現代人はなぜ忙しいのか?

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あるご年配の方とお話をしていた時、「私、今日は忙しいのよ」と言います。忙しいというほどいろいろされているなら実に健全です。人間、リタイアした後もある程度忙しくする方がよいでしょう。一方、久々に長年の知人から朝の立て込んでいるときに電話があったと思えば、「もぅ、暇で暇で退屈なので電話した」と。かと思えばこの20年もまともに話したことがなかった方から「君づけ」で電話がかかってくるようになりました。それも頻繁に、しかも電話を切らないのです。こちらは話の内容から軽い認知症かな、とやや心配しています。

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では若い人はといえば、かなりギリギリのタイムマネージメントではないでしょうか?常にスマホを握りしめ、画面をのぞき込んでいます。20年前、我々はスマホを持っていなかったのです。その時、多くの人は電車の中では寝ているか、ボケっとしているか、マンガや本を読んでいたと思います。何故か突然、老若男女、皆、忙しくなり始めたのです。

ではお前はどうなのか、と言われればご多分に漏れず、であります。私は若いときから仕事の量はかなりこなした方で当時の上司が「仕事は掘ればいくらでも出てきて終わりがないからどこで切るかだよな」と言われたのをよく覚えています。私はたぶん、いろいろなことに興味があったことと工夫をすることが好きだったのもあり、週末の静かな事務所を好んで仕事をした時期もあります。

ただ、当時の忙しさと比べ今の忙しさは質的変化を起こしています。それは外部とのやり取りが膨大になっている点でしょうか?特に最近、ある意味、頭が痛いのがスマホ系メッセージです。私はFBやツィッターはやりませんが、それでもテキストとLINEメッセージにはかなり入ります。それらのメッセージは一行テキストが5つも6つも連荘で入るときがあり、それにいちいち目をやっているとウザさ100倍になるのです。そこで私はスマホは基本的に一日3度しかチェックしないことにしています。朝と昼と夕方。緊急の場合は別ですが、あとは放置で時間があるときに返事します。

平日は事務所で4画面とノートパソコンの合わせて5画面で全部バラバラの業務画面を映し出して仕事をしているので正直、スマホに手が回らない、これが正直なところです。

フィナンシャルタイムズに「『時間の貧困』に悩む現代人」と題した寄稿があります。その冒頭には「昔よりも労働時間は短くなっているのに、時間が足りないと多くの人が感じている。これは、現代社会における謎の一つだ」とあります。おもわず膝を打ってしまいました。そう、謎なのです。

具体的な数値として「労働年齢にある男女の1日当たりの余暇は、1970年代にはそれぞれ約6時間あったが、今では男性は5時間23分、女性は4時間47分となっている」とあります。特に女性の余暇時間が減っているその原因は子育てへの関与度が増えているというのです。

私は両親が仕事をしていたので鍵っ子でした。小学生低学年の時は学校が終われば、遊びに行き、夜8時に両親が帰ってくるのを待つというパタンでした。晩飯はそれから作るのでとてつもなく遅いご飯です。その間、私は完全に放置プレーです。春夏冬休みは初日に羽田空港から祖父母のところに一人で行かされ、休みの終わりにYS11に乗って東京にご帰還を繰り返していました。小学校1-2年生の時からです。何度か大阪乗り換えということもあったのですが、なぜか迷わずきちんと乗り換えをしていました。ただ、いつも隣に座った方に「この飛行機、何処行き?」と飛び立ってから聞いていたのをよく覚えています。

親からすれば子供に構わない分、仕事ができたと思います。他の子どもたちも大なり小なり放置だった記憶があります。つまり、今は管理社会だとも言えます。なぜ、管理社会になったか、それは見えてしまうからです。見なくてもよいこと、聞かなくてもよいことが分かってしまうのです。それゆえ、親は監視を強化します。私は当時、古びた防空壕の跡地の中に入って遊んでいたのですから親が知ったらびっくりしたと思います。

労働時間を短くすれば時間ができるか、といえばそれも違う気がします。社会への参加を減らせば時間ができるかもしれません。「人と人がつながる時代」になりいろいろなところを駆け巡ることが増えたのかもしれません。しかし、今更、人とのつながりをシェーブする(削る)のは勇気がいることです。私の知り合いはFBのお友達をバッサリ切り落とし、エッセンスだけにしたという方がいます。つながっているようでつながっていない人はお断り、という訳です。そのような外科治療もあるでしょう。

一方、薄く広く付き合うことが当たり前になり、深い付き合いをする人は減った気がします。「あなたには親友が何人いますか?」に対してかつては数人と答えた人も多いと思いますが、今は一人か二人、ゼロという人も多いと思います。そもそも親友って何だ?という話になってしまいました。何十年知っているから親友かという話でもありません。

親友も減っている、労働時間も減ってきている、なのに余暇時間もどんどん減っている、まさに謎ともいえそうです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年10月31日の記事より転載させていただきました。