スマホゲーム的演出でダメな日常も痛快にできる

デイリーポータルZ

私の考えるスマホゲーム的演出とは数字と衝撃と衝撃音だ

電車に乗ると他人のスマートフォンのゲーム画面が目に入る。今日も数字が出てビシバシ言ってるなあと思う。

私の考えるスマホゲームっぽさとは「数字が浮かび上がって衝撃の効果が出てビシバシ音が鳴る」ことだ。

よくあの画面を見る。ということはあの演出はすごく効果的なんじゃないか。私たちのダメな日常もスマホゲームみたいに痛快になるのではないか。

動画を作ったり明日のアーというコントの舞台をしたりもします。プープーテレビにも登場。2006年より参加。(動画インタビュー)

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> 個人サイト Twitter(@ohkitashigeto) 明日のアー

スマホゲームっぽさとは?

「数字が出てきて…」と言ってもなんのことかピンとくる人は少ないだろう。電車の中でちらっと目に入るスマホの画面にはキャラクターの上に数字が出てないだろうか。

なんかやたらに光と数字がでているなと

私がスマホゲームをやらないといっても、こうした数字が出てくるゲームの演出にはなじみがある。少なくとも90年代のスーパーファミコンからこの演出は存在した。

あの数字はこちらの攻撃の結果を示すものであり、「こんなにすごい結果なんですよ」という衝撃をビジュアルと音のセットで表現したものだ。

相手を攻撃したときに数字と衝撃を表すビジュアルとそれに伴う音が出る。「1248のダメージを与えましたよ」という意味だ。これが私の思うスマホゲーム的演出だ。

この「数字と衝撃セット」 が妙にスマホ画面に現れてないだろうか。念のためスマホゲームをよくやるライターの井口エリさんに聞いてみたところ、確かにその傾向はあるという。

スマホゲームといえば「数字と衝撃セット」という認識で合ってるのか、その界隈に詳しいライターの井口エリさんに聞いた。まあまあ合っているとの答えと「バフとデバフをかけている」動画を送っていただいた。さっぱり意味がわからなかった。

衝撃と衝撃音を作ろう

衝撃とともに数字がじゃんじゃか出るのがスマホゲームっぽさ。とりあえずはそういうことにさせてください。

はたしてなぜこんなに衝撃と数字がスマホ画面を席巻したのか。もしかしてこれが汎用性のあるすぐれた表現なのではないか。

たとえば私たちの日常にもこうした数字と衝撃をガンガン出したい瞬間はある。

あるんだがそれを映像として再現するのは非常にめんどくさい。なので一回愚痴を挟んでからその実証へ移ろう。

衝撃の効果は映像ソフトの素材を探してきた。撮影を終えたあと、一日ちまちま作っている。こんなんでインボイス制度がやってきたら死ぬ…

パソコンのEnterキーにもスマホゲームっぽさを

日常に取り入れたいスマホゲーム的演出。たとえばそれはパソコンの文字入力時のENTERキーを押す瞬間である。カタタタ、カタタタ、ターンッ!の「ターンッ!」部である。

カタタタ、ターンッ!と派手にやる人がいる
普段から頭の中でこういう絵を思い浮かべている

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なのでついにその映像を作った。これだ。頭のもやもやが浄化された

やはり痛快だった

あれに効果音つけたいなと思っていたパソコンのENTERキーであるが、実際につけた映像を見るとやはり痛快だった。

ああ、気持ちよさそうだなあ…と、ENTERキーを豪快に押す人を見ると私はこういう気持ちでいる。

この記事は文字数少ないがその分映像に時間かかってるんだぞというアピールをもう一度させてくださいs。ライターもAfterEffects使わんといかん時代!

他にも飯をがっつく時なんかにあの数字が出ると痛快さに拍車がかかると思うのだが…

わっしわっしと食べているとき、スマホゲームっぽい効果が欲しくなるときがある。
食べるたびに数字が現れて…
美味いと表現は爆発する。これはいい。新たな食メディアの誕生だ

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食にスマホゲーム的演出を加えるのも痛快だった。この辺りはもとも痛快だったものをさらに効果的にした演出である。

ここでこの痛快さを有効に使う方法、例えば手順があってめんどくさいものを痛快にしてみてはどうだろう。

例えば手洗いである。クリエイターの力を見せてやる、と去年手洗い動画がやたらに出てきた瞬間があったが今さら乗っからせてください。

これも数字がついてくれれば気も進んでやるものの…

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いよいよダメな瞬間にスマホゲーム的演出を

手洗いもめんどくさいが結果としては清潔であり、ここまでは日常における人として「良い」瞬間を扱ってきた。さあここからがダメな瞬間である。

例えばシンプルにダメな行動「鼻をほじる」にもスマホゲーム的演出で痛快さは宿るのだろうか?

こうした非常にダメな絵面である「鼻をほじる」であるが…
これが妙にスマホゲームと相性が良いのだ
最高だ。これ以上に最高なことってあるだろうか。

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スマホゲーム的演出は負のイメージを浄化する

ただ鼻をほじる汚い動画でも痛快さが出てきた。スマホゲーム的演出は負のイメージにこそ効果的なのかもしれない。

いや、本当にそうだろうか。もう少し実証が必要じゃないだろうか。

他にもたとえば人としてあんまり見たくない瞬間、ごまをする行為においてもスマホゲーム的演出は効果的だろうか?

手をもみながら執拗に相手を持ち上げる。見ていて気持ちのよい場面ではないが…
肩をもんで点数がガンガン入っていくとそこには痛快さが宿るのではないか
ゴルフの素振りをするだけで高得点。接待をやっている人もゲーム感覚なのではないか

 

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もっとだ!

人間の欲望とは恐ろしいものでそこに飽きたるということはないのである。私はもっと人のダメな部分をスマホゲーム的演出で見たい。そして世の中の臭いものに全部フタをしたゴッサムシティを作るのである。

たとえば自販機の小銭をあさるところはどうだろうか
これも痛快である。問答無用で痛快にしてくれるスマホゲームの力。それは痛快を求めてきた人々の欲望の結晶でもある。

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画面に映り込んでくる人というのは人々が見たくないものの一つである。だがこんな場合もスマホゲーム的演出で…
バシバシに痛快になる。人の見たくない瞬間はすべてゲームと考えれば良い。他にも女は蝶、受験は戦争、アイスホッケーは氷上の格闘技など人の考え方は様々。

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痛快の文化の結晶がスマホゲームだ

公的機関が美少女アニメキャラを採用して市民側から「性的だ」の待ったがかかり「いやいやいや」とSNSで論争が始まる。でもあれは欲望を満足させるために発展してきた文化だから致し方ないのかな~と思っていた。

スマホゲームについてもそうだ。いかに痛快であるかを追求した結果が数字出して「バシッ!!」なのではないか。それはすべて私たちの欲望に忠実に寄り添ってきた影なんじゃないか。

だからどうだというわけではない。私はただヘラヘラしているだけである。

ライターからのお知らせ

今年の明日のアーは12月10~12日に行います。ただくだらないやつです。

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