政治家と官僚の金銭感覚に疑問 – ヒロ

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世の中を騒がせている「10万円相当の給付」にかかる経費1200億円。これに対して公明党の山口代表が問題ないと発言したことで火に油を注いだ形になっています。1200億円の内訳は現金給付の費用が300億円でクーポンが900億円となっています。

まぁ、誰が考えてもこんなのはおかしい、というか、その発想に至る政治家と役人の非常識感を改めて感じています。

日本国民全員に既にマイナンバーが割り当てられています。その上でクーポン受給者(親御さん)がスマホやPCによるアクセスに問題がないならば経費は限りなくゼロに近い形にすることは技術的には可能です。対象者の親はそれをスマホ/PC経由で申請し、政府はマイナンバーの情報データに基づく家族構成と対象者の確定の照らし合わせを自動で行い、確認出来たら瞬時でクーポンがスマホに送れます。次にクーポンが使える店や施設などでそのQRコードを読み取り、支払いに該当するポイントを親(クーポン使用者)から事業運営者に移行します。運営者は一定の段階で政府にそのポイントを現金に還元してもらい、政府から支払いを受けるという流れです。

今回の場合、18歳未満の子供が対象ですから親はせいぜい40代か50代前半であり、スマホがなくては生活できない世代です。つまり、実質的にはこの費用が掛からないシステム運用は可能なのです。(政府の管理するマイナンバーのデータとのリンクが日本では容易くないのは承知です。)

ではなぜ、それが出来ないのか、といえば社会還元サービスが100%完全なものでないといけないという頑なで融通の利かない発想が役所に存在するからです。つまり、役人はこう言うのです。「もしもスマホを持っていない人がいたら、もしもスマホで申請したくない人がいたら、もしもスマホでやり方がわからない方がいたら…」と延々とサービスが不公平になる理由を述べるのです。

私ならこう言います。18歳未満の子供は約1800万人ぐらいです。少なくとも一人の親がスマホを持っている普及率を99%とすれば仮に全員が一人っ子と仮定しても、パソコンもスマホも持っておらず、電子申請が出来ない親の数は18万人です。その親に対してのみ郵便で対応するという手段を取ればどうでしょうか?(実際にはこの数分の一ぐらいの数で収まるはずです。)

次に日本政府の作るアプリは北米基準で考えると正直「使えない」と思います。理由はアプリにしろソフトにしろ作る側の都合で出来ているからです。使い勝手は二の次。例えば再三文句を述べた訪日する人の隔離期間短縮にかかるソフトやアプリの使い勝手の悪さは天下一品。かつ、グランドデザインが悪いので何をどうしたらよいのか、非常に悩みます。こちらでCOVIDの間、各種申請モノがオンラインになっていましたが、どれも極めて簡単、かつ、迷うことはありません。ここは悪いですが、外国人の方がはるかにクリエイティビティには富んでいます。

では次に公明党の山口代表はなぜ、莫大な費用に対して鈍感だったのでしょうか?それは政治をつかさどる人に国家運営者としての隔世感ある金銭感覚がつきやすいのです。国家公務員の本省あたりに勤め、国会が始まると徹夜が続くような官僚も金銭感覚は全くの宇宙人だと思ってよいでしょう。小池百合子都知事ではありませんが、この人たちの扱う数字はお豆腐の桁(=兆)なのです。

また政治家にはそれぞれの活動や意見に対して批判、非難も当然多いわけですが、いつの間にかそれらが快感になるほど打たれ強くなり、民との距離感は明白に届かないところに飛んでいくのです。

例えば話題の月100万円の交通費。様々な意見があります。私なら交通費を支給せず、その代わり給与を50万円増やし、政治家がどうしても交通費にこだわるなら確定申告の時、レシートを添付して経費として控除してもらえばいい、それだけの話です。つまり、政治家に別途交通費とか立法事務費(月65万円)とか出さずに全部ひっくるめての歳費一本払いにし、かつ、国家公務員としての給与ではなく、コントラクト(契約)として政治家全員が確定申告をする形にすべきだと思います。レシートがなければ税額控除ナシ、これでいいのです。

政治家はそもそも選ばれた人、官僚は難しい試験をくぐり抜け、入省後も東大法学部とのエンドレスの戦いを続けながら地位を築いてきた人たちです。生きる世界が違います。彼らは汗をかくよりも自分の地位の確保に必死です。事務次官や局長にはなかなかなれないけれど課長になれば天下論を正々堂々と展開できるでしょう。「国会議員、落選すればただの人」と言いますが、今では「議員経験者」としてマスコミや講演に引っ張りだこです。そんな人たちが我々の社会のルールを作るんです。金銭感覚なんてある方がおかしい、といったほうが正解だと思います。

国家論を論じる人は総じて国家予算全体に比べればとかGDPに比べれば、という比較論を出します。しかし、それは民間企業ではまずない「甘えの比較構造」だということも指摘しておきます。

では今日はこのぐらいで。

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