DaiGo発言を叩くのは自衛の手段 – いいんちょ

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5年ぐらい前に長谷川豊が透析患者への自己負担を要求して、「無理なら殺せ」と書いてキャリアを終わらせていた。定期的にこういう人が出てくるたびに、人権思想という発明のありがたみを感じる。というより、普段からぼくも彼も空気のように人権思想の恩恵を受けているはずだが、当たり前過ぎていてその重要性が忘れてしまったのかもしれない。「辛口」といったエクスキューズなど余裕で吹いて飛ぶほどの清々しい差別発言である。高額納税者の趣味嗜好で生殺与奪が決められたらたまったものではない。

DaiGoの発言を即座に否定しないとならないのは、自分のためにほかならない。いったいどれだけの人が、ホームレスや生活保護受給者に絶対ならない自信があるといえるのだろうか。

DaiGoを発言を否定する理由は、極論すれば「なんで人を殺してはいけないの?」という幼稚な問いへの帰結と同じになる。論理上の問題ではない。「自分が殺されたくないから否定しなければならない」問いで、これは自衛の手段なのだ。

件の発言が飲食店で隣の席から流れてきた見ず知らずの者の会話ならば、こうはならなかった。「ああ、ちょっと非常識な人が隣にいるなあ」という感想で済む話だ。

しかし、ことは200万人以上もの好意的な聞き手が確保されているチャンネルでの発言である。すでに件の動画の再生回数は10万を超えている。その影響力は看過できない。

この件にまたぞろ、逆張り炎上金髪野郎こと田端信太郎氏が擁護の論陣を張っているのだが、

普段は「インフルエンサー」だ「影響力」だと誇示している人たちが、こういうときに限って「言葉にしただけで実際に行為には移してないから無罪」という主張をするのは、はっきりいって虫が良すぎる。自分の「言葉」を他人の「行為」へと伝播させていってお金稼いでいるのがインフルエンサーじゃなかったでしたっけ?

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それでなくても、「邪魔だった」とホームレス女性が路上で撲殺されたのは、昨年の11月。つい最近の話なのだ。すでに「言葉」は「行為」へと移されている。

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そもそもの話、ぼくはこのメンタリストという人をよく知らない。あなた、何をされてる方なの?

以前は、たまにテレビ番組で他人が選んだカードを言い当てて、おー、すごいーと持て囃されているところを目撃したぐらい。

しかし、人の心を掴むという意味では、メンタリストではない弟さんの方がよっぽど優れている。

ここでようやく辞書を引いたのだが、「メンタリスト」の項目には「心理学に基づく暗示や錯覚などのテクニックを駆使し、常識では考えられないようなパフォーマンスを見せる人を指す」とある。

なるほど「常識では考えられないようなパフォーマンス」という意味では今回は字面の通りのようである。ええ、皮肉ですよ。

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