日本にも落選議員の受け皿が必要 – ABEMA TIMES

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 立憲民主党の木村剛司さんは2009年、旧民主党が政権交代を果たした衆院選で初当選した。ところが自民党が政権を奪回した2012年の衆院選で落選以来、先月の選挙も含め4回連続で落選してしまっている。再び国会議員になる日を目指して活動を続ける木村さんだが、一番の問題は“経済面”だと明かす。

【映像】落選議員のキビシイ現実 成功は一握り?第二の人生に壁も

 「個人献金をいただくこともあるし、党からの月50万円ほどの交付金もあるが、会合の会費や秘書を含めたスタッフの人件費、事務所の経費や街宣車の維持経費などの全ては賄えず、赤字状態だ。生活費に関しても、まとまったお金が必要な時には親族からのものも含め、借り入れでやりくりをしている」。

 こうした悩みを抱えるのは、一度は議員を経験した人たちも同じだ。再就職の問題、生活費の問題…。『ABEMA Prime』が話を聞いた。

■2世や企業経営者、資格のある人しか立候補しなくなる

 財務官僚出身で、2003年以降3期8年にわたって衆院議員を務めた田村謙治さんもまた、旧民主党から出馬した2012年の選挙で落選。2017年の選挙では希望の党から立候補したが、再び落選してしまった。

 「2012年の落選の際には、“とにかくもう1回、必ずやろう”という思いだったので、迷いはなかった。衆議院の場合、いつ解散があるか分からないので、総選挙の翌日からの挨拶回りも含め、全てが次に繋がってくる。万が一落ちた場合にどうしよう、といったことを落ち着いて考える余裕もなく、ひたすら地元活動をしていくことになる。

 だから本当は応援していただいた地元の人への挨拶回りもしたいところだが、まずは約1週間で議員宿舎と議員会館内の事務所から退去しなければならないので、まずは東京で引っ越し作業だった。一番へこんでいるときの作業は本当に辛かった。加えて、秘書もほぼ全員をクビにせざるを得ないので、再就職の手伝いもしなければならない。映像を見てとても懐かしく、悲惨な思い出として蘇ってきた」。

 現在はコンサルティング会社を経営。議員時代の人脈を活かし、企業の監督省庁に対する折衝や、国会への働きかけなどを手伝っている。

 「やはり皆さんが知っているような大企業もそうだし、中央省庁にしても議員経験者の中途採用というのはなかなかない。そうすると中小企業とか、ベンチャー企業とかオーナー社長がおもしろそうだなとか、経験生かしてやってよとかの場合が多いと思う。私の場合、4年前に希望の党から出て落選をした時は次も出るということは考えていなかったので、“さあどうしよう”という中で支援者だった親しいベンチャー企業の社長さんなどから声をかけていただいたり、私の方からも手伝いをさせてくれないかと声をかけていったりする中で、何とか顧問先や、お手伝いできる会社を増やしていった。

 ただ、やはり落選後は木村さんの話の通り、生活費も含め資金繰りが大変だった。立憲民主党などのように大きな野党であれば、次の選挙にこの選挙区から、ということで内々定をもらえていれば、総支部長という肩書きになり、活動費も支給される。私の場合も50万円を頂いていた。そう聞くと結構な額じゃないかとお考えになる方も多いかもしれないが、実際に事務所を維持して、秘書を雇って、会合の会費を支払う。当然、生活費も捻出するということになれば、とても50万円では足りない。秘書を雇わず自分1人でやったり、事務所も借りずに自宅だけでやったりと、やりくりしなければならないのは本当に大変だ。

 だから強い地盤を持つ“2世”など、出馬すれば絶対に通るという人は別として、私は国会議員を目指すのは広い意味で“変人”だと言っている。実際、いくら頑張っても落ちてしまうことはあるし、“博打”的な要素は必ずある。弁護士や公認会計士などの資格がある人、自分で会社を経営していたとか、大企業の幹部だった経歴、経験のある人であれば、いざ落選しても仕事を見つけやすいが、そうでない場合、やはり立候補に二の足を踏んでしまうケースが多いと思う」。

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