人口400人の町でベビーラッシュ – NEWSポストセブン

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島根・大森町のメインストリートには子どもの元気な声が響く

 島根県大田市大森町。世界遺産・石見銀山がある人口400人のこの町に、全国から若者が集まっているという。大森町には、群言堂ブランドを中心にアパレル業や飲食業を全国展開する株式会社石見銀山生活文化研究所の本社があるが、この本社で働く社員の3分の2はIターン・Uターンで移住してきた若者だ。

【写真】「令和2年度ふるさとづくり大賞」内閣総理大臣賞を受賞した松場登美さん

 なぜ、この小さな山間の町に若者が集まるのだろうか。

 株式会社石見銀山生活文化研究所代表であり、今年1月に総務省主催「令和2年度ふるさとづくり大賞」内閣総理大臣賞の受賞をきっかけに、『過疎再生 奇跡を起こすまちづくり』を上梓した松場登美さんに聞いてみた。

「若い人たちが我社に興味を持って、移住してくる人が増えたのは10年前ぐらいでしょうか。単身者だけでなく、家族でやってきた人やここで結婚して家族が増えた人もいます。大森町には、我社だけでなく、義肢装具の製造を行う中村ブレイスさんなど、ある程度の雇用を生み出す規模の会社があり、移住者が快適に暮らせる環境があることが、移住者が増えてきた第一の要因でしょうね」

 大田市役所まちづくり定住課によると、2012年3月から2021年3月までに大森町に転入した世帯数は32世帯、出生数は43人、年間平均出生数は4.8人。たった400人の町にベビーラッシュが起こっている。

「町内の唯一の保育園である大森さくら保育園は、一時期は園児が2名まで減り、存続が危ぶまれましたが、現在は25名まで増えました。待機児童が心配されたほどです(笑)。

 大森町にやって来る若者たちは、単に収入だけでなく、稼ぐこと以上に有意義なことを求めてきているのでしょうね。かつて東京の広告会社で働いていた社員が、大森町に来てから『東京では働くために暮らしていたけれど、ここでは暮らすために働く』という名言を残しています。若い人たちが大森町での暮らしに幸せを感じてくれているとしたら、ここには昔ながらの美しい町並みや豊かな自然、あたたかい人間関係などがあって、人間らしい暮らしができるからなのかもしれません」(松場登美さん)

 しかしながら、田舎は閉鎖的で外から来る人が溶け込みにくいイメージがある。

「大森町は、かつて銀山が栄えた大都市で、全国からたくさんの人が集まっていたので、もともと外の人を自然に受け入れる土壌があります。ですから、あまり閉鎖的ではなく、町全体に家族的なあたたかい雰囲気があります。私も40年前に、ここに嫁いだよそものですが、この町に来た当初から、ほっとするような安心感がありましたね。田舎でも歴史をひも解けば、かつては外からやってくる人を受け入れていた開放的な土壌があるかもしれません。そういうところなら移住しやすいかもしれません」(松場登美さん)

大森町はオンとオフがとけ合う町

 実際に大森町に移住した若者にも話を聞いてみよう。株式会社石見銀山生活観光研究所でPRを担当する三浦 類さんは1986年、愛知県名古屋市生まれ。東京外語大学在学中に1カ月のインターン経験を経て卒業後、2011年に入社し、大森町に移住した。

「大森町は重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されていますので、建物の外観は江戸時代そのものですが、そこに現代の暮らしが息づいているという不思議な町です。

 タイムスリップ感があって、この町に暮らすこと自体ワクワクします。また自然も多いので、山でとった猪や海で釣った魚を自分たちで料理して食べるといった暮らしも楽しめますね。それから人と人とのつながりも強く、最初に来たころは町の人たちが、温泉や海などに遊びに連れて行ってくれました。今は仕事として、大森町の暮らしを発信するPR紙やオンラインサイトの読み物コンテンツをつくっていますが、そういう仕事をするなかで、町に関わることも出てくるし、暮らしを楽しむことがネタになることも多い。ですからオンとオフが混じり合っていて、いつでも自然体でいられて、すごく心地いいですね」

 移住して10年。今は岐阜出身の妻と2歳の娘とともにこの町の暮らしを楽しんでいる。

「妻はこちらに来たばかりのころは家族や友だちとはなれて寂しがっていましたが、近所の人がすぐに受け入れてくれるうちに気持ちがほぐれて、暮らしを楽しむようになりました。娘が生まれたときも、近所の人たちは誕生を喜んでくれて、出会えば名前を呼んでくれて、あたたかく成長を見守ってくださっています。最近、娘は保育園に行き始めましたが、もともと知っている子たちばかりだったので、すぐになじみました」(同前)

若者が関われる余白がある

「ここには希望がある」と、はるばるアメリカからやってきたのは、㈱石見銀山生活観光研究所で、インバウンド事業や「梅花ビール」の開発・販売を担当する伊藤俊一さん。1995年生まれの伊藤さんはアメリカ・ロサンゼルス生まれ。父は日本人、母は日米ハーフで、10歳まで横浜で過ごしたあと、アメリカ・ニュージャージーへ。大森町のことを知ったのは、カリフォルニア大学バークレー校に在学中のときだった。

「当時、僕はアメリカの大学で社会学を学んでいましたが、なかでも興味を持っていたのが『希望学』という学問。学ぶうちに、近年の日本の社会は希望を持ちづらくなっている現状を知りました。そんなとき、たまたま大森町と群言堂を取り上げているテレビ番組を見たんです。そこに出てきた大森町の若者たちは、経済だけでなく文化のことを話し合っていて、そこでの暮らしを心から楽しんでいるように見えたんです。実際にそこで起こっていることを確かめたいと、在学中にインターンを申し込んだのが最初に大森町を訪れたきっかけです」

 大学卒業後に移住。ここで3年暮らした伊藤さんが、いちばん感じる大森の魅力は、町の人たちのあたたかさだという。

「僕のようなよそものが入っても、ご近所さんは、面倒をみてくれたり、心配してくれたり、すごくあたたかい。大森町は美しい町並みが魅力ですが、その町をつくっているのも、ここに住んでいる人ですから、やはり人の素晴らしさが第一にあります」

 また、ここに若者が集まってくる理由を次のように分析する。

「やはり仕事があるからだと思います。仕事が得られれば、ある程度、安定した収入が得られるので、家族で住むこともできます。プラス、仕事には若者が関われる余白があるので、自分らしい仕事や場所をつくれるのではないかという希望があります。そういう意味で、ここは可能性のある町だと思います」

 伊藤さん自身、入社当時は外国からの観光客を案内するなどのインバウンド事業を担当していたが、コロナ禍で大きく状況が変わってからは、隣町の地ビールの醸造所と組んで、石見銀山の梅の花に生息する梅花酵母を使ったクラフトビールづくりに本格的に取り組み始めた。大森町に住み始めてから、仕事や暮らしを通して、自分の目指していることや考えていることが、少しずつ叶っているという。

 若者にとって大森町という町は、都会では得られない新たな可能性を感じさせる町なのだ。

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