アフガン現地職員救出失敗:日本版SISの創設を急げ

アゴラ 言論プラットフォーム

先月、アゴラにこう寄稿した「アフガン撤退:楽観したバイデンの罪は重い」。

「本来なら、最後まで現地邦人や大使館スタッフを保護すべき立場の日本人外交官が、大使以下、我先にと逃げ出した格好だ。なんとも情けない」

去る8月30日朝の生放送番組「グッド!モーニング」(テレビ朝日系列)でも、自衛隊機によるアフガン邦人輸送についてコメントした。番組がまとめたフリップ上、私の顔写真からの吹き出しに、こう大書された。

「1週間早ければ、全員退避させられた/政府の対応が後手後手だった」

案の定、今回も炎上騒ぎに。かつて安倍政権下、決裁文書の書き換えを厳しく批判したときと同様、「バカ」「死ね」「殺す」等々の常套文句に加え、「それは結果論だ」、「後からなら、なんとでも言える」、「批判ではなく提案を言え」といったリプも殺到した。政権を無批判に支持する「保守」の勢いは、ネット上に限り健在のようだ。

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彼らに反論する必要を感じないが、事実関係だけ確認しておこう。

日本政府が自衛隊機の派遣を決定したのは8月23日。他方、日本以外の主要国は、アフガンの首都カブールが陥落した8月15日前後には、みな自国の空軍機などを派遣していた。振り返れば、歴代政権の多くが自衛隊の活用に消極的だった。現政権とて例外でない。おそらく今回も自衛隊機の派遣に逡巡したのであろう。判断に要した約一週間の遅れが仇となった。

だが、政府与党はそう考えていないようである。実際、テレビ番組などに自民党の国会議員らが連日出演し、「やむを得なかった」と言い訳を繰り返している。なかには、政府対応を厳しく責めた大学教授の発言を遮りながら、強弁を続けた議員もいる。

問題は1週間の遅れだけではない。他の主要各国とは、退避させた人数に加え、退避支援に当たった職員数も桁違いだった。日本は15名に留まったが、インドや韓国ですら3桁、ドイツ、イタリア、フランスは4桁、イギリスは5桁、アメリカは6桁の要員が退避支援に当たった(先月時点・ロイター通信ほか)。

さらに今月、少しずつ当時の状況が明らかになってきた。9月1日、テレビ朝日系列のニュース番組で、在アフガニスタン日本大使館の現地職員が「退避の準備が遅く、取り残された」とインタビューに答えた。

テレビ朝日の大平一郎記者から「日本政府に伝えたいことはありますか」と問われ、「お願いです。私たちの命を救って下さい。私たちは極めて危険な状況にいます」と悲痛な叫びを上げた。

聞けば、日本大使館が現地職員や家族の退避のため、ビザを準備し始めたのは、タリバンがカブールを制圧した8月15日以降だったというから、驚く。

それも、現地職員が「最悪の事態が起きる可能性」を「高位の日本の外交官」らに進言したにもかかわらず、「タリバンがカブールを陥落させることはない」と言われたというから、唖然とするほかない。

さらに驚くべきは、以下の証言だ。

「現地職員は声を上げないように、特にメディアに話さないように言われています。理由は分かりません」

現地職員に箝口令を敷き、不都合な事実を隠蔽する。もはや「情けない」と評すべきレベルの話ではあるまい。

「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」というのが『危機管理のノウハウ』(佐々淳行)だが、現政権はコロナ対応と同様、楽観的に準備した結果、悲観的に対処せざるを得なくなっている。危機管理の失敗、これに尽きる。この期に及んでなお政権を支持するなら、それは保守でもなんでもない。

この際、素直に失敗を認め、原因を追及する。その上で、たとえば「特殊な対外情報収集活動を行う固有の機関の設置」に踏み出す。言わば「日本版SIS(MI6)」の創設である。けっして突飛な提案ではない。2005年9月13日に公表された「対外情報機能強化に関する懇談会」(外務省)の報告書で、こう明記された。

「情報機関の長い歴史と経験を有する英国では、秘密情報機関(SIS)を設置し、外務大臣の下におきつつ、固有の活動を行う体制としているが、このような方式はわが国としても参考になる」

その10年後の2015年12月8日、当時の第二次安倍内閣が「国際テロ情報収集ユニット」を外務省に設置し、関係府省庁の調整にあたる「国際テロ情報集約室」を内閣官房に設置した。

だが、依然として日英に見る情報収集力の落差は大きい。今回はそれが如実に現れた。

本来なら、憲法を改正し、自衛隊を名実ともの軍隊とすべきだが、それには年月を要する。まずは「日本版SIS(MI6)」を創設しよう。せめて、それくらい言えないものか。

もう、「やむを得なかった」云々の言い訳は沢山だ。じつに、見苦しい。 (9月4日記)

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