正三角形の理論

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私がバンクーバーでカフェを経営していた時の気づきの話をしましょう。コーヒーは当時、バンクーバーで圧倒的に品質が良く、主要レストランで取引が多かったイタリアンコーヒー系のエスプレッソ豆を使用、食べ物もモーニング向けとランチ向けで11種類のサンドウィッチを提供、バンクーバーではほとんど見たことがないフレンチ系サンドウィッチや日本を意識した照り焼き系などかなり工夫をしました。

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店はそこそこ流行ったのですが、そもそも店のサイズが小さかったこともあり、売り上げがまずまずだったところに店を買いたいという人が現れたため、売却して8年間のカフェビジネスを終了しました。開業してすぐに私はある気づきがありました。それはどれだけおいしいコーヒーやサンドウィッチを提供しても店は成功しないと。提供する商品の質とともに店の雰囲気、およびサービスの3つが均等なレベルでバランスよく座っていないといけないのです。それを私は「正三角形の理論」と称し、確か、カフェ経営2年目ぐらいから従業員によく説いていたのです。

では私の店の何が十分ではなかったか、といえばサービスです。別に変なものを提供したわけではありません。スタッフはほぼ全員が日本人で多くのワーキングホリディの若者を抱えていたので顧客とのやり取りがスムーズにできなかったのです。「いくら英語とはいえ、カフェの顧客とのやり取りで何を言っている?」と思われがちでしょう。私の言っているのは「3秒の間をどう埋めるか」、これは外国に住んだことのある人でないとわからないと思います。

本場イタリアのカフェ(バール)に行けばエスプレッソマシーン越しに「やぁ、今日はどうだい」と聞くスタッフ、それに対して「ちょっと嫁とけんかしてさぁ」という軽いジャブトークをします。日本なら店員が客に「ため口」トークをすることはありません。マニュアルに基づき、決まった接客用語ですよね。でもこちらは店員の個性丸出し。これが日本人のスタッフには極めて難解、かつ達成できない世界だったのです。

私がローカルの従業員たちと20年ぐらい前にレストランに行ったとき、うちの若手女性従業員が店のスタッフと楽しそうにやり取りしています。その当時私にはEye Opener(目からうろこ)でした。サーバーさんと駄話するんだと。それを通じて双方が名前で呼び合い、ファン層になっていくのでしょう。

この正三角形の理論は実は多くの業種に適用することができます。例えば美容室。どれだけ腕が良い人に髪の毛を切ってもらったとしても1時間座っている間のトークが最低だったらいやになるでしょう。私は7年通った美容師さんの自慢話を1時間、聞かされるのが嫌で美容室を変えたことがあります。

私が支援する訪問介護の会社のスタッフは元看護士さんと一般の方のミックスです。入社の面接に必ずある「介護と看護の違いは何ですか?」に対する様々な意見で学ばせてもらっています。最近、はたと気がついたもう一つの答えが「看護士は治療という明白な目的を医者と共に遂行することが仕事」、一方、介護士は「顧客の生活全体を見通して幸せをお届けすること」かなと思っています。元看護士さんは目先の問題の対処は上手ですが、問題にならない部分の対処ができないのです。この微妙なニュアンスは本当に難しいと思います。

各種修理でも預けて直ったらお金払っておしまい、が当たり前だと思います。しかし、なぜ、壊れたのか、どう使えばよかったのか、あるいはどう直してなぜこれだけのお金がかかったのか、という説明を聞くことはあるでしょうか?

つまり、技術だけじゃダメなのです。サービスという発想は顧客のマインドをしっかりつなぎとめるための重要な役割です。バンクーバーのある高級レストラン経営者が初の海外進出で立派な店を出したのですが、店員はワーホリの子が片言英語で「注文は?」「お待たせしました。」「お会計ですね」しか言えず、お客が全く入りませんでした。1年経って、サーバーさんを全員白人にしてキッチンを全員日本人にしたところ、見違えるような店となり、大繁盛しています。私のカフェのケースと似ています。

日本はいまだに二等辺三角形が主力です。つまり、品質第一です。レストランなら旨ければいい、美容室なら技術が良ければいい、です。しかし、それではもう海外では勝てません。バランスをよくするのはたやすいことではありません。しかし、逆説的に捉えれば日本のビジネスは磨けばまだまだいくらでもよくなる、ともいえるのではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年8月19日の記事より転載させていただきました。

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