イベルメクチン熱狂に医師が危惧 – 名取宏(なとろむ)

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イベルメクチンに対する「熱狂」

一部の界隈で新型コロナウイルス感染症に対するイベルメクチンへの期待が高まっている。熱狂的であるとすら言える。「海外ではイベルメクチンが大きな成果を上げているのに日本で使用が制限されているのはけしからん」といった具合だ。反ワクチンや陰謀論(「安価なイベルメクチンで新型コロナが予防・治療できるとワクチンをはじめとした高価な薬が売れないので巨大な利権が妨害しているんだよ!!」)とつながっていることもあり危惧を覚える。

現時点ではイベルメクチンが新型コロナに効くことを示す良質な証拠はない。日本だけではなく、海外でも主な公的機関は臨床試験以外でのイベルメクチンの使用を推奨していないが、ごく当然のことである。「ワクチンは受け入れられたのに実績のあるイベルメクチンが受け入れらないのは不公平」という類の反論もあるが、イベルメクチンの偉大な実績は寄生虫疾患に対するもので、新型コロナに対しては実績は乏しい。実績とやらは、効いたという逸話、印象的だが統制が不十分な観察研究、質が低くかつサンプルサイズの小さいランダム化比較試験とそれらを統合した議論の余地がありすぎるメタ解析だ。万人単位のランダム化比較試験とそれに続く百万人単位のリアルワールドデータで裏付けられた新型コロナワクチンの実績とは比較しようがない。

一方で「イベルメクチンは新型コロナに効かない」という断定的な主張も見られるが、現時点では正しくない。効かないとわかっているのであれば臨床試験を行うのは非倫理的である。効くかどうかわからないから臨床試験を行うのだ。患者さんの立場でも、一臨床医の立場でも、臨床試験の結果を待つのが最善だと考える。とくに個人輸入は、送られてきたものが本当にイベルメクチンかどうかすら疑わしく危険であるのお勧めしない。イベルメクチンについての不確かな情報を拡散しつつ、個人輸入サイトに誘導するツイッターのアカウントもあった(一度も交流したこともないのに私はブロックされていた)。何らかの規制を要すると強く思う。

「効くかもしれないなら使うべき。何もしないよりまし」という意見があるが、(1)効かずに副作用だけある、つまり利益より害の方が大きい可能性もある、(2)新型コロナに広く使われて供給が不足すると本来イベルメクチンを必要とする疥癬や寄生虫疾患の患者さんが不利益を被る、という理由で反対する。空振り(臨床試験で効果が確認できず結果的に無駄になる)も覚悟して今から増産しろという意見になら賛成だ。承認しろとか出荷調整止めて制限なく使えるようにしろとかいう意見よりも建設的だと思うが、あまりそういう意見は見ない。

「私が診てる人は1人も死んでない」は根拠にならない

「熱狂」の一因は、イベルメクチンを推す臨床医の存在だ。長尾和宏先生は在宅医療のスペシャリストであり、著作も多くある(印税は寄付していらっしゃると聞いた)。また、発熱患者の診療に消極的なクリニックが多かったなか、かなり早い段階から積極的に新型コロナ患者を診ておられた。周辺住民や高次医療医療機関は心強かったであろう。

その長尾先生がイベルメクチンの効果を強く主張され、全国民に配るというアイディアまでおっしゃられた。なんでも数百人を診ているが「私が診てる人は1人も死んでない」とのことである。多くの人たちにこの言葉は刺さったようだが、医療者の立場ではイベルメクチンに効果がある根拠には到底ならないと考える。この辺りが一般の人たちと医療者のギャップが大きいようである。

「何百人診て一人も死なせていない」というのが根拠や実績にならない理由を説明する必要がありそうだ。現時点で日本の新型コロナの致死率は1%強というところである。重症例が集まる施設でもない限り、一人の医師が評価するには死亡というアウトカムは少なすぎる。100人診て一人も死ななかったとしてたまたま偶然ということもある。

それでも何百人も診て死亡がゼロというのは確率的に考えにくい、という反論が予想される。しかし、開業医が診る症例は軽症例が多い。医療がひっ迫してきた2021年夏ならともかく、それまでは重症例は最初から入院設備のある医療機関に搬送された。死亡ゼロは比較的軽症の症例ばかり診ていたからかもしれない。

あるいは、追跡ができていない可能性もある。受診当初は軽症だったが、その後重症化して他の医療機関に入院し、酸素を投与され、人工呼吸管理され、亡くなった症例があったとして、長尾先生はきちんとそういう事例も漏れなく追跡できていたのだろうか。患者本人が生きていたら再受診等で経過を把握できるが、亡くなったらそれきりだ。きちんとデザインされた臨床試験でもいくぶんかの追跡不能例は出てくるものである。実地臨床ならなおさらだ。「何百人診て一人も死なせていない」といったふんわりした情報よりも、たとえば「イベルメクチンを投与した458人のうち、入院は42人、人工呼吸器装着は4人、死亡は2人。全体での追跡不能は6人」といった情報のほうがずっと信用できる。

マスコミやYoutubeではなく適切な媒体でのケースシリーズの報告を期待する

私の知っている外科医の話をする。その先生は自分が執刀した症例を、5年間、全例追跡を試みている。私の担当する患者さんがかつてはその先生の患者であったのだが、転院と施設入所を何度か繰り返していたのにも関わらず当院に入院していたことを突き止めて最後の主治医であった私に連絡し、患者さんの情報(再発の有無、生死、死亡していた場合は死亡日と死因)を聞き取った。また、私自身がその先生の患者であり、毎年電話をかけてきてくださった。その先生の自験例の5年生存率は信用できる。もちろん、いくつか追跡不能例はあるだろうがその場合のデータも標準的な方法にのっとって適切に扱えばいい。

新型コロナは急性期疾患であるので5年間も追跡する必要はなく、治癒までの約10日~数週間だけでよい。「1人も死んでない」とおっしゃる長尾先生は、追跡の努力はどれぐらいなさっていたのだろうか。追跡をしていないとしたら、「1人も死んでない」のは死亡例を把握できていないだけという疑念はぬぐえない。きちんと追跡しているとしたら貴重なデータであるのでケースシリーズとして発表してもらいたい。和文誌でよい。お忙しいとは思うが、マスコミ取材に応じたりYoutubeに動画を上げたりするだけではなく、そのご経験を専門家の検証に耐えうる媒体に発表し広く情報を共有することは多くの患者さんを助けることにつながると考える次第である。

ケースシリーズには死亡の有無だけではなく、年齢、性別、診断の根拠、初診時の重症度、発症日からの期間、イベルメクチンの用量用法、イベルメクチン以外に併用した治療、入院の有無、酸素投与の有無、(入院していたら)入院期間、治癒までの期間があればなおよい。とくに入院の有無、酸素投与の有無は死亡よりも多く起きるイベントであるので、何らかの解析が可能になるかもしれない。また、イベルメクチンの副作用が疑われた症例の情報も欲しい。何百人に投与して副作用疑いすらゼロということはありえない。副作用疑いがないとしたら、投与しっぱなしでフォローアップを全くしておらず副作用を疑うことができていなかっただけである。

臨床医の経験はなかなか馬鹿にならない。だからこそ症例報告やケースシリーズもエビデンスだとされている。だが、同時に「間違いなく効果がある」という臨床医の実感が結果的に間違っており、助けられるはずの多くの患者が亡くなった事例が過去にあったという教訓を我々は学んだはずである。「熱意」は免罪符にならない。むしろ被害を大きくするおそれすらある。質の高いランダム化比較試験の結果が待たれる。

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