斎藤佑樹の「敗者の弁」を称賛 – 企業法務戦士(id:FJneo1994)

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本来なら、一週間に備えて早々に休まなければいけない日曜日の夜、ひょんなことから目にした一本の動画にいろいろ考えさせられて、月曜の朝を寝不足で迎えることになってしまった。

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二軍での引退登板に続き、この日は一軍の試合でも最後の登板機会を与えられた斎藤佑樹投手。

プロの世界で一時代を築いたような選手でも、最後は球団とこじれたり、徹底的に現役にこだわったりした結果、ファンの前に姿を見せることなく現役を退くことが多くなった時代に、在籍11年、実働9年でわずか15勝(26敗)、一軍での登板数も100に満たないピッチャーが、「最後の日」にこれだけの待遇を与えられる、というのは、これまでの興行面での貢献等を踏まえても、極めて異例のことだと思う。

そして、まだシーズンは続いているにもかかわらず、試合後には監督、コーチから一軍の選手たちまで、ずらっと揃っての「セレモニー」。

自分は2006年の夏の甲子園を途中までほとんど見てなかった上に、あの決勝戦で一貫して応援していたのは、ヒール役を演じさせられた南北海道代表の方だった*1

六大学リーグに進んで大フィーバーが起きた時も、応援していたのは当然別の大学だから、”旋風”に翻弄される様を見て嬉しいはずがない。

だから、最初から自分の”ハンカチ王子”を見る目はひねくれていたのであるが、仮に百歩譲って、アマチュア時代の輝かしい実績を額面通りに評価するとしても、かの選手がプロの試合ではほとんどチームに貢献できなかった、という事実に変わりはないわけで、「そんな選手にここまでの厚遇を図るのは、他の選手に失礼じゃないかな・・・」と思いながら見始めたのが冒頭の動画だった。

実際、映像を見ても、真の大物スター選手の引退セレモニーのそれと比べれば随分緩い雰囲気だったし、関係者の餞別の言葉も、長年同じチームでかかわってきた栗山・現監督を除けば何となく他人行儀な感じがあって、サプライズゲスト的に登場した早実の大物OBが、「甲子園での948球」の話を始めた時は、彼のプロでの11年間は何だったのだろう・・・とむしろ同情したくもなるくらいだった。

ただ、そんなふうに引きながら見ていた自分の目は、本人のスピーチが始まった時、ようやく覚めた。

何といっても出だしの挨拶が強烈そのもの・・・。

「本日はこのような場を用意していただき、球団関係者の皆様ありがとうございます。ファイターズファンの皆さん、入団してから引退する今日に至るまで、温かいご声援をありがとうございました。にも関わらず、皆さんのご期待に沿うような成績を残すことが出来ず、本当にすみませんでした。」(強調筆者、以下同じ。)*2

どんな名選手でも一抹の悔しさを見せるのがこの種のセレモニーで、そのシーズンでチームを優勝させられなかったことを悔やむ選手もいれば、在籍中に日本一になれなかったことを悔やむ選手もいる。だが、「ご期待に沿うような成績を残すことができず・・・」などという挨拶をプロの引退セレモニーでしたことのある選手が、かつて他にいただろうか。

そんな悔悟の念はまだまだ語られていく。

「「諦めてやめるのは簡単。どんなに苦しくてもがむしゃらに泥だらけになって最後までやりきる」。栗山監督に言われ続けた言葉です。その言葉通り、どんなにかっこ悪くても前だけを見てきたつもりです。ほとんど思い通りにはいきませんでしたが、やり続けたことに後悔はありません。」

そして最後。

「「斎藤は持っている」と言われたこともありました。でも本当に持っていたらいい成績も残せたでしょうし、こんなにけがもしなかったはずです。

かつて憎たらしいくらいにありとあらゆる栄光を手に収めていた時に、”流行語”にまで祭り上げられた自分の言葉を、この文脈で再度持ち出して落とす。

この後に続いたのは、各紙で報道もされていたかつての名言なのだが、そのセリフが頭の中に入ってこないくらい、その前に語られた一言のインパクトは強かった気がする。語り口それ自体は、昔から全く変わらない淡々としたものだっただけに、なおさらそのギャップは強烈だった。

いかに甲子園の、六大学のスターだったからといって、プロに入ってから故障続きで結果を残せなかった選手にこういう機会を与えれば、ポジティブな言葉を探す方が難しい、というのは冷静に考えれば当たり前の話ではある。だが、球団はあえてスポットライトを浴びせて引退する投手に語らせる場を設け、本人もそれを受けた。

その重さを考えた時、あの甲子園の夏から15年、勝っても勝てなくても「スター/元スター」であることを受け入れ、表立って悪態をつくこともなく、10年を超える現役生活を全うした斎藤佑樹、という選手への見方は大きく変わった。

それまであまり意識したことはなかったのだが、セレモニーの中で流れたデビュー当時の映像を見ても、セレモニーでの様子を見ても、周りの大柄な選手たちとの比較でひと際小さく見えたのがこの日の”主役”で、実際、斎藤選手の身長は176cm。

あの夏の魔法にかかったような奇跡の連投がなければ、大学30勝超えの実績をもってしてもドラフトにかかるかどうか微妙なラインだったかもしれない彼が*3、故障に苦しみながらも「15」も勝ち星を刻んだ、そのことに価値があったんじゃないか、とすら、セレモニーの終わりの映像を見る頃には思えてきたのである。

単純すぎるといえばそれまでで、うがった見方をすれば、このセレモニー自体、「引退後」に向けた「新たなファン層」開拓のための演出だったということも言えるのかもしれないが、これまで決してこういう場で語られることのなかった「100%出し切れなかった者の敗者の弁」に触れる機会を得られたことへの感謝と、それを引き受けた勇気への称賛を込めつつ、グラウンドを去った選手の次の人生にエールを送ることとしたい。

*1:元々北の方のチームが好きなうえに、あの年は春のセンバツの出場辞退、という悲劇的な事件もあったから、なおさら歴史に名を刻んでほしい、という思いはあった。当時のエントリーは熱闘の終わり。 – 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:スピーチ内容の記述は、ヤフーニュースの【日本ハム】斎藤佑樹の引退スピーチ全文 「僕が持っているのは最高の仲間」(スポーツ報知) – Yahoo!ニュースより引用している。

*3:実際、4年間コンスタントに投げ続けてはきたものの、最後の秋に東大相手に失点して黒星を喫したようなもろさはあったから、少なくともドラフト1位で複数球団が競合するような評価は受けられなかったんじゃないか、という気はする。

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