成長と分配は両立させる必要ない – 自由人

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■「新しい資本主義」は「資本主義」と「社会主義」のドッキング?

 「成長と分配の好循環」をどのように実現するかを議論するための有識者会議「新しい資本主義実現会議」が開かれたらしい。

 岸田首相は会合の場で以下のように述べたとされる。

 「成長と分配の好循環が重要との認識、そうした目標の実現に向けて官と民がともに役割を果たし、あらゆる政策を総動員していく必要があることが共有できた。

 あまりにも抽象的な意見であり、これだけでは具体的な政策内容が全く見えてこないというのが率直な感想だが、「成長」と「分配」の両立を目指すということは、単純に「資本主義」と「社会主義」をドッキングさせたような社会を目指すということになるのだろうか。

 しかし、「成長」と「分配」を一緒くたに考える必要があるのだろうか?

■既に再分配制度が実現している日本

 現在の日本は、イギリスやドイツや中国と同様に最高税率45%という累進課税制度を適用している。所得が多くなればなるほどに重税となるわけだから、十分に再分配制度が実現しているかのようにも見える。

 しかし、それはあくまでも税金をどれだけ納めているかという見えない指標であり、実際に目に見える形で所得の再分配が行われているわけではない。どれだけ多くの税金を納めた人でも、全く税金を納めていない人でも、国のサービスは変わらないという平等システムが暗に構築されているだけに過ぎない。

 それゆえに、多くの人は、“分配されている”という実感が伴わない。誰かが支払った多額の税金のお蔭で行政サービスをタダ同然で受けられているという認識が持てなくなっている。

 棚上げになった件の「金融所得課税」の強化も同様で、「金融所得課税」を上げたところで、政府は税収が増えたという実感が伴うかもしれないが、庶民はその税収がどう使われているのかをトレースすることができないので、全く実感が湧かない。あるいは、全く恩恵が無いということも有り得るかもしれない。

 これを実感のあるものにするためには、税収の使用可視化が必要になってくるが、そうなると、完全な監視社会となり、プライバシーもへったくれも無くなってしまうことになる。それ以前に、税収の使用可視化などは政府が最も嫌がることだと思われるので、実現できるとも思えない。

■「成長」のみで「新しい資本主義」は実現される

 「成長」と「分配」という言葉からは、2つはセットで実施されるものと思われがちだが、本来は別個の概念である。それぞれの言葉に「社会」という言葉を付けると分かり易いかもしれない。

 「成長社会」と「分配社会」にすると、この2つは別個の概念であることが分かる。

 「成長社会」であれば、わざわざ「分配社会」にしなくても、自動的に分配が行われる。

 ここで重要なポイントは、「分配社会」というものは「成長社会」ではなく「非成長社会」にドッキングさせるものだということ。「非成長社会(衰退社会)」であるからこそ、「分配社会」が必要になるのであって、「成長社会」であれば、人為的に「分配社会」にする必要性はそれほど無いということ。

 昔から、「自由」と「平等」は両立できないと言われる。なぜなら、その2つは両立できない別個の概念であるから。
 「自由な社会」であれば「平等な社会」は実現できない。「不自由な社会」であるからこそ「平等な社会」が実現できる。「自由な社会」で実現できるのは「平等な社会」ではなくて「公平な社会」のみ。

 「成長」と「分配」も、ある意味、「自由」と「平等」のようなものかもしれない。
 その両立を目指す必要はなく、本丸の「成長」さえ実現できれば、半自動的に万民の「所得向上」が実現されるので、「分配」という副次的行為は必ずしも必要では無くなるとも言える。

 政府が目指すべきは「経済成長」一択。それができれば、30年間成長してこなかった日本の「新しい資本主義」は実現される。

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