殺人の自白巡る報道表現に指摘 – 猪野 亨

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 愛知県で起きた中学3年生による事件は、とてもショックなものでした。何が当事者間にあったのかはわかりません。今後、解明されていくでしょう。
 私が違和感があったのは警察発表とその報道です。

中3男子刺され死亡 殺人未遂容疑で同学年逮捕」(共同通信2021年11月24日)
「県警は、殺人未遂の疑いで、刺したとみられる男子生徒を現行犯逮捕した。「私がやったことで間違いない」と容疑を認めているという。」

 この「私がやったことで間違いない」というのは「 」をつけていますから、本人が話した内容として報道されています。
 そうすると、その中学3年生の男子生徒が「私」という一人称を用いていたということになります。

 本当なのでしょうか。中学3年生の男子が「俺」や「僕」ではなく「私」を用いたというのですが、絶対にあり得ないということありませんが、しかし、非常に違和感があります。
 ところで、「私がやったことで間違いない」ですが、このようなフレーズは他の報道でもお決まりになっています。

傷害容疑で小学校教諭逮捕、島根 男児に馬乗りで暴行」(共同通信2021年11月17日)
「島根県警は17日、同県大田市立大田小で10代の男児に馬乗りになって暴行し、けがを負わせたとして傷害容疑で、同校の教諭●●●●容疑者(●●)=同市大田町=を逮捕した。大田署によると「私がやったことに間違いない」と容疑を認めている。」

 この「自白」の実態は、警察官から「お前がやったんだな。」と問われ、頷いただけなのかもしれない、あるいは「はい」と言っただけなのかいしれないのに、それが何故か「私がやったことで間違いない」という自発的な発言にすり替わってしまっているのではないかということです。
 これは、警察がこのように発表したものをマスコミがそのまま報じているという構図です。
 せめてその中学生が普段、用いている一人称を使って発表すれば、ばれずらかったのにとは思います。


2021年11月7日撮影

 自白調書も同じです。
 自白調書は、聞き取りをした取調官が調書には一人称で録取内容を記載します。この場合は「俺」だったりバリエーションはありますが、いずれにしても一人称です。
 前述した例えで言うとこうなります。
問い お前がやったのか。
答え はい

 それを調書にすると、「私がやりました。」

 読んだ印象は、「やっぱりこいつがやったんだ」となります。
 先に挙げたツイートの方も見事なまでに誤解してしまっています。
 警察報道をそのまま垂れ流すだけの報道の仕方は考え直すべきです。
 少なくとも警察発表を受けた記者は、その辺りのやり取りをきちんと質問すべきです。そうでない限り正確な報道にはなりません。

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