衆院選にみる「反自民」の脆弱さ – 常見陽平

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タイトルをみてニヤリとしたのは、ボ・ガンボスのことを知っている人だ。ファンキーで、ダンサブルで、ときにポップ、ブルージーなのだけど、ロックそのものだった。こんな歌詞だ。「大地震で」というのはあれだけど。

衆議院選の結果を受け、ボ・ガンボスのこの曲の歌詞から拝借するならば「おれはもう 目が覚めた」。好き嫌いは別として起きていることはすべて正しい。この現実を直視しなくてはならない。

何かを選んだ選挙ではなく、「○○ではない何か」を選択した選挙だと、私は総括している。そういえば「未来選択選挙」だったのだね。
「自民党ではない何か」
「共産党と組んでいるところではない何か」
「東京ではない何か」
「不祥事を起こした議員ではない誰か」
「ベテランではない誰か」

なかなか総括しにくい選挙である。自公は議席を減らしつつも絶対安定多数を保った。立憲民主党は今回は大金星の選挙区がありつつも、停滞した。政権交代はもちろん、国会での存在感を増すには至らなかった。大きく議席を伸ばしたのは維新だ。これもまた事実だ。

野党共闘により、大物候補を追い込んだのも、新人を当選させたのも事実だが、一方、これがなければより負けが続いたことも考えられる。連合との関係が悪化した一方で、共産と組んで得た果実とは何だったのか・事前の情勢調査、報道とどれくらいずれたのかも検証しなくてはならない。

与野党ともに女性議員増化は掛け声だけに終わったともいえる。あ、そうそう、菅じゃなくてよかったね、自民、という。ただ、この敵がいなければ始まらないという野党の限界を思い知らされたともいえる。反岸田、反菅、反安倍、つまり反自民はイデオロギーとしてもアイデンティティーとしても脆弱だ。

「政治の国民ばなれ」ということを考えた。国民が今、困っていることと、解決するソリューションの乖離だ。各党、各地の細かい変動も合わせ、むしろ来年、衆参同日選挙が行われたときに広がる光景こそが、新時代の政治だ。

自分自身、ものの見方が浅薄極まりないことを猛反省した。まだまだ成長、自分をアップデートさせなくてはならない。そして、リベラル論客の世代交代、進化も実現しなくてはならない。

今日からまた生きよう。

※1日9時35分 訂正 立憲民主党の議席数に関する記述を訂正しました。

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