!」なんて、前のめりになっていたところもありましたが、最近はなぜか「先頭に立ってガツガツ突っ走るよりも、若手が楽しく働けるようにフォローする側に回りたいな」といった心境の変化が起こっています。

ね? おじさんでしょう? ボクをおじさんと呼ばずして、誰をおじさんと呼ぶの?

風当たりが強い「おじさん」

自分のことを「おじさん」だと自覚するようになってから、実は、世の中からの「風当たりの強さ」を感じるようになりました。

もっとも強く感じるのが「多様性」に関する事柄です。「おじさんは多様性がない」と。「なんでおじさんって、デリカシーがないの?」と。

ただ、それは仕方のないことなのかもしれません。先の東京オリンピックでは、おじさんが起因した問題がたくさんありましたし、政治家をはじめとしたおじさんからの、多様性の配慮に欠ける言動も多々ありますからね。「なんで、そうなっちゃうかなぁ?」と、ボクも思うことがしばしばです。

しかも、そのおじさんが権力を握っていたりするから、なおさらですよね。多様性の配慮に欠ける発言に、一人のおじさんとして「ごめんなさい」と思います。

一方で、多様性って、さまざまな違いを「よしとする」ことのはずなのに、「おじさん」とまるっとひとくくりにされ、「これだからおじさんはダメだ」「さようなら、おじさん」「脱おじさん社会」のように言われると、ちょっと悲しい。

たしかに、おじさんには悪いところもあるかもしれない。でも、「そんなに怒らないで」なんて、思っちゃう。なんとなく「多様性に含まれていない」感じもします。

多様性以外にも、「おじさんはアップデートしない」「おじさんは過去の成功体験にしがみついている」「おじさんは自分の価値観を押し付けてくる」「おじさんは他人の話を聞かない」「おじさんは……」「おじさんは……」みたいな話が結構あって。

おじさんを自覚するようになったいま、その風当たりは想像以上に強くて、冷たいなと感じています。

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