eスポーツ 界の若き天才記者、J・ウルフ氏の「逆境人生」:いかに新世代ライターのロールモデルとなったか?

DIGIDAY

ESPNが、創設間もないeスポーツ部門のライターとしてジェイコブ・ウルフ氏を採用したのは、同氏が19歳のときだった。それから5年。何百ものスクープを経て、ウルフ氏はeスポーツメディア界で、もっとも重要な人物のひとりとなった。一部の同世代の記者とは異なり、ウルフ氏の名声はその冷静な報道と業界を現実的に見る目によって築かれたものだ。すなわち、インフルエンサー的なジャーナリストというより、真に影響力のあるジャーナリストといえる。

ESPN在籍時のウルフ氏は、スポーツ界の大物、ロバート・クラフト氏フレッド・ウィルポン氏が「オーバーウォッチ・リーグ(Overwatch League)」への投資を決定するといった、業界を揺るがすビジネスニュースから、フロリダ州ジャクソンビルの「マッデンNFL(Madden NFL)」トーナメントで発生し死傷者を出した銃乱射事件の余波といった、広く社会に訴える報道まで、多くの実績を残した。2020年にESPNのeスポーツ部門が閉鎖されたあと、ウルフ氏はドットeスポーツ(Dot Esports)に移籍し、現在そこでチーフレポーター兼調査主任を務めている。

優秀な記者として、ウルフ氏はマーク・キューバン氏、アダム・シルバー氏、シャキール・オニール氏といったスポーツ界の著名人にも取材経験をもつ。ウルフ氏の名前はeスポーツの代名詞といってもいいほどだが、同氏はいまもなお、ほかのジャーナリスト(米DIGIDAYの本稿筆者を含む)のために、eスポーツの世界への扉を開き、橋渡しの機会を提供する試みを続けている。

そんなウルフ氏だが、2022年には自身の新しい制作会社オーバーカム(Overcome)を通じて、音声、映像、テレビの大規模プロジェクトにその才能を広げたいと考えているという。

ウルフ氏が実現したいもの

ジャーナリストとして8年間活動してきたウルフ氏は、eスポーツだけでなく、エンターテインメントやメディア業界全般についての歩く百科事典のような存在だ。どの企業が何を所有しているのか、誰がどこで働いているのか、特定の企業の成功や失敗の要因は何か、といったことを知りたければ、おそらくウルフ氏がその答えを知っているだろう。あるストリーミングサービスの話をすれば、同氏はそのもっとも優れたコンテンツや、今後所有者が変わる可能性についてすぐさま見解を述べ、また別のeスポーツ組織の話をすれば、著名な幹部の名を挙げ、その組織が隠蔽してきたスキャンダルを列挙するだろう。ウルフ氏がeスポーツ業界に対する知識と批評眼を持っていることは、握手をかわした瞬間に見てとれる。

したがって、オーバーカムが最初に手がけるプロジェクトが、eスポーツビジネスの、あるとても興味深いストーリーについて全8回にわたり取り上げる調査報道のポッドキャストであることは驚くにはあたらない(なお米DIGIDAYは、取材プロセスを困難にするのを避けるため、その詳細を明かさないことに同意した)。このポッドキャストは、eスポーツ企業のナード・ストリート・ゲーマーズ(Nerd Street Gamers :以下、NSG)と共同で制作され、現在のところ、2022年の第2または第3四半期に公開される予定だ。NSGのCEOジョン・ファジオ氏は、次のように話す。「ポッドキャストの世界で、ストーリーの力強さに大胆さも加わり、彼はたちまちその名を築いていくだろう。それこそが、ジェイコブ(ウルフ氏)の姿勢やアプローチの何よりエキサイティングなところだと思う。当たり障りのないジェイコブなどありえない。いつだって刺激的なコンテンツを届けてくれる」。

今後展開されるこのポッドキャストで(まだタイトルは決まっていない)、ウルフ氏はホスト、および調査主任として、NSGのコンテンツチームと協力しながらポッドキャストの制作、マーケティング、配信を担う。NSGのメディア担当バイスプレジデント、トッド・バーマン氏は、「これは共生的な関係であり、それと同時にまだはじまったばかりの関係だ」と話す。

ウルフ氏によると、制作会社の名前を「オーバーカム(克服の意)」としたのは、どのようなストーリーを伝えたいかを表すためだ。「私は、逆境とそこから立ち直った人々の物語に焦点を当てたい」。

