スーパーシティ構想とはなにか – ヒロ

BLOGOS

数週間前の日経ビジネスの特集では「スーパーシティ 都市DXの光と影」と題し、日本国内の未来都市開発について論じています。スーパーシティという言葉自体が比較的耳新しいと思いますが、何を目指しているのか、その功罪は、どうなのか、少しのぞいてみたいと思います。

たぶん、多くの方が認識している「スーパーシティ」とはトヨタが静岡県の富士山麓で進める「ウーブンシティ」だと思います。すでに地鎮祭も終わり、2025年にはその容貌を現すものとされますが、どのような先進のライフを提供するのか、そこは完全にシークレットになっているようです。

土地のサイズは約70万㎡ですが、比較としてわかりやすいのは標準的なゴルフ場一つ分ということになります。トヨタの土地なのでそこに何を作ってもらっても構いません。壮大な実験場だろうと考えています。似たような開発計画はグーグルがカナダ トロントのダウンタウンで進めていたのですが、一昨年でしたか、パタッと中断してしまいました。本当の理由はよくわかりませんが私がその地を見た限りではその一角に「スーパーシティ」が出来たら不自然だろうな、感じました。

私は不動産事業を生業としています。大規模不動産開発は土地があれば何でも作ればいいというものではありません。その開発地をコアに周辺が潤い、派生効果を生み、一つのベンチマークになるようなライフスタイルを提供することです。決して四角いコンクリートの塊を高く売りつけることではありません。

すると富士山麓という土地に周辺と全く違う次元の街ができるとすれば街全体とどう調和させるのか、これが非常に難しいのです。もちろん、トヨタのことですから十分わかっていると思いますし、地域貢献できる開発になると期待していますが開発事業というのはグーグルがトロントの一等地での計画を止めるぐらい難しいものなのです。

日経ビジネスを読み進めると驚きました。内閣府のスーパーシティ構想コンペに対して159の企業、団体が応募したとあります。スーパーシティとはそもそも何なのでしょうか?「未来社会を先行実現できる基盤づくり」とあります。具体的には先端的サービスの提供、データ連携、大規模な規制改革とあります。内容的には移動、物流、介護、教育、防災、エネルギー、環境、支払い、行政手続き…となっています。

これ、端的に言うとヒトとモノとマネーが全部データ化され、把握される社会ということになります。中国では顔認証用のカメラが至る所にあるので人民の動きが掌握されているとされます。日本も今、必死で政府がデータの積み上げをしています。アリババの首根っこを押さえたのは彼らのデータが中国政府のそれを凌駕すると困るからでしょう。デジタル通貨をなぜ普及させるかといえばお金の流れが全部丸見えになるからです。これ、税務署にとっても都合がよいのです。

私の想像するスーパーシティは再生エネルギーを使い、デジタル地域マネーがあり、地域内の移動は電動自動運転車で、多くの日常生活はスマホや手元のディバイスを使う便利ライフということかと思います。

では質問。これ、楽しいですかねぇ?電動自動運転車でどこにいくのですかね?皆さんの日常、活動するエリアはゴルフ場一つ分ぐらいの狭いエリアではありません。会社も域外だし、お友達も域外に住んでいます。外食も域外に行くし、遠出するには結局、域外で運転できる普通の車が必要です。それと上記の多くのサービスや技術は日本全般でゆっくりですが、進んでいます。つまり、そのための特定地域を作る功罪は考えるべきでしょう。

正直、私が日経ビジネスを読んだ感想は「造注の80年代に逆戻り」であります。あの頃、宅地造成などを通じて地域開発が異様にはやったのです。それと同じ。

その時の教訓は何だったか、今は知る人は少ないでしょう。既存住民と新しい住民の間の軋轢でした。古い中に新しいものを作るのはそれぐらい難しいのです。特にそれが六本木ヒルズのように商業施設の開発ならまだしも、住宅街の再生は本当に困難が付きまとうのです。

私はスーパーシティを実験的に進めるのは結構だと思います。ただ、日本の99.9999%はその域外であり、本質的には技術を広く展開していくか、その手法と財政が課題となるはずでそこを議論すべきだと思っています。我々はまだ現金から離れないし、街を行くには歩行者と自転車と車が混在し、電柱が道路を狭くし、多くの家にはWiFiがないのです。表層的な近代化も必要ですが、年代物のインフラをどうするのか、災害対策は、高齢化に伴う地方の集約化など課題は無尽蔵にある、それが私の思うところです。

では今日はこのぐらいで。

タイトルとURLをコピーしました