■「お金を分ける」と「お金を奪う」と「お金を増やす」
政治家の言う「分配」という言葉からは単純に「お金を分ける」というイメージが連想される。
多くの政治家が述べていることは、「お金を分ける」か「お金を奪う」ばかりで、「お金を増やす」という発想が無いように見える。
「お金を分ける」「お金を奪う」という言葉が出てくる背景には“お金の量は限られている”という思考が透けて見えるが、はたして本当にお金は限られたものなのだろうか?
お金というものは、よく「人間の血液」に喩えられることがあるが、今回は、「水槽の水」に喩えて考えてみたいと思う。
日本人全てが巨大な1つの水槽の中で生きている魚のようなものだとすると、景気が悪い状態というのは、水槽の水が足りなくなっている時に該当する。
水の量を増やせないという考えでは、「お金(水)を分ける」とか「お金(水)を奪う」という発想しか生まれてこないことになる。
しかし、水槽の水の量を増やせば、「水を分ける」必要も「水を奪う」必要も無くなる。
こう言うと、「そんなことをすれば、ハイパーインフレ(水槽の水が溢れる)になる!」と言う人が出てくることになるのだが、そもそもこの架空の水槽は物理的な容量が決まっているものではないので、多少の水を増やした程度では景気が良くなる(魚が活発になる)だけであり、直ぐさま水槽の水が溢れることは無い。
万が一、水槽の水が溢れそうになれば、水を抜けば(増税をすれば)いいだけのことである。
■政治家の仕事は「水槽の水の量を調整すること」
金融緩和というのは、水槽の外に水を用意し、「これだけ水槽に入れる水が有りますよ」と言っているだけの行為でしかないので、それだけでは景気は良くならない。景気を良くするためには、実際に水槽の中にジャブジャブと水を注がなければならない。その行為を「財政出動」と言う。
政治家が本来目標とすべきは、「みんなで水を分ける」ことでも「金持ちから水を奪う」ことでもなく、「水の量を調整することで水槽の中の魚が生活しやすい環境を作ること」でなければいけない。
魚は、水不足でアップアップしている状態でも、自分自身で水の量を増やすことはできない。水を増やすことができるのは、魚の飼い主である政治家にしかできない。
その政治家が“水槽の水は増やしていけない”と固く思い込んでいるような無能であれば、魚は酸素不足の淀んだ環境で過ごさなければいけなくなる。飼い主が水を与えてくれないので、同胞で酸素の奪い合いをするという地獄のような環境で暮らすことを余儀無くされる。
MMT(現代金融理論)を「お金のバラマキだ」と批判する向きもあるが、MMTの要諦は「お金をバラまけ」ではなく「お金(水槽の水)を増やせ」と言っているだけに過ぎない。もっと言えば、「水の量を調整することで景気を操ることができる」というシンプルな理論でしかない。
一匹一匹の魚にとって「水」というものは貴重な限られた資源に映るかもしれないが、水槽を管理する飼い主にとっての「水」は無料(タダ)のようなものである。その「水」を水槽に入れ過ぎないように(インフレにならないように)すれば、何の問題も発生しないのである。
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