しかし、ウルフ氏の幼なじみであり、プロジェクトマネージャーとしてオーバーカムに入社予定のライアン・ラム氏は、この名前にはほかにも個人的な意味合いがあると考えている。「ジェイコブと私は、同じような逆境のなかで育った。そして、その過去が、いまの彼を形作っていると思う」とラム氏は明かす。

ラム氏が述べるように、ウルフ氏はこれまでに大きな困難を乗り越えてきた。9歳のときに両親が離婚し、2008年の金融危機以降は「下流中産階級」の家庭に育ったと話す。彼が幼いころ、母親は祖父の保釈金を支払わなくてはならなかったという。18歳のときには、ジョージア州アトランタの交差点で、ほかのドライバーに横から追突され、九死に一生を得た。「お互い、父親とは縁の薄い育ちだ」と話すラム氏は、似た生い立ちもあってウルフ氏と親しくなった。「ふたりとも、自力で成長してきた」。

オーバーカムという名前は、もっともウルフ氏の関心を引くストーリーを表すのにぴったりだが、そうしたストーリーを伝えようとする彼の意欲は、(少なくとも部分的には)自身の人生で乗り越えなければならなかった逆境から来ている。

周囲からは「天才」と評される

ドットeスポーツの創設者であり、ウルフ氏の初期のメンターでもあるケビン・モリス氏は、ウルフ氏を「天才」と評する。

モリス氏がウルフ氏を知ったのは、ウルフ氏が15歳で故郷のアトランタにレコードレーベルを立ち上げ、所属アーティストのライブを見るためにナイトクラブに忍び込んでいた早熟な学生のころだった。「彼は当時から、現在のような優れたジャーナリストになるために、多くを実践していた」とラム氏は話す。「所属アーティストのライブイベントを開催するために、プロモーターにコンタクトしたり、新作リリースに向けたコラボレーションを企画したりと、あらゆることに取り組んでいた。ジェイコブはノーという返事を聞き入れない人で、私は彼のそんなところをとても尊敬している」。

学業の成績も優秀だったが、ウルフ氏が真に情熱を注いでいたのはゲームとeスポーツだ。2012年にラム氏から『リーグ・オブ・レジェンド(League of Legends)』を紹介されると、ウルフ氏はすぐにこのMOBA(マルチプレイヤーオンラインバトルアリーナ)の人気ゲームに夢中になった。「いまも覚えているのは、Macのノートパソコンでプレイしていたジェイコブと私が、ブロンズIIからI(ゲーム内ランキング)に上がるのに手こずったことだ。最初の9~10カ月間は、たしかトラックパッドを使っていたと思う」と、ラム氏は当時を振り返る。

17歳になるころには、ウルフ氏はeスポーツについて書くことを仕事にしたいと考えるようになった。2014年末からは地元の媒体に売り込みをかけ、eスポーツ・ヘブン(Esports Heaven)やGフィニティ(Gfinity)などのeスポーツニュースサイトで署名記事を書くようになり、ほどなくして『リーグ・オブ・レジェンド』を追いかける「もっとも粘り強い記者」との評価を得た。

2015年末、ESPNのライターであるミナ・カイムズ氏が、リーグ・オブ・レジェンドのスタープレイヤーである「フェイカー(Faker)」ことイ・サンヒョク氏を特集した記事を読み、ウルフ氏はカイムズ氏に連絡を取った。その後カイムズ氏の勧めもあって、ウルフ氏はESPNのeスポーツ関連の求人に応募したが、面接の結果、不採用となった。

それでもウルフ氏は、フリーランスのライターとして活動を続け、2015年11月にはアトランタからテキサス州オースティンに移り、ドットeスポーツでフルタイムの仕事を得た。当時ドットeスポーツの編集長だったモリス氏は、「調査報道の記者、実際に第一報を伝える人材としての才能は、鍛えられないわけではないが、難しいものがある」と話す。「そのような才能を持つ人を見つけると、私はその人物が学ぶべきほかのすべての分野を無視して、その才能を磨くことに集中してしまう」。

19歳の誕生日を迎える直前、ウルフ氏は、かつてESPNのeスポーツ部門のエディターだったダリン・クイリンスキー氏のすすめで、かつて落とされたにもかかわらず、再びESPNの面接に臨んだ。当時ESPNの編集長だったチャド・ミルマン氏に、クイリンスキー氏からESPNのeスポーツ部門に乞われた理由を尋ねられ、当然のようにこう答えたとウルフ氏はいう。「なぜなら私がこの業界一の記者だから」。そうしてウルフ氏は仕事を得た。

