前教皇ベネディクト16世の「願い」

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年老いて、家族や友人が亡くなっていく中で、この世の絆が薄れて取り残された寂しさが「自分も彼らがいる世界に行きたい」と思わせるのだろうか。前教皇ベネディクト16世(94)は、「自分も早く彼らがいるあちらに行きたい」と漏らしたというニュースが流れてきた。欧州のメディアは、「ベネディクト16世は早くあの世に行くことを願ってる」と一斉に報じた。

兄弟ゲオルグとヨーゼフ(バチカンニュース2020年6月18日から)

ベネディクト16世の兄ゲオルグ・ラッツィンガー神父(Georg Ratzinger)は昨年7月1日、亡くなった。96歳だった。ベネディクト16世の実兄だ。同氏の埋葬は独レーゲンスブルク聖歌隊用の墓地で行われた。ゲオルグの健康が良くないと聞いたヨーゼフは先月18日、ローマから私設秘書ゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教、医者、看護人、修道女を引き連れてレーゲンスブルクまで4日間の長旅に出て、兄と最後の語らいの時を持った。

ラッツィンガー家は兄が神父となり、教会合唱団責任者、3歳下の弟ヨーゼフ・ラッツィンガーはバチカンで教理の番人と呼ばれた教理省長官を務めた後、第265代のローマ教皇(ベネディクト16世)に選出された。長女のマリアは修道女として献身し、1991年に亡くなった。兄姉共に3人が神に献身したファミリーだ。それゆえか、兄弟姉妹の絆は固かった。姉マリアが亡くなった時、ベネディクト16世は大きな衝撃を受けたといわれている。

オーストリアのカトリック通信が今月19日報じたところによると、ベネディクト16世はオーストリアの宗教者で教会史の著者でもあるゲルハルト・ヴィンクラーの死について、感情的な言葉で哀悼の意を表したという。同16世は、「ゲルハルトは今、来世に到着しただろう。そこでは多くの友人が彼を待っているはずだ。私もすぐにそこに参加できることを願っている」と述べたという。

カトリック通信は、「ヴィンクラーの死はベネディクト16世に深い悲しみを与えた。彼は同16世にとって全ての友人、同僚の中でも最も近い存在だった」という。ベネディクト16世は、「私は彼の陽気さと深い信仰に惹かれてきた」と述懐している。

ヴィンクラーは今年9月22日、91歳で亡くなった。1983年から1999年に引退するまでザルツブルクで教会史を教えてきた。その前は、1974年から83年までレーゲンスブルク大学で中近代教会史の教授を務めた。ヨーゼフ・ラッツィンガーは1969年から1977年にミュンヘン大司教に任命されるまで、そこで同じように教鞭を取っていた。両者は同僚だった。

ヴィンクラーの最大の学術的功績はベルンハルト・フォン・クレルヴォーの収集された作品のラテン語―ドイツ語訳の10巻版の出版だ。ベネディクト16世も2007年の回勅「Spesalvi」の中で何度か引用している。

ベネディクト16世は2013年2月、生前退位して以来、バチカン庭園の修道院に住んでいる。警察官の父親と母親マリアの間に生まれた3人の兄弟姉は、結婚せずに聖職者の道を歩んだ。欧州でも当時、優秀な若者たちは神学校に入る者が少なくなかった。ゲオルグは教会音楽の道を開拓し、ヨーゼフは神学を学び、近代教皇の中でも最高峰の神学者といわれる指導者に引き上げられていったわけだ。

ベネディクト16世は2010年2月2日、「僧職に奉じた人生の日」への記念礼拝の中で、「修道院生活の意義はカトリック教会にとって大きい。修道僧や修道女のいない世界はそれだけ(霊的)貧困となる。彼らは教会と世界にとって価値ある贈物だ」と強調し、修道僧や修道女、聖職者の献身的な歩みに感謝を述べている。家族全てが教会に献身し、そして亡くなっていった。ベネディクト16世にとってそれ以外のことが言えなかったはずだ。

ベネディクト16世の私設秘書、ゲオルグ・ゲンスヴァイン大司教はドイツのメディアとのインタビューの中で、「ベネディクト16世は肉体的にはかなり弱まっているが、その知性は依然シャープだ」と述べている。父母、兄と姉を失い、最も身近に感じてきた友人が亡くなった。ベネディクト16世が、「私も皆がいる世界に早く行きたい」と呟いたとしても当然かもしれない。同16世にとって、「この世」と「あの世」の間の壁は益々薄くなってきたのだろう。

ちなみに、11世紀の預言者、聖マラキは「全ての法王に関する大司教聖マラキの預言」の中で1143年に即位したローマ法王ケレスティヌス2世以降の112人(扱いによっては111人)のローマ法王を預言している。そして最後の111番目が2013年2月に生前退位したベネディクト16世だったのだ。すなわち、ベネディクト16世は本来、カトリック教会の最後のローマ教皇だったのだ。

聖マラキのこの預言書は1590年に世に出た。カトリック教会では同預言書を「偽書」と批判する学者が少なくないが、その預言内容はかなり当たっている。例えば、第2バチカン公会議を提唱したヨハネ23世(在位1958年10月~63年6月)の即位について、聖マラキは「牧者にして船乗り」と預言している。ヨハネ23世は水の都ヴェネツィアの大司教だった。冷戦時代に活躍したポーランド出身のヨハネ・パウロ2世については「太陽の働きによって」と預言した。同2世が生まれた時に日食が観測されたから、預言は当たっていると解釈されている。

そしてドイツ人ベネディクト16世の即位は「オリーブの栄光」と預言された。ベネディクト16世の名称はベネディクト会創設者の聖べネディクに由来するが、同会はオリーブの枝をシンボルとすることで有名、といった具合だ。聖マラキは歴代法王を次々と預言していった(「法王に関する『聖マラキの預言』2013年2月23日、ウィキぺディア等を参考)。

ベネディクト16世は「聖マラキの預言」内容を熟知していたはずだ。ひょっとしたら、自身がローマ・カトリック教会最後のローマ法王となるのではないか、と予感していたかもしれない。聖マラキは、次期教皇がコンクラーベで選出されたとしても、ローマ教皇はベネディクト16世後は以前のように任務を履行できない状況下に陥ると指摘し、2000年間続いてきたローマ教皇制が終焉を迎えると強く示唆しているのだ。世界のローマ・カトリック教会の現状はその預言内容を裏付けている。聖職者の未成年者への性的虐待事件が多発し、信者たちの教会離れが加速化している。

欧州では来月1日は「万聖節」(Allerheiligen)」、2日は「死者の日」(Allerseelen)だ。教会では死者を祀り、信者たちは花や花輪を買って、亡くなった親族の墓を訪れる。死んだ世界から戻ってきた者はいないとハムレットは語ったが、多くの人々は、その日には死者と語り合おうとするのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。