フジ新番組「新しいカギ」に期待 – メディアゴン

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高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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2021年9月10日に2時間特番で放送された『新しいカギ』(フジ)。10月からは土曜8時のレギュラー番組になる。めでたい。この番組はバラエティのフジ再生の突破口になるような気がしているからだ。応援している。

番組はきちんと整えられ、コントは正統派で、演者は照れなくやりきっている。破綻がない。コント落ちの編集の切りドコロも気持ちが良い。自分たちでやったコントについて語り合う部分がないことも好ましいい。コントはやってナンボで、解説はできないと思って演じたほうが面白い。

レギュラー出演のコント陣も岡部大・菊田竜大・秋山寛貴(ハナコ)、 松尾駿・長田庄平(チョコレートプラネット)、せいや・粗品(霜降り明星)と、コントで最も大切な「芝居が演じられる」メンバーが揃っている。ただ立っているとしても、棒立ちにはならない役者たちだ。「コントは凝縮された劇」であることを理解している人々だ。そのうちドラマからお呼びがかかるだろう。

[参考]<フジ「新しいカギ」>お笑いで「ふつう」と「またか」はNGだ

と、ここまで褒めたから、要望を書いておこう。『新しいカギ』にはもっと破天荒であってほしい。暴れてほしい。ぶち破れてほしい。あまりにまとまりすぎていて、荒々しさがないのだ。スケボーで氷水に落ちても、これまでの類似品に負けている。かといって面白くないとは言えないところが『新しいカギ』の弱点だ。

最初から完成している番組は実は伸びしろがない。

見る人はテレビを「なにかが起こって<いる>」から見ているのではない」。「なにかかがおこり<そう>」だから見ているのだ。今回のコントには残念だが、「なにかかがおこり<そう>」感があるものがなかった。<いる>ではなく<そう>。「なにかかがおこり<そう>」な感を最も感じさせたのが今田耕司のトークコーナーだったのは、コント番組としては残念だ。終わりに向かって整然と進んでいく感じには期待感が不足している。危なっかしさを感じるのが粗品だけなのも物足りない。

ああたりまえだが、番組は試行錯誤によってヒット番組に育ってゆく。経験則でいうと、最初は心配だから多くのコーナーを詰め込む。様々なパターンのコントをやってみる。今回のコントは本当に様々なパターンになっていただろうか。バラエティがあっただろうか。何でもいいからいろいろなことをやって、時を経るうちに、番組のコーナーはたった2つになっていたりする。2つだけのコーナーで成立する、そのことに気づいたとき、番組は成功している。もったいないと思ってはいけない。捨てる。

「コントは凝縮された劇」であることをレギュラー陣と同様に理解している女性芸人がほしい。蛙亭の岩倉美里(中野周平も一緒で)、Aマッソの加納愛子と村上愛が好きだが、相性もあるだろう。男性が女装して演じると汚い。(ジェンダー平等)

ヒット番組には必ず、たった一人の世帯主や主人に当たる人が存在する。(女主人でも可、ジェンダー平等)たった一人。二人はない。この主人がいなくなると番組は衰退に向かう。主人になれる存在は「演者」、「(内容の決定権を持つ)プロデユーサー」、「(内容の決定権を持つ)ディレクター」、「企画」の4種類しかない。

今田耕司はさすがに見抜いていたが昔は島田紳助が『オールサター感謝祭』(TBS)の主人だったが、いまは島崎和歌子である。その証拠に島田紳助がやめても、番組は終わらなかった。

このあたりの微妙な点は『新しいカギ』ではどうなのだろう。