ブランドの確立

ESPNに在籍した4年間で、ウルフ氏は『リーグ・オブ・レジェンド』のニュースをいちはやく伝える記者として評価を築き、オフシーズン中の移籍やロースターの入れ替えといった、スクープ満載の「ウルフ砲」を放つことで有名になった。「ブランドを確立したことで、彼の報道に正当性と権威が与えられた」とモリス氏はいう。

こうした、業界に特化した報道に加えて、ESPNで注目を浴びる立場になったことで、ウルフ氏は新たな種類のメディアを模索し、eスポーツの枠をはるかに超えたストーリーを取材する機会を与えられた。そのなかには、前述のジャクソンビルでの銃乱射事件で右手を負傷した「NBA 2K」のプロプレーヤー、「オラリー」ことティモシー・アンセリモ氏のカムバックストーリーも含まれる。「彼のストーリーを追ったことが、私のキャリアを変えた瞬間だ」とウルフ氏は話す。

銃撃の激しさ、そして現場に1日以上滞在した唯一のESPN記者としての役割を引き受けたことで、ウルフ氏は心に傷を負うとともに、政治色の濃い出来事を報じる必要に迫られた。「彼は現場をひと通り歩いた後、私に電話をかけてきた」とラム氏。「ショックを受けていた様子はなかったが、不気味なほど混乱しているように聞こえた」。

こうした困難にもかかわらず、ジャクソンビルでの取材経験は、ウルフ氏のキャリアに長くさまざまな形で、よい影響をもたらした。特に、オラリー氏とのインタビューをもとに、ニュースショー「スポーツセンター(SportsCenter)」で共同制作したコーナーは、彼にとってはじめてのテレビコンテンツ制作の経験となった。「この経験を通じて、自分がそうした分野に興味があるという事実を発見した」とウルフ氏はいう。「自分の新たな側面を発見したのだ」。

ESPN時代終盤のウルフ氏は、動画やライブストリームのコンテンツをサイトに増やすことを推進し、一定の成果を上げた。しかし最終的には、eスポーツへの投資に消極的と見えるESPNのeスポーツ戦略に落胆して、同社を去った。彼はマルチメディアコンテンツへの熱意を携えて、ドットeスポーツに戻り、長編動画や音声コンテンツを追求することに興味があると、幹部陣にアピールしたという。「社内でサポートしてくれるか、社外でやる自由を与えてくれるかふたつにひとつ、さもなければ契約はしない、とはっきり伝えた」とウルフ氏は明かす。ドットeスポーツの承認を得て、ウルフ氏は、このマルチメディアコンテンツの拠点となるオーバーカムを創設した。

転換期を迎えている

2014年にウルフ氏がはじめてeスポーツの取材を開始したとき、彼はまだ若者だった。それからこの分野は大きく成長したが、eスポーツジャーナリズムの世界では、10代のライターが受け入れられる余地がまだ十分にある。ドットeスポーツの調査報道記者として、ウルフ氏とともに働くパブロ・スアレズ氏は、2021年6月に今年のeスポーツ・アワード(Esports Awards)で「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされたとき、まだ18歳だった(ウルフ氏も2018年に同賞を受賞している)。このような早熟なキャリアパスが可能なのは、若くして仕事をはじめ、有能で影響力あるジャーナリストとなったウルフ氏の実績によるところが大きい。「彼が世代全体のライターに影響を与えていないとは考えられない」とファジオ氏はいう。

24歳になったいま、キャリアの転換期を迎えているウルフ氏は、新たなメディアに進出することで、ほかのeスポーツライターに刺激を与え続けたいと考えている。「私が将来やりたいことは、eスポーツやゲームよりも大きなストーリーを、ニュアンスをもって伝えることだ」とウルフ氏はいう。「私はいま、ポッドキャスト、映画、テレビなど、エンターテインメント業界の大きな転換点を目にしている」。

現在は、業界にとっての転換点であるだけでなく、互いがその価値を認められる過程で、eスポーツ業界に影響を及ぼし、またそこから影響を受けてきたジャーナリストであるウルフ氏自身にとっての転換点でもある。eスポーツというエンターテインメントの世界が新たな段階に入ろうとするいま、ウルフ氏には、それに合わせて進化を続ける準備と意志がある。

[原文:Jacob Wolf takes esports expertise to podcasting as he continues to influence a new generation of writers

ALEXANDER LEE(翻訳:高橋朋子/ガリレオ、編集:村上莞)

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